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たましいの教育 (羽仁 もと子)

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私たちは幼児に、時間通りに分量通りに、また乳の必要な時代に乳を、その他の食物の必要になってきた時代に他の食物をあたえる。それはなんのためだろう。時間通り分量通りに乳をやるのは、それでなくてはお腹を悪くするからだと、つい思っているような私たちであるけれど、決して決してそうでないことをはっきり考えていなくてはならない。そうすることは赤ん坊を命ぜられた健康に発達に導くためである

幼児は外形を見、その外形を鵜呑みにするものだから、裏店に育っている子供と、生活様式の十分にととのっている家の子供とは、言葉でも動作でも、その鵜呑みにしているものが雪と墨ほどちがうので、一方はいかにも上等の人らしく、一方は下等に見える。

身体は弱いけれども、精神の強い人はある。しかし霊性の強い人は少ないものである。

それだのにわれわれの実際はどうであろうか。教育のある母親ほど、子供の身体をかばいすぎてその活力を弱め、子供の心をかばいすぎて友だちを制限し、人間の霊性の偉大なものだということを忘れて、子供をただ幸福に導こう導こうとしている。考えてみるとみな信ずべきものを十分に信じないための現われだと思う。いいかえれば、人の親であり、教師であるわれわれの霊性の力が弱くなっているためだと思う。

身体も精神も霊性も活発であるかどうかは、いつでも幼児を見守るものの第一条件として、たえず気がついていなくてはならないことである。やや極端にいえば身体と精神と霊性と、この三つを含む活力を強くしてやりさえすれば、そのほかのことは何もいらないと思ってもよいほどである。

鵜呑みはどこまでも鵜呑みである。どんなによいことを鵜呑みにさせておいても、それが彼の一生を支配してゆく力はない。幼児時代から子供のもっているよい鵜呑みが、年とともにかれらの思いによって理解され、思想にまで信念にまで育ってゆくように助けなくてはならない。

思慮というものの全然芽を出していない幼児には、ただ外形ばかりが強い問題である。 幼児ほど形の上から物を鵜呑みにするものはない。そうしてその鵜呑みにしたことを、よいこととして守ってゆくものはない。 さらに幼児ほど好奇心の強いものはない。十分かれらの好奇心に投じてゆくならば、そのまちがっていることも、必ずなおしてしまうことができる。 それゆえ幼児には、外形をもってまずよいことを鵜呑みにさせることが必要である。


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Hiro

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