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ウエハースの椅子 : 江國 香織

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恋愛、記憶、絶望。



・私は無口な子供だったが、それは、自分をまるで、紅茶に添えられた、使われない
 角砂糖であるかのように感じていた。
 役に立たない、でもそこにあることを望まれている角砂糖でいるのが。

・彼は私の首と左の乳房を好きだと言い、私は彼の唇が、そこにおしあてられるのが
 好きだ。

・永遠に死なないことにする

・死は、残った者たちの新しい生活をつくる。

・私たちはみんな、神様の、わがままな赤ん坊なのだ。

・帰り道、私は注意深く、来たときと別の道を選んで帰る。
 上手く一人に戻れるように。

・人はなんだって子供を小学校に通わせたがるのだろう。
 何をするにも2列に並ばされ、隣の子供と手をつながされた。
 とびたくもない跳び箱をとぶために、「勇気」をだすよう求められた。

私は仕事で人に会うのが好きだ。恋人がいなくてもちゃんと一人でやっている、
 という気になる。


・幸福な体温

・肌は深い森の匂いがする

・ウエハースの椅子は、私にとって幸福のイメージそのものだ。目の前にあるのに、
 そして、椅子のくせに、決して腰をおろせない。

・世の中はどこもかしこもメッセージで溢れているので、なんだかうんざりしてしまう

子どもの頃、果物屋になりたいと思っていた。果物の、色や匂いや形に惹かれた。
 味ではなく。私にとって大切なのは、フォルムや重みや質感。


・「あなたって、悪い夢みたい」
 私は、自分が恋人の人生の離れに間借りしている居候のように感じる。
 彼のオプションのように。

・「お前は渾身の力を込めて泣くな」
 「まるでこの世の終わりみたいだな」

・誰かをどこかに閉じ込めるなら、そこが世界のすべてだと思わせてやらなければ
 ならない。

いつまでだろう。私はこのひとを、いつまでそんなふうに錯覚させておけるのだろう。

・「過不足はないわ」
 「あなたといると、何の過不足もない」
 何の過不足もない、ということは、それ自体何かが欠落しているのだ。

・みちたりた絶望

・恋をした人間を助けることは、誰にもできない。

・信じ切っていなければ、愛に意味などないことを知っていた。

・いきどまりだ、

・おいで、

子どものころ、なにが苦痛だったかといえば、時間が無限で途方もないことだ。

・見馴れぬ男の身体は、単純に不思議だった。私はそれをしげしげと見て、
 こわごわ触った。知らない街を歩くのに似ていた。
 ゆうべの出来事を性交と呼ぶのなら、普段私が恋人としていることは、性交では
 ないのだろう。すべてのあと、私はふいに空々しいキモチになった。
 男が、はやく帰ってくれればいいと思った。
 とりたてて後悔はしていなかった。ただ、自分がまぬけになったような気がした。




絵國さんの描く登場人物は、実際に存在していそうで、存在し得ないような人たち。
ぼくにとってそこが彼女の小説の中で一番魅力的なところ。
現実を見ているようで、夢を彷徨っているみたいな感覚になれるから。気持ちがいい。


この本は不倫における幸福と行き止まり感がよく描かれていると思う。
正直、著者の本はたくさん読んできたけど、これはトップ3に入るすばらしさだった。(あくまでぼくの中だけど)

特に子どもの頃の回想が印象に残った。
ぼくも子どもの頃、時間がありすぎてうんざりしていたから。
もっと一日が早く終わればいいのに、って思うくらいに。
なんでだったんだろうと今考えると、子どもの頃って目標が何もなかったからだと気付く。
あの頃ぼくは、ただ、生きているだけだった。

そう思うと、今はすごく幸せである。
やりたいことがあるし、未来のことを考えると楽しくなるし、頑張らなくちゃと思うから。

でも、そういう自分になれたのも、子どもの頃の怠惰な自分がいたからだというのは明白。
だって、すごく時間を無駄にしていたんだ、と思ってしまうから。取り返さなくちゃ、って。



なんであれ、素敵な小説でした。



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Hiro

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