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癩院記録 (北条 民雄)

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もし誰か、この地上で地獄を見たいと欲する者があるならば、夜の一時か二時頃の重病室を見られるやうすすめる。鬼と生命との格闘に散る火花が視覚をかすめるかも知れない。

怪しく口の曲つたのや、坊主頭や、鼻のない盲

患者達は決して言葉を聴かない。人間のひびきだけを聴く。これは意識的にさうするのではない、虐げられ、辱しめられた過去に於て体得した本能的な嗅覚がさうさせるのだ。

乾性即ち神経癩の患者にはたいてい一つは蹠疵といふのが出来てゐる。主として踵に出来るのであるが、麻痺のため痛みを感じない。それで歩行の不便を感ぜず歩き廻るので何時まで経つても治らないのである。これは一生疵と言はれてゐるほどで、だから繃帯なども毎日毎日幾年も続けて巻いたり解いたりしなければならない。かうして続けてゐるうちには何時しか繃帯を巻くことに趣味を覚えるやうになるのである。

癩患者にも趣味といふものはある。いや、どこよりも癩院は趣味の尊ばれる所かも知れない。一番多くの人がやるのは投書趣味であらう。彼等はこれを「文芸」と称してゐるが、俳句などは文字通り猫も杓子もといふ有様で、不自由舎などでは朝から晩まで、字を一字も知らない盲人が「睡蓮や……睡蓮や……」と考へ込んでゐたりする。

常識的な経験に信を置く結果、意外な失敗をやることがあると共に、また癩者独特の治療法を発見することもある。    その一つに「ぶち抜き」といふのがある。誰がこれを考へ出したのか私は知らない。しかし長い間のうちに何時とはなしに患者間で行はれるやうになつたのだらう。 それは両足に穴をぶち抜くのである。と言ふと誰でも吃驚するに違ひない。そこで説明を要するが、手取り早く言へば両足に一つづつ穴をあけて、そこから全身に溜つてゐる膿汁を排泄しようといふ仕掛なのである。足といつても、勿論どこへでもあけるのではない。やはり決まつた場所がある。長い間の経験で自然とそこに定められるやうになつたのであらう。それは、内踝の上部三寸くらゐのところで、比目魚筋の上に団子くらゐの大きな灸をすゑるのだ。間違つても脛骨の上にすゑてはならないさうである。先日私の友人の一人がそれをやつたから、一見して置くに限ると思つて見に行つたが、何しろ団子ほどもあるもぐさ(決して誇張してゐない)がぶすぶす燃え出すのだから物凄い。
ぶち抜きをやるくらゐの足はかなりひどく病勢の進んだ足で、勿論潰瘍や潰裂はないが(潰瘍や潰裂があればぶち抜く必要がない)完全に麻痺してをり、また汗も膏も出ないで常に鈍重な感じ

かうしてぶち抜くと、出来た疵が治らぬやうに注意すると共に、またこれが動機で内部へ深く腐り込んで行き足を一本切断したりするやうなことがないやうに気をつけながら、一ヶ月から二ヶ月くらゐ新聞紙を毎日取りかへる。この貼紙は新聞紙よりも油紙の方が良く、傘に貼られた紙を破つて来て利用するのが普通であるが、新聞でも悪いといふことはない。勿論消毒は十分に行はれねばならない。そして一ヶ月なり二ヶ月なり経つて、もう十分膿も出たし、足も軽くなつたと思はれると、今度はリバーノオルなり何なりをつけて疵を治してしまへばよい

夏などは発汗がないから焼けた空気が足の中に一ぱいつまつてゐるやうな感じで実際堪へられないのである。夜など床の中に這入ると、足の置場に困り、どこへどう置いてみてもだるく重く、まるで百貫目の石が足の先にぶら下つてゐるやうな感じで、安眠が出来ないのである。だからぶち抜きは、なんと言ふか、通風口のやうなもので、効果は確かにあるさうだ

注射するのはただ永年の惰性であつたり、また全然注射場へ現はれないのもある。だが殆どが、大して効果のないものだといふことを知つてをり、まあやらんよりはましだらう、といふくらゐの気持である。

病院には女が非常に少い。だいたいのところ女は男数の三分の一で、だから癩者の世界では女は王様のやうなものである。

小遣ひは一ヶ月七円と定められてゐるが、それは自宅から送金されたものを使ふ場合であつて、院内で稼いだ金はいくら使つても差支へない。だから働いてゐさへすれば小遣ひに困るといふことはないやうである。また不自由になつて不自由舎の人となり、或は三年五年と重病室で寝て暮したりする場合には、毎月いくばくかの補助金が下がる。

病院とはいふが、ここは殆ど一つの部落で、事務所の人も医者も、また患者達も「我が村」と呼ぶ

ここを第二の故郷とし、死の場所と覚悟

不自由舎へ這入らない程度の病状で、よし外科的病状や神経症状があつても、作業に出たり、女とふざけたり、野球をやつたり出来るうちは、健康者で、健康舎の生活をするのである。

不自由舎と健康舎とに大別され、不自由舎には病勢が進行して盲目になつたり義足になつたり、十本の指が全部無くなつたりすると入れられ、それまでは健康舎で生活する。ここで健康といふ言葉を使ふと、ちよつと奇異に感ぜられるが、しかし院内は癩者ばかりの世界であるから癩そのものは病気のうちに這入らない。

入院すると、子供を除いて他は誰でも一週間乃至二週間ぐらゐを収容病室で暮さなければならない。そこで病歴が調べられたり、余病の有無などを検査されたりした後、初めて普通の病舎に移り住むのであるが、この収容病室の日々が、入院後最も暗鬱な退屈な時であらう


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読んだ本の記録。忘れたくない言葉。

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