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眼帯記 (北条 民雄)

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もう暗くなりかかった眼を、もう一度あの明るい光の中に開きたい、もう一度あの光を見たい、彼女らは、全身をもってそう叫んでいるようであった

癩になって、こうした病院へはいり、この若さのままいっさいを、投げ捨てて生きて行かねばならない

憎み切りたい

二人とも、もうほとんど失明していた。 私は暗たんたるものを覚えながらも、ちょっとした充血くらいでこんなに不安を覚えている自分が羞ずかしく思われた。みんな明日にも判らぬ盲目を前にして黙々と生きているじゃないか、死ねなかったから生きているだけじゃないかと軽蔑するのは易い、しかし生きているというこの事実は絶対のものでありそれ自身貴いのだ、

こうした充血が確実に病気の進行を意味しており、一度充血した眼は、もう絶対に恢復することがないからである。もちろん充血はすぐ除れるが、しかし一度充血するとそれだけ視力が衰えているのである。そして、こういうことが重なり重なって、一段一段と悪くなり、やがて神経痛が始まったり、眼の前に払っても払っても除れない黒いぶつぶつが飛び始める。塵埃のようなそのぶつぶつは次第に数を増し、大きくなり、細胞が成長するように密著し合ってついに盲目が来るのである。これは結節癩患者が、最も順調に病勢の進行した場合であるが、その他にも強烈な神経痛で一夜のうちに見えなくなったり、見えなくなってはまた見え、また見えなくなっては見えしているうちについに失明してしまったり、それは色々の場合がある。とにかく充血は盲目に至る最初の段階

右眼は兎のようになっていた

病気が出てから三年くらいたつと、誰でもかなり視力は弱るし、それに無理に眼を使うと悪い結果はてきめんに表われるのである。癩者が何か書いたり、本を読んだりするのは、それだけでもかなりもう無理なことであるのに、私は昨夜はローソクの火で読んだりしたのである。

ある朝、眼をさましてみると、何が重たいものが眼玉の上に載せられているような感じがして、球を左右に動かせると、瞼の中でひどい鈍痛がする。私は思いあたることがあったので、はっとして眼を開いてみたが、ものの十秒と開いていることができなかった

私は不安がいっぱい拡がって来るので起きる気がしなかったのである





ハンセン病の目への症状にフォーカスした本でした。
いずれは失明する、と理解していながら生きている気持ちというのは、ぼくが思う以上に耐え難いのでしょうね。
そして避けることができない絶望感。勝つことができない病魔に闘い続けていた患者の方々には頭が下がります。

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Hiro

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読んだ本の記録。忘れたくない言葉。

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