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植物一日一題 (牧野 富太郎)

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シソもエゴマも元来は同種異品のものであるが、その用途は違っている。すなわち紫蘇は西洋ではその葉の紫色を愛でて観葉植物となっているが、日本ではよい香のあるその葉がアオジソとともに香味料食品となっている。エゴマ(荏)はそのタネから搾った油を荏の油と称し、合羽、傘などに使用し、また食料とする

すなわち薩州藩主の島津吉貴(浄園公)が琉球からその苗竹を薩州鹿児島に致さしめたによるのだが、それは元文元年(1736)であった。それからこのモウソウチクで薩摩を起点として漸次に我国各地に拡まって、やがて竹類中の宗となった。

モウソウチクは元来中国の原産であるが、それが昔同国から琉球へ渡り、琉球からさらに日本の薩摩に伝わった、

中国の桜桃はその花は大して観るには足りないが、しかしその実が赤く熟して食用になる。ゆえに『本草綱目』などではそれを果部へ入れてある。日本ではこれを支那実ザクラと呼んでいる。

桜桃は中国の特産で日本にはない(栽植品は別として)一つの果樹であって花木ではない。

ナシ、リンゴなどの食う部分は、つまるところこの茎である

ナシ、リンゴ、キュウリ、スイカなどはみな植物学上でいう下位子房(Inferior ovary)を持っていて、その子房が成熟して果実となっている。ゆえにその果実はウメ、モモ、カキ、ミカン、ブドウ、ナスビなどのように純粋な果皮を持った果実とは違って、その子房は他の助けを借りてそれと仲よく合体したものである。つまり瘤付きである。ゆえにその果実の内部の中央の方は本当の子房からなっているが、外側の方はその付属物である。そしてその食える部分はすなわちこの付属物であって、中央の子房はキュウリ、スイカなどは軟くて全部一緒に食えるが、ナシ、リンゴなどは食うにしてもそれが食えないのである。

オランダイチゴの食う部分は花托だから、じつをいえば変形せる茎を食っているのである。その粒のような本当の果実は犠牲となりお供して一緒に口へはいるのである。果実の食う部分を注意して見るとなかなか興味がある。

植物学的にいえばバナナは下位子房からなっているから、その食う部分は茎からなっている花托であるといえる。ゆえにバナナはつまるところ茎を食っているとの結論に達する訳だ。

バナナ(すなわち Banana これは西インド語の Bonana から出ている)の食う部分はその皮であって、すなわちその中果皮と内果皮とを食っているのである。外果皮は繊維質になっているのでこれを剥げばその内部の細胞質の中果皮と内果皮とから離れる。ゆえに俗にこれはバナナの皮だといっている。この中果皮と内果皮とは互いに一つに融合しておってこの部が食用となるのである。そしてバナナは変形してたとえ種子の痕跡はあっても種子が出来ないから食うには都合がよい。

室の外側の壁面から単細胞の毛が多数に生えて出て来、子房の増大とともにこの毛もともに生長して間もなく室内を填充しかつその大きさをも加える。この果実が熟する頃にはそのミカンの嚢一杯になっている毛の中に含まれた細胞液が酸化し甘くなり、そこで食われ得るミカンとなるのである。つまり毛の中の細胞液を吾らは賞味しているのである。 ミカンの皮は外果皮、中果皮、内果皮の三層からなっているが、その外果皮には多数の油点がある。

ヒマワリの実、すなわち痩果は一花頭に無数あって羅列し、かつ形が太いからその中の種子を食用にするに都合がよい。また油も搾られる。鍋に油を布いてこの痩果を炒り、その表面へ薄塩汁を引いて食すれば簡単に美味に食べられる。

ヒマワリすなわち日回の名も向日葵の名も、こんな意味で名づけられたものである。が、しかしこの花はこの文にあるように日に向かって回ることはけっしてなく、東に向かって咲いている花はいつまでも東に向っており、西に向かって咲いている花はいつまでも西向きになっていて、敢て動くことがない。

ナガイモもまたツクネイモ(ナガイモの一品)もけっしてジネンジョウ(ヤマノイモ)から出たもんではなく、この両品は全然別種に属するものである。

ジネンジョウはやはり「野に置け」の類でその天然自然のものが味が優れているので、これを圃につくってその味を落とすようなオセッカイをする間抜け者は世間にないようだ。やはり山野を捜し回ってジネンジョウ掘りをすることが利口なようである。


この贋のインゲンマメ(Phaseolus vulgaris L.)は上に書いた隠元禅師将来の本当のインゲンマメ(Dolichos Lablab L.)よりはずっと後に日本へ渡来したものである。そしてその初渡来はおよそ三三五年前で、右の本当のインゲンマメの渡来より後れたことおよそ五十年ほどである。ゆえに隠元禅師が日本に来たときには、まだその贋のインゲンマメは我国に来ていなかったから、この豆はなんら隠元禅師とは関係はない。 今日一般に誰も彼もいっているインゲンマメ(贋の)は海外から初め江戸へ先ずはいって来たものらしい。多分外船がもたらしたものであろう。そしてそれが江戸を中心として漸次に関西ならびにその他の諸地方へ拡まっていったもののように想われる。そして江戸をはじめその後諸方でいろいろの方言が生まれたものであって、次のような多くの称えがある。すなわちそれは江戸ササゲ、トウササゲ、五月ササゲ、三度ササゲ、仙台ササゲ、朝鮮ササゲ、ナタササゲ、カマササゲ、カジワラササゲ、銀ササゲ、銀フロウ、銀ブロウ、フロウ(同名あり、不老の意)、二度フロウ、甲州フロウ、江戸フロウ、二度ナリ、信濃マメ、マゴマメ、八升マメであるが、江戸ではまたこれをインゲンマメと呼んでいた。飯沼慾斎の『草木図説』では五月ササゲを正名として用い、トウササゲを副名としている。私の『牧野日本植物図鑑』にもゴガツササゲの名を採択して用いてある。


今日世間でいっているインゲンマメには二通りの品種があって、一つは前に日本に渡ったインゲンマメ、一つはそれより後に渡ったインゲンマメである。元来インゲンマメは昔山城宇治の黄檗山万福寺の開祖隠元禅師が、明の時代に日本へ帰化するため、中国から来た時もって来たといわれているインゲンマメが正真正銘のインゲンマメであり、それから後に日本へはいって来たのが贋のインゲンマメである。すなわち前入りのものが本当のインゲンマメで、後と入りのものが贋物のインゲンマメだ。そしてこの後と入りのものはじつは隠元禅師とはなんの関係もなく、つまりこのインゲンマメのインゲンは隠元の名を冐したものにすぎない。地下で禅師はきっと、オレの名をオレとは無関係の今のインゲンマメに濫用して、わしを無実の罪に落とすとは怪しからんと、衣の袖をひんまくり数珠を打ち振り木魚を叩いて怒っているであろう。 隠元禅師がもって来たと称する本当のインゲンマメは Dolichos Lablab L. という学名、Hyacinth Bean または Bonavist または Lablab という俗名のもので、これに白花品と紫花品とがあって共にインゲンマメと総称している。

Yam という字がある。ロブスチード氏の『英華字典』には大薯と訳してあるが、これは薯と訳すれば宜しく大の字はいらない。このヤムは Dioscorea(薯蕷ノ属)属中の数種の薯を指した名である。Chinese Yam はナガイモの名であるから、ヤマノイモは Japanese Yam といっても不可ではなかろう。そうするとツクネイモも Tsukune Yam でよいだろう。

ヤマノイモもナガイモも共に蔓上葉腋にいわゆるムカゴ一名ヌカゴすなわち零余子ができる。今これを採り集めて植えると幾らでも新仔苗がはえて繁殖する。またムカゴは無論食用にもなる。

クログワイ、オオクログワイは生でも食えるけれど、これはじつは塊茎で真の根ではない。サツマイモは真の根だけれど、それは子供等がいたずらにかじっているくらいで、一般には誰も生ま薯を賞味することはない。

トロロにするにはヤマノイモ(一名ジネンジョウ)の方がまさっている。ナガイモの方には粘力が比較的少なくて劣っている。そしてこのように生のまま食う根は他にはない。

フキはキク科に属していて Petasites japonicus Miq. なる学名を有し、我が日本の特産で中国にはないから、したがって中国の名はない。

フキは僧昌住の『新撰字鏡』にはヤマフヽキとあり、深江輔仁の『本草和名』にはヤマフヽキ一名オホバとあり、また源順の『倭名類聚鈔』にはヤマフヽキ、ヤマブキとある。これでみればフキは最初はヤマフヽキといっていたことが分る。すなわちこのヤマフヽキが後にヤマブキとなり、ついに単にフキというようになり今日に及んでいる。そしてフキとはどういう意味なのか分らないようだ。

スイカ、マクワウリは子房からの中身を食し、ボウブラ、カボチャ、シロウリ、ツケウリは主に花托からなった部分を食し、キュウリは通常その両部分を食している

マクワウリの漢名は甜瓜である。すなわちこれはその味が特に他の瓜より甘いからである。甜は甘いことである。

マクワウリは真桑瓜と書く。この真桑瓜は美濃本巣郡真桑村の名産で、昔からその名が高く、それでこの瓜をマクワウリと呼ぶようになって今日に及んでいる。

日本のクリはその学名は Castanea crenata Sieb. et Zucc. で、西洋での俗名は Japanese Chestnut である。そしてクリの語原は黒い意味でその実の色から来たもんだ。これは日本の特産で中国にはない。

支那栗すなわちアマグリは実の渋皮がむけやすく味が甘いのが特徴である。

元来栗というのは中国産のもので、今それを学名でいえば Castanea mollissima Blume であり、西洋での俗名は Chinese Chestnut であって、あの町で売っているいわゆる甘栗がすなわちそれである。この栗は少しは今日本に植えられているようだが、しかしまだ日本でなった実が市場に出ることはなく、そして出るほど多量な実は今日日本では稔らない。それは畢竟その樹を大量に植えないからである。しかしこの栗は通常日本ではなかなかに実の着きが悪いといわれる。

しかしこの時分でも西瓜の変わり品が幾種かあって、円いのも長いのもまた皮に斑のあるものもあった。そしてその名もいろいろで、例えば白スイカ、木津スイカ、赤ホリ(伊勢赤堀村の産)、長スイカ、ナシキンなどである。また当時皮と瓤とが黄色でアカボウと呼ぶものもあった。また皮は緑色で中身の瓤が黄色の黄スイカもあった。また袖フリという極く小さい西瓜もあった。 中国人は常に種子を食する習慣がある。すなわち歯でその皮を割りその中身の胚を味わうのである。食べ慣れないとなかなか手際よくゆかない。それにはその種子が大きくないと叶わんので、中国では特に種子食用の西瓜がつくられていると聞いたことがあった。

深緑色球形のスイカは徳川時代から明治時代へかけての普通品

貝原益軒の『大和本草』によれば、スイカは寛永年中に初めて異国から来たとある。

ところで世界の多くの学者でも、また日本の学者でも、いつも誤っている事実は、この閉頭果すなわちイチジクの実の外壁の部、すなわち中部の花もしくは果実を包んでいる内嚢壁の部を、花托(receptacle)もしくは総花托(common receptacle)だとしていることである。これはじつに思わざるのはなはだしきもので、この部は花托でも何んでもなく、これはそれを正直にいえば単に変形せる花軸である。その花托は内部の小花にこそあれ(上に書いたように)他の場所にある理屈がない。小花にも花托があり、さらにその小梗下の肉壁にも花托があるということになると、畢竟二重に花托が存在している結論となる。そうでないのか、考えてみればすぐ判ることだ。



イチジクの別名として九州地方にはトウガキ(唐柿)の方言がある。これはその形が円くて味が甘いからそう呼んだものだ。その果の内部に小花が填充しているのである。

古人がこれを無花果と名づけたのは、その果はあるが外観いっこうに花らしいものが見えぬので、それで実際に花のないものだと思って無花果と書いたので、この無花果の字面は明の汪頴の『食物本草』に初めて出ている。そしてこの果はじつは擬果すなわち偽果であって、本当の果実でない事実は素人には分るまいが学者にはよく分っている。

日本にはアケビが二つある。植物界では一つをアケビ、一つをミツバアケビといって分けてあるが、アケビはじつのところこの両方の総名である。 かのアケビのバスケットはミツバアケビの株元から延び出て地面へ這った長い蔓を採ってつくられる。普通のアケビにはこの蔓が出ない。 ミツバアケビの実の皮は鮮紫色ですこぶる美しいが、普通のアケビの実の皮はそれほど美しくはない。熟したアケビの実の皮は厚ぼったいものである。中の肉身を採った残りの皮を油でイタメ味を付けて食用にすることがあるが、なかなか風雅なものである。




ちょうど職場でお昼休憩のときに読んでいたのですが、”スイカの種を食べる”というところを見て、
いい機会だから職場の中国人のおばちゃんに聞いてみたところ、「食べる食べる!」という返答をいただきました。

でもスイカをパクパク食べてその種を使うのではなくて、種だけ売っているものを買って、それを調理して食べるのだそうです。(洗ったり、乾かしたりがめんどうだそう)
その方は砂糖やバターと一緒に炒ってデザート感覚で食べるそうで、おもしろいなぁと思いました。


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