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離婚について (与謝野 晶子)

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浅薄な表面の装飾や衒いでなく、全人格を挙げて立派に装飾し、それを女子の誇とするように力めねばなりません。美しい衣服を著るにも、読書をするにも、文学や美術を嗜むにも、常に立派な娘に成る、完全な人間に成るという心掛が必要です
今の家庭や学校教育が頼みにならぬとすれば、若い女子自身が各々自分の「娘」時代を尊重して我手で立派な人格を修養せられる事が何より大切な急務だと思います。

離婚は講和でなく戦争

秋子女史はまた「某実業家は常常子弟に向い、世に処して成功しようと思うには女房に惚れなくては不可んと言われたそうですが、誠に味うべき言葉で、気に食わぬ点はなるべく寛大に見て、自分の妻以外世間に女はないというほどに取扱ってこそ家庭は円満に参るものだろうかと存じます」といわれました

今の教育が単に学校を卒業した男子と、時世遅れの良妻賢母主義に合う女子とを作る事にのみ急で、肝腎の「人格を完備した男女」を作る事を忘れ

趣味が人格を形造るほどに高くなれば、甲と乙と趣味の種類が違っていても双方互にその趣味を尊敬し合うようになってその間に調和が出来るものです

一人の夫や両人の舅姑や自分の生んだ子供に対する心掛などは、その場に臨めば大抵の女に自然会得が出来るものです。また割烹の法とか育児法とか申す事位は、台所で母や下女と相談したり、出入の医者に聞いたり、一、二冊の簡便な書物を読んだりしても解る事です。かような事を倫理だとか学問だとか申して高等な学校で教えるのは馬鹿げていると私は常に考えております。

女子大学などと申す立派な名義の学校まで出来ながら、多数の生徒は何を習っているかといえば、良妻賢母主義の倫理と家政科と言う割烹の御稽古

『朝日新聞』に出た諸先生の御説を拝見しますと、女子音楽学校長の山田源一郎先生は「既に一個の家庭を持った以上はやはり夫唱婦和でなければ成立って行かぬであろう」と申されましたが、今の世の中に男も女も人形のような者でない以上、この夫唱婦和という子供の飯事みたいな手緩い生気のない家庭は作れまいかと存じます。





見事な本だった。
離婚は、戦争。

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Hiro

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読んだ本の記録。忘れたくない言葉。

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