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死について考える : 遠藤周作

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著者が遺そうとした心優しいメッセージ。死への見解が変わる。




・案ずるよりは死ぬは易し

・人間は死を2回体験する、出産のときに死の体験の感覚を味わって、その次には
 本当の死を体験する

・美しく老いるというけれども、老年時代の現実は、決して美しいものではない

・「遠藤君、君はまだ若いからそんなこと考えたことないだろうけど、若いときは
  若さで生きていける、壮年まではまだ社会が大事にしてくれる、老年になって
  不要になったとき、どう美しく生きるかを今から考えておかなきゃ」

・上手に年をとるということは知識の量がふえて、しかも円熟した生き方をすること
 でしょう。

・死ぬときは死ぬがよし、といった一茶のように悟るのは大変

・セスブロン
 「ある人たちにとって死は虚無と取っ組みあうこと。別の人たちにとっては
  自己と対決すること。また別の人には神のうちに沈むこと。」

・ホスピス 末期がんの患者に肉体の治療とともに心の慰めを与えること

・末期癌の患者から
 「死ぬんでしょうか」
 →若い看護婦なら「死にやしませんよ。大丈夫です。」
 →聖母病院の婦長なら「本当に苦しいでしょうねぇ。いずれ私だって、おばあちゃん
  と同じようになるんですよ。」
  苦しみというものには、必ず辛い孤独感がある。末期癌の患者の孤独感を理解と
  連帯感によってやわらげてあげている

・一度死んで息をふきかえした蘇生者2万人を調査して知ったのですが、この人たちは
 死んだあと自分を愛してくれた人、自分が愛した人で、既に死んでしまった人たちと
 死の世界で会えた、という共通経験が多いんです。

・私が死ぬことに悦びをもし感ずるとしたら、死んだ母親や兄に会えるからです。

・実際に現場にいる者の倫理と、傍観者の倫理がぜんぜん違うので、それが医者にとっ
 て一番辛い

・癌になると、90%は癌だと思いながら、10%は癌と思いたくないという気持ちが
 働くそう

・一方に死なれて、そのショックから再起させるのがグリーフ・エデュケーション

・昼間は検査とか何やかやで気が紛れるけど、夜、9時になって消灯してから、
 患者の生活が終わって、人生がはじまる

・自分のからだはゆっくりゆっくり落下して行くのだが、とても気持ちがよく、
 何ともいえぬ心持のいいリズムで音が聞こえた。
 死ぬというのは恐いものではなく、こんなに気持ちのいいものなのか

・キューブラー・ロスは、もうひとつの世界があるというのは、宗教的観点から
 ではなく、そういう臨死体験をした人たちの経験談から確信するようになりました

・キューブラーは、死の世界にいくとき、慈愛に満ちた光に包まれると報告している

・生活は私の考えでは自分の心の奥底にあるもの、自分の人生の核になっているものを
 無視、軽視していなければなかなか成立しないもの。

・ガス室でたくさんの人間を殺したあと、その人間が音楽界にいって、モーツァルト
 なんかを聴いて楽しんでいるのです。そういう記録も残っているのです。

・私は、先祖はみな永遠の生命の中におられると思っていますので、先祖を拝むという
 ことは、永遠の生命の中に入ってしまった先祖に、
 「私もやがてそちらに行きます。また会えるのですね。」と言っていることだと思う

・中国では教師である先生を、老師と言うのは、「老」には敬意を表す意味があるから
 でしょう

・今は若い人たちにもお遍路さんが流行して、八十八ヶ所をまわっているようだけど、
 あれは一種の観光旅行です。

・定年とか、第二の人生とかいわれていますが、それは退却を転進といったのと
 似ているように思います。昔は隠居するということは次の世界を信じ、そこに
 向かう旅支度だったのです。隠居生活は今までの生活重点主義を捨てて人生を直視す
 ることだったのです。生活に心を集中していると、本当の人生がボヤけてしまう。

・作庭術。地上に露出している庭石は、石のほんの一部分だけで、地面の下には
 もっと大きな部分がかくれていることを庭師から聞いたことがある。そしてその
 根石があるために、地上に顔をみせている石の坐りも、落ち着きもいいのだ。

・死が身近になると、今まで気にもしなかったものがそれぞれ深い意味を持って
 話しかけてくる

・セスブロンの言葉
 「死というのは、たぶん、海みたいなものだろうな
  入っていくときはつめたいが、いったん中に入ってしまうと・・・」
 入っていくときはなはだ冷たい。冷たいから叫んだって、もがいたっていいんです。
 それが通過儀礼としての死の苦しみでしょう。しかしいったん入ってしまった海はー
 永遠の命の海で、その海には陽光がきらめくように、愛がきらめいている・・・。

・常に健康な者は病弱な人の気持ちが絶対に理解できないと私(大久保房男)は思ってい
 る。







死についての本。最近はそれについて考えることが多かったので、
本棚にあった前買ったこの本を手にとった。



とりわけ、キューブラー・ロス医師の内容が印象に残る。
他の著者の本でも何度も出てきたと思うのだけど、今回の読書でもうこの人の名前は忘れないと思う。




もし著者のいうように先祖はみな永遠の生命の中にいるのなら、
そこにどんな気持ちでいるのだろうかと考えた。

自分は、永遠はあまり好きではない。

何事も終わりがあるから、努力をするし、悲しみもする。それが美しさを創るのに、
死んだら永遠になるなんて、ぼくはなんだか嫌な気持ちになった。

でも、先述のキューブラー師が言うように、死ぬときあたたかい光に包まれるのなら、
永遠というのは、とても心地よいものなのかもしれない。






一度死んでみたい、と不謹慎ながら思わされた本だった。


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Hiro

Author:Hiro
読んだ本の記録。忘れたくない言葉。

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