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「女らしさ」とは何か (与謝野 晶子)

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「女らしくない」という一語が、昔から、どれだけ女子の活動を圧制して来たか知れません。習慣というものは根強いもので、今でも「女らしくない」といわれると、一部の女子は蛇でも投げつけられたようにぎょっとして身を縮めます。

「女らしさ」という言葉から解放されることは、女子が機械性から人間性に目覚めることです。

社会にはまた、昔から、或種の活動に専心して、わざと家庭を作らない男女もあります。何事も個人の自由意志に任すべきものですから、そういう人たちに生殖生活を強要することも出来ません。その人たちは、家庭の楽み以上に、自己の専門的生活を評価しているのです。それでこそ、その人たちの人間性が完全に表現されもするのです。

また万人に結婚の可能な新社会が出現したからといって、人間は必ずしも結婚して親とならねばならないという事はなかろうと思います。「人間的活動」の領域は濶大され、それに参加する自由と機会とを万人が保障されている社会に、男も女も、適材を以て適処に就くのが宜しい。

親となることの欲求は、固より人間の内部に備っている最も強烈な本能の一つです。即ち人間性の内容として重要な位地を占めているものです。それがどうして人間の力で失われよう。

女性であるという理由だけで男子の隷属者となり、実力の優れている場合にも、詰らない男子の下風に立たせられているという有様ですから、女子自らその人間性を鍛え出す機会をも失っているのです。

男子と同じ程度の教育を授けると共に、男子と同じ位の責任ある位地に立たせて、その手腕を振えるだけの職業に就くことの自由を女子に許して御覧なさい。そうして、少くとも明治以来男子に与えて来ただけの激励と設備と年月とを女子に与えて御覧なさい。日本の女子がその内に潜在する人間性を発揚して驚くべき飛躍を示すことは、決して欧米の女子に劣るものでなかろうと思います。

人間性は何人にも備っているのですが、これを出来るだけ円満に引出すものは教育と労働です

無情、冷酷、生意気、半可通、不作法、粗野、軽佻等の欠点は、男子においても許しがたい欠点であることを思わねばなりません。

愛と、優雅と、つつましやかさとは男子にも必要な性情であると私は思います。それは特に女子にのみ期待すべきものでなくて、人間全体に共通して欠くことの出来ない人間性そのものです。それを備えていることは「女らしさ」でもなければ「男らしさ」でもなく「人間らしさ」というべきものであると思います。人間性は男女の性別に由って差異を生ずる性質のものでないのですから、もしこれを失う者があれば「人間らしくない」として、男女にかかわらず批難して宜しい。

「女のする日記というもの」を書いた紀貫之も、同じ理由から、その「男らしさ」を失った人間として批難されねばなりませんが、歌人として、また国語を以て文章を書いた先覚者として尊敬されているのはどうした訳でしょうか

もし男女の性別に由って歴史的に定まった分業の領域が永久に封鎖されているものなら、男子が裁縫師となり、料理人となり、洗濯業者となり、紡績工となることは、女子の領域を侵すものとして、「男子の中性化」が論じられなければならないはずです。

私は女子が「妊娠する」という一事を除けば、男女の性別に由って宿命的に課せられている分業というものを見出すことが出来ません。

論者は、「男子のすることを女子がすると、女らしさを失う」というのですが、人間の活動に、男子のする事、女子のする事という風に、先天的に決定して賦課されているものがあるでしょうか。

そもそも、その「女らしさ」という物の正体は何でしょう。我国では女子が外輪に歩くと「女らしくない」といって批難されます。また女子が活溌な遊戯でもすると「女らしくない」といって笑われます。そうすると、内輪に歩くということ、人形のように温順しくしているということなどが「女らしさ」の一つの条件であることは確かです。しかし日本ではそうでしょうけれども、欧米の女子は悉く外輪で歩いています。また我国でも多くの女学生が唯今は靴を穿いて外輪に歩きます。

その人たちの言う所をかいつまんで述べますと、女子が男子と同じ程度の高い教育を受けたり、男子と同じ範囲の広い職業に就いたりすると、女子特有の美くしい性情である「女らしさ」というものを失って、女とも附かず、男とも附かない中間性の変態的な人間が出来上るから宜しくないというのです。市町村会議員となる資格さえ女子に許していない日本において、どうして、男子と同等の教育とか職業とかいうことが軽々しく口にされるのですか。






いつ発刊されたのかは知らないのですが、きっとけっこう前。
しかし、こんなに優れた、かつ有名な人の本が出回っていながら、未だに「男らしさ、女らしさ」にこだわってしまう人の多いこと。
こういう意識の問題について時代は本当にゆっくり進んでいくのだなぁと痛感しました。
正直、遅すぎなのですが、自分で解決できるわけもなく。

もっと多くの人に読まれてほしい、できたら小学校の国語の本に入れてほしい内容なのでした。


「愛と、優雅と、つつましやかさとは男子にも必要な性情であると私は思います。」という言葉はぼくにとって特に印象的でした。そのとおりだと思ったので。

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Hiro

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読んだ本の記録。忘れたくない言葉。

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