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お米の話 (北大路 魯山人)

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ご飯に対する意識が変わる本。





飯は料理ではないという考えを改め、立派な料理だと考えなければならない。

料理人は飯なんてものは、無意識のうちに料理ではないと考えているらしい。

飯は最後のとどめを刺すものであり、下戸には大事な料理である。料理をするほどの者が、自信をもって飯が炊けないということは、無茶苦茶な振舞いであり、親切者とはいえないことになる。

たいていの料理人は自分の受け持ちの料理さえ出してしまうと、後の飯がどうであろうと、一切お構いなしで帰ってしまう。それでは料理人としての資格はゼロに等しいといわれても、彼らは一向に頓着しない。理想がないからだ。

ところが、料理屋というものの多くは、酒飲み本位に工夫されている

本当の料理人ならば、仮に自分で飯を炊かなくとも、飯がうまく炊けたかどうかということについて、相当気になるはずであるなぜなら、せっかくいい料理を作っても締めくくりに出る飯がだめだったら、すべてがぶちこわしになってしまうからである

玄米は白米とは別な意味で非常にうまい。玄米のごはんにご馳走をつけて出すのは蛇足である。漬けものでもあれば充分である。だから、いくらうまいといっても、料理の後では邪魔になる。

うまいからこそ毎日食べていられるわけなのである。特にうまい米は、もうそれだけで充分で、ほかになにもいらなくなってしまう。

その昔、朝鮮で李王さまにあげるために作っていた米がある。これはすこぶるうまかった。収穫は非常に少ないが、米粒の形もよく、見たところもきれいな米であった。ただし、あまりうますぎて、副食物がご馳走の目的の場合には使えない。うますぎるというと変に聞こえるかも知れないが、元来米というものはうまいものである。うまいものの極致は米なのである










読んでよかった!と思えた本です。
日本国民全員が読むべきだなぁと思いました。
お米が美味しいなんて当たり前だったから、余計そう感じてしまいます。

一度ニュージーランドにいたときは、タイ米ばかり食べていたので、
あの頃は日本米の美味しさを尊んだものでした。あの頃の気持ちをちゃんと心に留めておきたいものだと
改めて思いました。



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Hiro

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読んだ本の記録。忘れたくない言葉。

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