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冬の庭 (室生 犀星)

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竹はすぐな心を表はしてゐるやうで陳腐であるが左う考へる方が、無理がないやうである。かれは寂しいが喜んでゐるやうな木である。絶えず愉快な表情の中に、流れるやうな寂しさをもつてゐる。そして雨とか雪とかになほ一層その奥の手をみがき出してゐるやうである。 梅に至つては匂ひであらう。

松のその風籟の音に秀でてゐるは言ふまでもないが、一群の清韻は遥に天に向つて何ものかを奏でてゐるやうである

わたくしはこのごろ松竹梅といふ三点樹を昔の人がさう言ひならしてゐる言葉に感心してゐる。松竹梅といふと古い言草であるが、松といひ竹といひ又梅といふは樹の中の三兄妹であつて、三樹交契のいみじさ美しさは喞々としてわたくしの心に何かを囁いてくるのだ。木の世界の王さまでなければならぬ。実際この三樹交契を以つて庭を作るとしたら最早何ものも要らない。昔から此の木々をもつてめでたいものの標本とした。その故深い意味が意味ばかりでなく、心までさう感じさせて来たのは恥かしながらわたくしに取つては最近のことである。


冬の庭木としては別に特別なものはないが、梅擬の実の朱いのが冬深く風荒んでくるころに、ぼろぼろ零れるのはいいものである。南天の騒々しさにくらべると仲々澄んだ感じである。これは零れ落ちるときが最もよい。

雪がきたらそのままによごさずに置くのである。雪に触つたところが一と処でもあれば、その睡り深い姿を掻き起す。寂寞が乱れてはならない。消える時もひとりで斑に美しく消えるにまかせるやうにする。手洗ひや、つくばひに張る氷も雪とともに厳格以上の厳格さをもつてゐる。冬の庭の要を鏡のやうに磨き立てるものでなければならぬ

雪は冬の庭に永く眠つてゐるほど寂寞である。

冬は庭木の根元を見ると、静かな気もちを感じさせる

苔は苔のままむくみ上つてゐるところに、何とも言へぬ深い寂しみが蔵はれてゐて、踏んで見るとざつくりと土が沈む。乾いた灰ばんだ何処か蒼みのある土が耐らなく寂しい。

冬の庭の味ひの深いのは何といつても霜で荒れた土がむくみ出し、それが下ほど凍えて、上の方が灰のやうに乾いてゐる工合である。






冬の庭を見る目が今年は変わりそうです。
でも外国にいては、この感覚はなかなか味わえないのだろうなぁ。そこは素直に寂しいと思いました。

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Hiro

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読んだ本の記録。忘れたくない言葉。

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