スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

植物知識 (牧野 富太郎)

syokubututisiki.jpg




花は、率直にいえば生殖器である。

すなわち花は誠に美麗で、且つ趣味に富んだ生殖器であって、動物の醜い生殖器とは雲泥の差があり、とても比べものにはならない。

花は、種子を生ずるために存在している器官である。もし種子を生ずる必要がなかったならば、花はまったく無用の長物で、植物の上には現れなかったであろう。
ゆえに植物には花のないものはなく、もしも花がなければ、花に代わるべき器官があって生殖を司っている。(ただし最も下等なバクテリアのようなものは、体が分裂して繁殖する。)

種子を保護しているものが、果実

動物が子孫を継ぐべき子供のために、その全生涯を捧げていることは蝉の例でもよくわかる。暑い夏に鳴きつづけている蝉は雄蝉であって、一生懸命に雌蝉を呼んでいるのである。うまくランデブーすれば、雄蝉は莞爾として死出の旅路へと急ぎ、憐れにも木から落ちて死骸を地に曝し、蟻の餌となる。 しかし雌蝉は卵を生むまでは生き残るが、卵を生むが最後、雄蝉の後を追って死んでゆく。いわゆる蝉と生まれて地上に出でては、まったく生殖のために全力を打ち込んだわけだ。

われらが花を見るのは、植物学者以外は、この花の真目的を嘆美するのではなくて、多くは、ただその表面に現れている美を賞観して楽しんでいるにすぎない。花に言わすれば、誠に迷惑至極と歎つであろう。花のために、一掬の涙があってもよいではないか。

日本に作っている芍薬は、中国から伝わったものであろう。今は広く国内に培養せられ、その花が美麗だから衆人に愛せられる。中国では人に別れる時、この花を贈る習慣がある。つまり離別を惜しむ記念にするのであろう。

来、水仙は昔中国から日本へ渡ったものだが、しかし水仙の本国はけっして中国ではなく、大昔遠く南欧の地中海地方の原産地からついに中国に来り、そして中国から日本へ来たものだ。中国ではこの草が海辺を好んでよく育つというので、それで水仙と名づけたのである。仙は仙人の仙で、この草を俗を脱している仙人に擬えたものでもあろうか。

水仙には絶えて実を結ばないこと、かのヒガンバナ、あるいはシャガと同様である。けれども球根で繁殖するから、実を結んでくれなくっても、いっこうになんらの不自由はない。そうしてみると、水仙の花はむだに咲いているから、もったいないことである。ちょうど、子を生まない女の人と同じだ。

Iris は虹の意で、それは属中多くの花が美麗ないろいろの色に咲くから、これを虹にたとえたものだ。

昔は紫の色はみな紫根で染めた。これがすなわち、いわゆる紫根染めである。今はアニリン染料に圧倒せられて、紫根染めを見ることはきわめてまれとなっている。私は先年、秋田県の花輪町の染め物屋に頼んで、絹地にこの紫根染めをしてもらったが、なかなかゆかしい地色

日本にはスミレの品種が実に百種ほど(変種を入れるとこれ以上)もあって、これがみなスミレ属 Viola に属する。これによってこれを観れば、日本は実にスミレ品種では世界の一等国といってよい。

今日ではたいていのスミレ類は果実が稔らない。そして花の済んだ後に、微小なる閉鎖花がしきりに生じて自家受精をなし、能く果実ができる特性がある。

パンジーはスミレ属の一種で、三色スミレと呼ばれる。すなわち、一花に三つの色があるというのである。

いったい日本人は花の香いに冷淡で、あまり興味を惹かないようだが、西洋人と中国人とはこれに反して非常に花香を尊重する。かの素馨〔ジャスミン〕などは大いに中国人に好かれる花の一つで、市場で売っており、薔薇の玫瑰(日本の学者はハマナシ、すなわち誤っていうハマナスを玫瑰としていれど、それはむろん誤りである)も同国人に貴ばれ、その花に佳香があるので茶に入れられる。ゆえに Tea rose の名がある。

ヒマワリは一名ヒグルマ、一名ニチリンソウ、一名ヒュウガアオイと呼ばれ、アメリカ合衆国の原産であるが、はやくに広く世界に広まり、諸国で栽培せられている。そしてわが邦へはけだし、昔中国からそれを伝えたものであろう

世人は一般に、ヒマワリの花が日に向こうて回るということを信じているが、それはまったく誤りであった。

ヒマワリの姉妹品にキクイモがあって同属に列する。その学名を Helianthus tuberosus L.(この種名は塊茎を有する意)と称し、俗に Girasole または Jerusalem artichoke と呼び、やはりアメリカ合衆国ならびにカナダがその原産地である。地中にジャガイモ(馬鈴薯というは大間違い)のような塊茎が生じて食用になるのだが、それにまったく澱粉はなく、ただイヌリン(ゴボウと同様)があるのみである。味は淡白であって美味くないから、だれも食料として歓迎しない。しかれども方法をもってすれば、砂糖が製せられるから捨てたものではない。

ユリの諸種はみな宿根草である。地下に鱗茎(俗にいう球根)があって、これが生命の源となっている。すなわち茎葉は枯れても、この部はいつまでも生きていて死なない。 鱗茎は白色、あるいは黄色の鱗片が相重なって成っているが、この鱗片は実は葉の変形したものである。そして地中で養分を貯えている役目をしているから、それで多肉となり、多量の澱粉を含んでいる御蔵をなしているが、それを人が食用とするのである。
鱗片が相擁して塊り、球をなしているその球の下に叢生して鬚状をなしているものが、ユリの本当の根である。

たくさんあるユリの種類の中で、最もふつうで人に知られているものが、オニユリである。これは中国にも産し、巻丹の名がある。それは花蓋片が反巻し、且つ丹いからである。このオニユリの球根、すなわち鱗茎は白色で食用になるのであるが、少しく苦味がある。
ヤマユリの球根は、食用として上乗なものである。ゆえに古より、料理ユリの名がある。このヤマユリは日本の特産で、中国にはないから、したがって中国名はない。

テッポウユリは沖繩方面の原産で、筒の形をした純白の花が横向きに咲き、香気が高い。このユリを筑前〔福岡県北東部〕では、タカサゴと呼ぶことが書物に出ている。そしてこのテッポウユリは、輸出ユリとして著名なもので、その球根が大量に外国に出て行く。

スカシユリは、ふつうに栽培して花を咲かせていて、その花色には赤、黄、樺〔赤みを帯びた黄色〕などがある。花は上向きに咲き、花蓋片のもとの方がたがいに透いているので、スカシユリの名がある。

輸出ユリとしては日本が第一で、年々たくさんな球根が海外へ出ていた
その輸出ユリの第一はヤマユリ、次がテッポウユリ、次がカノコユリという順序だろう。

ハナショウブは世界の Iris 属中の王様で、これがわが邦の特産植物ときているから、大いに鼻を高くしてよい。

このドクダミははなはだ抜き去り難く、したがって根絶せしめることはなかなか容易でなく、抜いても抜いても後から生え出るのである。

花の中の子房が花後に成熟して実になったものは、果実そのものの本体で、すなわち正果実である。 ウメ、モモ、ケシ、ダイコン、エンドウ、ソラマメ、トウモロコシ、イネ、ムギ、ソバ、クリ、クヌギ、ならびにチャの実などがそれである。
また、果実には他の器官が子房と合体し、共同で一の果実をなしているものもある。すなわちリンゴ、ナシ、キュウリ、カボチャ、メロンなどがそれである。 また、他の器官が主部となって果実をなしているものもあって、そんな場合は、これを擬果とも偽果とも称える。すなわちオランダイチゴ、ヘビイチゴ、イチジク、ノイバラの実などがそれである。

果実の食用となる部分は、果実の種類によってかならずしも一様ではない。モモ、アンズなどは植物学上でいうところの中果皮の部を食用とし、リンゴ、ナシなどは実を合成せる花托部を食しており、ミカンは果内の毛を食し、バナナは果皮を食し、イチジクは変形せる花軸部を食用に供している。

リンゴの果実は、これを縦に割ったり横に切ったりして見れば、よくその内部の様子がわかるから、そうして検して見るがよい。 その中央部に五室に分かれた部分があって、その各室内には二個ずつの褐色な種子が並んでいる。そしてその外側に区切りがあって、それが見られる。すなわちこの区切りを界としてその内部が真の果実であって、この果実部はあえてだれも食わなく捨てるところである。そしてこの区切りと最外の外皮のところまでの間が人の食する部分であるが、この部分は実は本当の果実(中心部をなせる)へ癒合した付属物で、これは杯状をなした花托(すなわち花の梗の頂部)であって、それが厚い肉部となっているのである。

これで見ると、このリンゴの実は本当の果実は食われなく、そしてただそのつきものの変形せる花托、すなわち花梗の末端を食っている

元来リンゴは林檎(和リンゴ)の音であるから本当のリンゴをいう場合は何もいうことはないが、今日のように西洋リンゴ(トウリンゴ)を単にリンゴと呼ぶのは、実は当を得たものではないことを知っていなければならない。

ミカンは、その毛の中の汁を味わっている、と聞かされるとみな驚いてしまうだろうが、実際はそうであるからおもしろい。もし万一ミカンの実の中に毛が生えなかったならば、ミカンは食えぬ果実としてだれもそれを一顧もしなかったであろうが、幸いにも果中に毛が生えたばっかりに、ここに上等果実として食用果実界に君臨しているのである。
いずれも甘汁もしくは酸汁を含んでいる毛がその食用源をなしているのである。

ミカン類の果実を剥いて見ると、表面の皮がまず容易にとれる。その中には俗にいうミカンの嚢が輪列していて、これを離せば個々に分かれる。そしてその嚢の中に汁を含んだ膨大せる毛と種子とがあって、その毛はその嚢の外方の壁面から生じており、その種子は内方の底から生じている。

果実としてのバナナは元来そのいずれの部分を食しているかというと、実はその果実の皮を食しているので、これはけっして嘘の皮ではなく本当の皮である。もしもバナナにこの多肉質をなした皮がなかったならば、バナナは果実としてなんの役にも立たないものである。

バナナを食うときはだれでもまずその外皮を剥ぎ取り、その内部の肉、それはクリーム色をした香いのよい肉、を食する。そしてこの皮と肉とは、これは共にバナナの皮であるが、皮のように剥げる皮は実はその外果皮で、これは繊維質であるから、それが細胞質の肉部すなわち中果皮内果皮から容易に剥ぎ取れるわけだ。この繊維質部は食用にならぬが、食用になるのはその次にある細胞質の部のみで、これが前記のとおり中果皮と内果皮とである。

元来このバナナが正しい形状を保っていたなら、こんな食える肉はできずに繊維質の硬い果皮のみと種子とが発達するわけだけれど、それがおそろしく変形して厚い多肉部が生じ種子はまったく不熟に帰して、ただ果実の中央に軟らかい黒ずんだ痕跡を存しているのみですんでいる。すなわちこれは果実の常態ではなくまったく一の変態で、つまり一の不具である。すなわちこれが不具であってくれたばっかりに、吾人はこの珍果を口にする幸運に遭っているのである。要するに、われらはバナナの中果皮、内果皮なる皮を食って喜んでいるわけだ。

中国名の芭蕉は一に甘蕉ともいい、実はバナナ、すなわちその果実の味の甘いバナナ類を総称した名である。ゆえにバナナを芭蕉といい、甘蕉といってもよいわけだ。

オランダイチゴは今日市場では、単にイチゴと呼んで通じている

このオランダイチゴ、すなわちストローベリの実の食うところは、その花托が放大して赤色を呈し味が甘く、香いがあって軟らかい肉質をなしている部分である。人々はその花托すなわち茎の頂部、換言すればその茎を食しているのであって、本当の果実を食っているのではない(いっしょに口には入って行けども)。

されば本当の果実とはどこをいっているかというと、それはその放大せる花托面に散布して付着している細小な粒状そのもの(図の右の方に描いてあるもの)である。 ゆえにオランダイチゴは食用部と果実とはまったく別で、ただその果実は花托面に載っているにすぎない。

ヘビイチゴの実には甘味がないからだれも食わない。いやな名がついていれど、もとよりなんら毒はない。ヘビイチゴとは野原で蛇の食う苺の意だ。


植物に取り囲まれているわれらは、このうえもない幸福である。こんな罪のない、且つ美点に満ちた植物は、他の何物にも比することのできない天然の賜である。実にこれは人生の至宝であると言っても、けっして溢言ではないのであろう。

植物の研究が進むと、ために人間社会を幸福に導き人生を厚くする。植物を資源とする工業の勃興は国の富を殖やし、したがって国民の生活を裕かにする。ゆえに国民が植物に関心を持つと持たぬとによって、国の貧富、したがって人間の貧富が分かれるわけだ。貧すれば、その間に罪悪が生じて世が乱れるが、富めば、余裕を生じて人間同士の礼節も敦くなり、風俗も良くなり、国民の幸福を招致することになる。想えば植物の徳大なるかなであると言うべきである。

人間は生きている間が花

また私は世人が植物に趣味を持てば次の三徳があることを主張する。すなわち、第一に、人間の本性が良くなる。野に山にわれらの周囲に咲き誇る草花を見れば、何人もあの優しい自然の美に打たれて、和やかな心にならぬものはあるまい。氷が春風に融けるごとくに、怒りもさっそくに解けるであろう。またあわせて心が詩的にもなり美的にもなる。 第二に、健康になる。植物に趣味を持って山野に草や木をさがし求むれば、自然に戸外の運動が足るようになる。あわせて日光浴ができ、紫外線に触れ、したがって知らず識らずの間に健康が増進せられる。 第三に、人生に寂寞を感じない。もしも世界中の人間がわれに背くとも、あえて悲観するには及ばぬ。わが周囲にある草木は永遠の恋人としてわれに優しく笑みかけるのであろう。 惟うに、私はようこそ生まれつき植物に愛を持って来たものだと、またと得がたいその幸福を天に感謝している次第である。







人間は生きている間が花、という言葉がとても印象に残りました。
生まれる前はつぼみで、死んだら枯れる。たしかにそうなのかもしれないのですが、
死んでからも花であれるのであれば、花でありたいなぁ、なんて贅沢なことを思いました。
でもそう在れれば嬉しいです。

花は生殖器だなんて考えたことがなかったので、今後ちょっと花を見る目が変わりそうです。

スポンサーサイト

Pagination

Trackback

Trackback URL

http://forbookbloghiro.blog.fc2.com/tb.php/253-54eb2642

Comment

Post Your Comment

コメント:登録フォーム
公開設定

Utility

Profile

Hiro

Author:Hiro
読んだ本の記録。忘れたくない言葉。

Category

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。