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柊の垣のうちから (北条 民雄)

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少くとも社会は忙しい

この「精神のゆるみ」とどんなに戦つたことだらう。しかしどんなに戦つても結局敗北して行くやうに思はれてならぬ。

毎日見る風景は貧弱な雑木林と死にかかつた病人の群である。膿汁を浴びて感覚は鉛のやうに艶を失ひ、やがて精神はたがのゆるんだ桶のやうにしまりを失ふのである。

美しい顔になりたいとは思ひはせぬ。ただ自分らしい表情を、自分以外には誰も持つてゐない私の表情を失ふのが堪らないのだ。

まだまだめでたい軽症者

彼は幼年期から既に病気であつた。そのために肉体的にも精神的にも完全な発育が出来なかつたのである。そして少年期からずつと療養所で育ち、大きくなり、文字通り蝕まれた青春を迎へたのである。

時々、マスクを除つた看護婦たちが嬉々として戯れるさまを、私はじつと見惚れることがある。そこには生き生きとした「人間」の表情があるからだ。若々しい表情があるからだ。 怒ることも笑ふことも出来ない。勿論心中では怒り、或は笑つてゐるのである。しかしその表情は白ばくれてゐるやうに歪んだままよだれを垂らしてゐるのだ。

眼は死んだ魚のそれのやうに白く爛れてしまふ。ごく控へ目に、ちよつと書いてすらこれである。ここにどんな表情が発見出来るだらうか。どんな美しい精神に生きてゐたとて、外面はけものにも劣るのである。況や神経型にやられたならば、口は歪んで、笑ふことも怒ることも、また感動することも出来ないのである。

どす黒く皮膚の色が変色し、また赤黒い斑紋が盛り上つてやがて結節がぶつぶつと生えて、それが崩れ腐り、鼻梁が落ち、その昔美しかつた頭髪はまばらに抜け、

「自分らしい表情やヂェスチュアを毀されて行くのは、ほんとに寂しいね。」

眼は心の窓であるといふが、表情は個性の象徴であらう。どんなまづい面であつても、またどんなに人好きのしない表情を持つてゐても、しかし自分の表情、自己の個性的な表情をもつてゐることはよろこばしいことであり、誇つてよいことであると思ふ。

私は入院するなり直ちに重病室へ入れられた。 私がそこでどんなものを見、どんなことを感じたか、言語に絶してゐてたうてい表現など出来るものではない。日光を見ぬうちは結構と言ふな、といふことがあるが、ここではちやうどその反対のことが言へる。そこは、色彩において全くゼロであり、音響においてはコンマ以下であり、香りにおいては更にその以下であつた。

他人の嫌ふ癩病と、私の癩病とは、なんとなく別のもののやうに思へてならなかつた時だつた

心の中に色々な苦しいことや悩しいことが生じた場合、人は誰でもその苦しみや懊悩を他人に打明け、理解されたいといふ激しい慾望を覚えるのではないだらうか? そして内心の苦しみが激しければ激しいほど、深ければ深いほど、その慾望はひとしほ熾烈なものとなり、時としてはもはや自分の気持は絶対に他人に伝へることは不可能だと思はれ、そのために苛立ち焦燥し、遂には眼に見える樹木や草花やその他一切のものに向つてどなり泣き喚いてみたくすらなるのではあるまいか? 少くとも私の経験ではさうであつた。




軽症者はまだまだめでたい、という言葉が印象に残りました。
実際はそうじゃないんですよね。でも、重症者があまりにも人間から離れていくさまを見ればそうも言いたくなるのだと思いました。


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Hiro

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読んだ本の記録。忘れたくない言葉。

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