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変るものと変らぬもの : 遠藤周作

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99の著者の視点からの提案。



・本当に世の植物に人間の心が通じるなら、われわれの世界はなんと心あたたまる素晴
 らしいものに変わるだろう。

・碧い宇宙

・人間の心にはある波動があり、その波動が植物に伝わるのではないか

・愛の波動と憎しみの波動、いいかえると生命の波動と死の波動があって、命のあるも
 のはその2つの波動だけは体内で感じるのではないか。

・たった一本の植物も我々が考えている以上に神秘的で複雑で、そして宇宙と結びつい
 ている

・ダンという学者の本によると夢には「将来出会う場面や出会う人を見る」予知夢があ
 るということ

・幽体離脱とは英語ではアストラル・ジャーニー

・何でもいい、食べられるものなら雑草まで食べようとしたあの時代

・「いよいよ、旅たつ今の気持ちはまったくの秋晴れ」
 死を前にしてこのような澄み切った気持ち

・たしかに誰だって見苦しくは死にたくはない。できることならゲーテのように
 「もっと光を」などと名文句をつぶやいて死にたいものだ。

・昭和25年、私が留学していたころのフランス人はインテリでさえ、日本についてほ
 とんど何も知らなかった。

・「日本人は紙と木の家に住んでいるというが、風に飛ばされないのか」
 私は、障子紙のことを説明しようと思ったが、面倒くさくなり、
 「時々、風に吹きとばされます」と答えた。

・ボーイの持ってきた珈琲を断るときは外人の紳士ならニッコリ笑って、
 ノーサンキューぐらいは言うであろう。しかし日本の重役の場合は無言で
 片手を振って拒絶する。実に愛嬌がない。

・ああ、とか、うん、とか、ほぉ、とか答えるのみ。これを
 「ああ、うん、ほぉ」夫婦という

・むかし失恋をして相談にくる娘さんに私はよく、こう言った。
 「時間に任せなさい」
 そのときはどんな慰めや励ましの言葉をかけても効果がないことを私はよく知ってい
 るから

・昔の正月には年改まってめでたいという空気があった。新しく生きる「再生」の悦びがあったし、昔の日本人が正月に抱いた宗教的な余韻が感じられる。

・若い世代たちが元旦だけ、神や仏のお力を信じているのだから、この矛盾した精神構
 造はどうなっている

・私もお爺さんといわれるのは面白くない

・日本人は酒をくみかわさねば、本音、本心を語らない。だから私はスナックをつくっ
 て、本音と本心で語り合いたい

・礼儀はたしかに虚礼。しかし虚礼だからこそ文化。むだなもの、即座には
 役立たぬものこそ文化

・「なんの臭いか知らんが、その臭いは老臭を連想させるな」

・私はやはり「少しふざけた」友人でないと、親しみがもてない。

・小説家が達筆だという錯覚

・歳月だけは同じように二人に老いを与えてくれた

・「あの頃、電車のなかにゴミみたいに汚い中学生たちがいたけど、あんたも
 その一人だったの」

・老妻の寝言は私よりひどい。ホ、ホ、ホ、ホと言って寝言で笑っている。

・本当の室内インテリアとは「間がぬけた」ほうがよいのだ。客がきて綺羅にさせるた
 め「間がぬけた」ほうがいいのだ。

・自分の死を子どもが深く悲しまぬように、わざと飲めもせぬ酒を一口飲み、すえもせ
 ぬ煙草を一口すい、ユーモアの芝居をみせてくれた御母堂。
 ねがわくは私も死ぬときは右のようなユーモアで死ねれば

・昭和二十五年ー日本が戦争犯罪国に扱われていた時代

・ホスピスの伝統のある英国では末期癌の患者を「痛みから解放すること」に専念し、
 日本では「一日でも長く生かす」ことに努力していること

・日本ではなぜか老人は「いたわるべき」相手と考えている

・老人は社会に無用な存在ではない。無用な存在であるべきではない。

・美星町ー東大の天体物理観測所があるくらいで、それは日本のなかでも一番、
 星がはっきり見える空気条件になっているからだそうだ。

・集中治療室に入るような患者の家族が仮眠できる部屋を病院は作ることはできないで
 しょうか。

・「ボクらはまあ、いい夫婦だったね」
 「今度、生まれかわってくる時もお前と一緒だよ」
 という言葉は百や千の気のきいた愛情表現よりも百倍も二百倍も価値がある。

・人間、自分が「いい行為をしている」と思うと、必ず堕落するから。

・春夏秋冬 女は怖い

・人間は本来、他人を信じて幸福になる。

・患者とは病人個人のことを言うのではない。病人とその家族とをあわせて
 患者というべき

・私は人間とは何かを書く仕事が小説だと思ってきた




死に対する感覚がおもしろい。
確かに死ぬとき、誰でも自分の人生を省みると思うのだが、
死ぬときだってユーモアあって死んでもいいじゃないかと思った。
むしろ反省しながら死んでいくより、最高の笑顔で最高の思い出とともに自分も死んでみたい。

あと、残される人が悲しくならないように死ねることが死ぬ本人にとって
そのときの一番の幸せなのかもしれない。
自分が死ぬのに周りの心配をしてしまうのは人間らしさといえようか。


また、著者の入院の経験から、病院について提案が多い。そして間違っていない。
死や苦しみが充満してしまう病院だからこそ、生命の喜びが際立つ場所だと思うのだが、
苦しみが少しでも減る努力をもっと病院側はできるはずなんだよなぁ。
もちろん、入院したことのない自分なので、はっきりしたことは言えない。
今の病院はもっとホスピタリティに敏感であるんだろう。



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読んだ本の記録。忘れたくない言葉。

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