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美しい犬 (林 芙美子)

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ばけつをさげたおかみさんは、「まア、ペットがこんなところにいるよ。」といって泣き出してしまった。おかみさんは、主人の家を忘れないやさしいペットをみて、ほんとに、すまないことをしたと思った。

ペットは泣きたくなるほどさびしかった。

終戰になって、ペットの好きな人がだれもいなくなってしまうと、ペットははじめての冬を、ほんとに哀れなかっこうで暮らさなければならなかった。 疎開の人たちもまだ、あっちこっちの別莊に殘ってはいたけれど、ペットを飼ってくれるような、親切なひとは一人もいなかった。



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食べたり君よ (古川 緑波)

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「何が食いたい?」

そして、――思い出す、それは暑い日だった。――本みやけへ着くと、すぐ風呂へ入り、みんな裸になって――岡田嘉子を除く――ヘット焼の鍋を囲んだ。 赤葡萄酒を抜いて、血のしたたるような肉を食い、葡萄酒を飲んだ。 その時である。 牛肉には赤葡萄酒。 ということを、僕が覚えたのは。

「僕あ、ああいう美味いものを毎日食いたいと思って、努力を続け、漸く、それ位のことが出来るような身分になりました。ところが、何うでしょう先生、食うものが世の中から消えてしまいました」 と言ったら、先生は、ワハハハハと、まるで息が切れそうに、何時迄も笑って居られた。

正直のところ、僕は、ああいう美味いものを毎日、思うさま食えるような身分になりたい。それには、何うしても千円の月収が無ければ駄目だぞ、よし! と発憤したものである。

そして、デザートに出た、ババロアの味、ソーダ水の薄味のレモンのシロップ。

ライスカレーも、ペロペロッと――





ババロア、ソーダ水、レモンのシロップ、これらの言葉に昭和の良き時代の響きを感じるのは何でなんでしょうね。
ぼくだけでしょうか?


「貧乏人でも、高級レストランに行って一度食べておくと、その後そのレストランに通えるぐらい出世する。」みたいなことを、遠藤周作先生もおっしゃっていました。やっぱり食べ物によって「もっとお金を稼いでやろう!」的な感じで奮起される部分って人間は大きいと、ぼくも思うのです。

朝御飯 (林 芙美子)

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私はこのごろ、朝々レモンを輪切りにして水に浮かして飲んでいるけれど運動不足の躯には大変いいように思う。いまごろだと苺の砂糖煮もパンとつけあわせて美味いし、いんぎんのバタ炒り、熱い粉ふき藷に、金沢のうにをつけて食べるのなど夏の朝々には愉しいものの一つだと思う。

朝たべられる果物は躯に金のような作用をするそうだけれども、

御飯と茶の味でその家の料理のうまいまずいがわかる

朝々のお茶の類は、うんとギンミして、よきものを愉しむ舌を持ちたいものだ。

朝々、バタだけはふんだんに召上れ。皮膚のつやがたいへんよくなります。外国では、バタをつかうこと日本の醤油の如くです。バタをけちけちしてる食卓はあまり好きません。

そのほか私の発明でうまいと思ったものに、パセリの揚げたのをパンに挟むのや、大根の芽立てを摘んだつみな、夏の朝々百姓が売りに来るあれを、青々と茹でピーナツバタに和えてパンに挟む。御実験あれ。なかなかうまいものです。

トマトはビクトリアと云う桃色なのをパンにはさむと美味い。トマトをパンに挟む時は、パンの内側にピーナツバタを塗って召し上れ。美味きこと天上に登る心地。そのほか、つくだ煮の類も、パンのつけ合せになかなかおつなものです。

夏の朝々は、私は色々と風変りな朝食を愉しむ。「飯」を食べる場合は、焚きたての熱いのに、梅干をのせて、冷水をかけて食べるのも好き。春夏秋冬、焚きたてのキリキリ飯はうまいものです。飯は寝てる飯より、立ってる飯、つやのある飯、穴ぼこのある飯はきらい。子供の寝姿のように、ふっくり盛りあがって焚けてる飯を、櫃によそう時は、何とも云えない

徹夜をして頭がモウロウとしている時は、歯を磨いたあと、冷蔵庫から冷したウイスキーを出して、小さいコップに一杯。一日が驚くほど活気を呈して来る。とくに真夏の朝、食事のいけぬ時に妙である

淹れたてのコオフィ一杯で時々朝飯ぬきにする時があるが、たいていは、紅茶にパンに野菜などの方が好き。このごろだったら、胡瓜をふんだんに食べる。胡瓜を薄く刻ざんで、濃い塩水につけて洗っておく。それをバタを塗ったパンに挟んで紅茶を添える。紅茶にはミルクなど入れないで、ウイスキーか葡萄酒を一、二滴まぜる。私にとってこれは無上のブレック・ファストです。






読んでいて、自分がいかに朝食を楽しめていないかに気付かされます。だって、いつも昨夜のご飯の残りか、トーストにシリアルなのです。

著者のように、なんだか心に余裕のある、楽しい朝食を心がけたいと思いつつ、いつものせわしない時間の流れを味わっているわけです。残念無念。

蜘蛛の糸 (芥川 竜之介)

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自分ばかり地獄からぬけ出そうとする、犍陀多の無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、御釈迦様の御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。

自分一人でさえ断れそうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数の重みに堪える事が出来ましょう

地獄と極楽との間は、何万里となくございます

この糸に縋りついて、どこまでものぼって行けば、きっと地獄からぬけ出せるのに相違ございません。いや、うまく行くと、極楽へはいる事さえも出来ましょう。そうすれば、もう針の山へ追い上げられる事もなくなれば、血の池に沈められる事もある筈はございません。

翡翠のような色をした蓮の葉の上



小公女 (バーネット フランシス・ホジソン・エリザ)

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ね、私、ひもじい苦しみは身に沁みて味っているでしょう。ひもじい時には、何かつもりになったって、ひもじさを忘れることは出来ないのよ

親切な人ってものは、お礼はいわれたくなくても、幸福になったかどうかは、知りたいものよ。

 セエラは部屋に入ると、すぐ戸を閉め、それに背をもたせて、隅々を見廻しました。魔法の神は、留守の間にまたここを見舞ったと見えます。昨夜なかったものまでが持ちこまれてありました。低い食卓の上には、またしても御飯の支度がしてありました。しかも、今日はコップも、お皿も皆二人前そろえてあるのです。炉の上の棚には、目のさめるような刺繍をした布が敷いてあり、二三の置物が飾ってありました。醜いものは、すべて垂帷で隠してありました。美しい扇や壁掛が、鋭い鋲で壁にとめてありました。木の箱には敷物が掛けてあり、その上には、いくつかの座褥が乗っていて、寝椅子の形に出来ていました。

それから、ちょっと自分のお腹の上に手をおいて、
「こん中には、スウプに、サンドウィッチに、丸麭麺が入って行ったんだわ。」と、それだけは確かそうにいいました。

セエラは夢の中の人のように、幸福そうな微笑をたたえながら、

「あの、四つでいいんですよ。私、十銭しか持ってないんですから。」といいました。「二つはおまけですよ。あとでまた上るといいわ、あなたお腹がすいてるんでしょう。」「ええ、とてもひもじいの、御親切にして下すって、ありがとうございます。」

セエラの足を止めたのは、セエラよりも惨めな子供の姿でした。子供の姿は、まるで一塊の襤褸でした。

何かたまらないことがあると、私いつでも一生懸命、自分は宮様だと考えてみるの。『私は、妖精の宮様だ、妖精の私を傷けたり、不快にしたり出来るものがあるはずはない。』私自分にそういってみるの。そうするとなぜだか、いやな事は皆忘れてしまってよ。」

私こう思うのよ。心の職務は、身体が可哀そうな状態にある時、何かほかへ気を向けさせるようにすることだと。

「メルチセデクや、今日という今日は、宮様のつもりも辛かったわよ。いつもどころの辛さじゃアなかったわよ。だんだん寒くなって、往来がじめじめして来ると、私の務は辛くなるばかりだわ。ラヴィニアったら、私が裾を泥んこにしているって、嗤うのよ。私、思わずかっとして、危く何かやり返してやるところだったけど――でも、やっと我慢したの。かりにも宮様が、ラヴィニアみたいな下等な人の相手になるわけにはいきませんものね。

温い気持ってものは、窓とか、壁とか、そんな障碍物を越えて、相手の心に通じるものだと思うわ

好きなものは何でもますます好きになるのが、セエラの癖でした。

あなただって一つの物語だし――私も一つの物語よ

「鼠はきっと辛いに違いないわ、皆に嫌がられて。私だって、皆に嫌がられて、罠をかけられたりしたらたまらないわ、雀は、鼠とは大違いだわ。でも鼠は鼠になりたくてなったわけじゃアないのね。雀の方に生れたくはないかい? なんて聞いてくれる人があるわけじゃアないから。」

雨の日には雨だれの音が、何かいい事を話してくれてるようよ。星の夜は、継布の中にいくつの星が光ってるか、数えて見るの。

「私、そのつもりになるわ。つもりになってると、どんなにまぎれていいかしれないわ。」

「軍人は愚痴なんかこぼさない。」セエラは歯をくいしばりながらいうのでした。

セエラは、今はもう勉強どころではありませんでした。楽しいことは、何も教わりませんでした。忙しい一日がすんでから、古い本を抱えて、人気のない教室へ行って、一人夜学を続けるばかりでした。

料理番や、女中までが、ミンチン女史の真似をして、今まで永いことちやほやされていたこの娘っ子を、いい気持にこき使うのでした。

セエラはいつまでも、初めて屋根裏に寝た晩のことを忘れることは出来ませんでした。夜もすがらセエラは、子供にしては深すぎる、狂わしい悲しみにひたされていました。が、セエラはそのことを誰にも話しませんでした。また話したとて、誰にも解る悲しみではなかったでしょう。

「じゃア、どうか、そのお人形を持ってらしって下さい。私、そんなもの要りません。」 セエラが喚いたり怯えたりしたら、ミンチン女史はセエラをもう少しは劬ってやったかもしれません。女史は人を支配して、自分の力を試してみるのが愉快だったのでした。が、セエラの凛とした顔を見、誇のある声を聞くと、自分の力が空しく消えて行ったような気がして、口惜しくなるのでした。

「クルウ大尉が死んだのさ。一文なしで死んじゃったのだよ。あの気まぐれな我儘娘は、私の居候になったわけさ。」

今まで一番大事な生徒だったセエラは、いきなり乞食娘になってしまったのです。今までセエラのために立てかえたお金は、もう戻してもらう術もないのです。

その親友がダイヤモンド鉱山に夢中になって、大尉の金まですっかりその事業に注ぎこんでしまったのでした。親友が逃げたと聞いた時には、大尉はもう熱病にとりつかれていました。おそろしい打撃だったに違いありません。大尉は昏々と死んで行きました。娘のことを口走りながら――が、その娘のためには、一文も残さずに

「あなたは、いつもありもせぬことばかり考えているのね。」「そりゃアそうよ。私空想ほど面白いものはないと思うわ。空想はまるで妖精のようなものよ。何かを一生懸命に空想していると、ほんとうにその通りになってくるような気がするものよ。

宮様のつもりになる事は、セエラにとって、たくさんのつもりの中で、一番大切なものでした。大切なだけ、人に知られたくないつもりでした。それを、ラヴィニアは今、ほとんど学校中の生徒の前で、嘲ったのでした。

「セエラは、そのつもりになるためには、顔とか持物とかは、どんなでもかまわないっていうのよ。何を考え、何をするかということが、かんじんなんですって。」

もし、私がほんとうの宮様だったら、私は人民に贈物を撒きちらすことが出来るんだけどな。宮様のつもりになっただけでも、皆さんのためにしてあげられることは、いろいろあるわ。

薔薇色の蝶々のよう

「天国は花の咲いた野原ばかりなのよ。微風が吹くと、百合の匂いが青空に昇って行くのよ。そして、皆いつでもその匂いを吸っているのよ。小さい子達は花の中を駈け廻って、笑ったり、花輪を造ったりしているの。街はぴかぴか光ってるの。いくら歩いても疲れるなんてことはないの。どこにでも行きたいところへ飛んで行けるの。それから町のまわりには、真珠や金で出来た壁が立っているの。でも、みんなが行って寄りかかれるように低く出来ているのよ。みんなそこから下界を覗いては、にっこり笑って、そしていいお便りを送って下さるのよ。」

人はふとしたはずみで、いろいろになるものね。私はふとしたはずみから、あんないいお父様の子に生れたのね。ほんとうは私、ちっともいい気質じゃアないのでしょうけど、お父様は何でも下さるし、皆さんは親切にして下さるんですもの、気質がよくなるより他ないじゃアありませんか。私がほんとうによい子なのか、いやな子なのか、どうしたらわかるでしょうね。きっと私は身ぶるいの出るほどいやな子なのよ。でも、私は一度もひどい目にあわなかったものだから、どなたも私のわるい所がわからないのだわね。」

ミンチン女史は、心ではセエラを嫌っていましたが、こんな金持の娘を失ってはならないという慾から、事ご
とにセエラをほめそやして、学校生活をあかすまいとしました。

それから一時間は、セント・ジョンにとって、今まで考えたこともないような楽しい時間でした。午餐の鈴が鳴って、食堂に降りて行くのもしぶしぶなくらいでした。

「あのお人形――歩けるの?」「ええ。どうしても歩けるはずだと思うの。歩けると思ってるつもりなのよ。そう思うとほんとにそう見えるんですもの。あなた、いろんなことのつもりになってみたことある?」

ジュフラアジ先生は微笑みはじめました。先生の微笑は非常に喜んでいるしるしでした。セエラの子供らしい美しい声が、自分の母国語をこうまで率直に、可愛らしく語るのを聞いていると、まるで故郷にでもいるような気がするのでした。暗い霧のロンドンにいると、いつもは故郷が世界のはてのように遠く思われるのでしたが。‥

お人形ってものは、何だかいくらお話しても聞いてないような顔しているから

家にあるものは何もかもぶざまでした。椅子も、絨氈の模様も、真四角で、柱時計まできびしい顔つきをしていました。

父はその実ちっとも諦めてはいなかったのでしたが、セエラにそうと知らしてはならないと思いました。妙におどけた小さいセエラは、父にとってこそ、なくてはならぬ伴侶だったのです。






最近読んだ本の中で一番引き込まれた作品でした。それもそのはず、すごく有名なおはなし。
なにが個人的に面白かったかというと、セエラの幼いながらの気高さと、セエラなりの「つもり」の哲学。

ぼくも最近、仕事で暇があるときはセエラに倣ってよく妄想をしているのですが、頭の中で描いたものが鮮明であればあるほど、たしかに現実になっている実感があります。

きっと子どものころ読んでいたら、理解できなかったであろう、セエラの哲学、大人になった今、すごく勉強になりました。


続癩院記録 (北条 民雄)

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酷暑の折や、厳寒の冬には死人が多く、どうかすると相次いで死んだ屍体が、その台の上に三つも四つも積み重なつてゐたりする。

実は彼等はここへ来るまで世の人々の言ふ癩病乞食であつたのである。つまり歩行の自由を奪はれた父親を、車のついた箱に載せ、その力の強い犬に曳かせて、この九つになつたばかりのミス・レバースは物乞ひして歩いたのである。そして彼女の母親もやはり病気で、その頃は既に立つ力もなく、家に寝て彼等の帰りを待つてゐたといふ、文字通りの人情悲劇である。

病気は軽症であるに加へて神経型のため、外面どこといつて病人らしいところがない。

まだ寒い風の吹く三月初めの頃十一二歳の少年が入院した。病気は軽く、眉毛は太く、くりくりとした大きな眼は田舎の児らしく野性的な激しさが輝いてゐた。が、右足を冒されてゐて関節が駄目になつてをり、歩くと足を曳きずつて跛をひいた。この子は叔父に連れられて来たのであるが、別れる時になると医局の柱にしがみついて大声で泣き、その夜も一晩泣き通した。実の父親とは八年前に生別したまま、叔父に育てられて来たのださうである。 ところが、この少年にとつては全然想像することも不可能になつてゐたであらうその父親は、やはりこの病院に入院してをり、病み重つて重病室に呻吟してゐたのである。父親は高度の浸潤にどす黒く脹れ上つて、腎臓病者のやうに全身ぶよぶよになつてをり、あまつさへ喉頭癩にやられた咽喉には穴があき、カニューレでからうじて呼吸をし、声は嗄れて一声出すたびに三四度もその穴で咳する有様である。

一体癩菌が結核その他の慢性病に較べてずつと伝染力が弱いといふことは医学でも言はれてゐることであるし、また患者数の激増等のない点から考へても頷けるが、やはり家族間では長い間の接触や、幼年期の最も伝染し易い時期に於ける病父母との接触等によつて伝染がたやすく可能なのであらう。

と言ふよりも半数以上は親兄弟を持つてをり、これによつても如何に家族間の伝染が激しいかを思はせられる

癩院にはどこの療養所でも親子、或は兄弟が揃つて入院してゐるのが少くない。

だが、驚くべきことは、かういふ姿になりながら彼は実に明るい気持を持つてをり、便所へ行くのも附添さんの世話になるのだからと湯水を飲むのも注意して必要以上に決して飲まないといふその精神である。そして煙草を吸はせてやつたり便をとつてやつたりすると、非常にはつきりした調子で「ありがたうさん。」と一言礼をのべるのである。また彼は俳句などにもかなり明るく、読んで聴かせると、時にはびつくりするくらゐ正しい批評をして見せる。私は彼を見るときつと思ふのであるが、それは堪へ得ぬばかりに苛酷に虐げられ、現実といふものの最悪の場合のみにぶつかつて来た一人の人間が、必死になつていのちを守り続けてゐる姿である。これを貴いと見るも、浅ましいと見るも、それは人々の勝手だ。しかしいのちを守つて戦ひ続ける人間が生きてゐるといふ事実だけは、誰が何と言はうと断じて動かし難いのである。

眼球が脱却して洞穴になつた二つの眼窩、頬が凹んでその上に突起した顴骨、毛の一本も生えてゐない頭と、それに這入つてゐる皸のやうな條、これが氏の首である。ちよつと見ても耳のついてゐるのが不思議と思はれるくらゐである。その上腕は両方とも手首から先は切断されてしまつてをり、しかも肘の関節は全然用をなさず、恰も二本の丸た棒が肩にくつついてぶらぶらしてゐるのと同然である。かてて加へて足は両方共膝小僧までしかない。それから下部は切り飛ばしてしまつてゐるのである。つまり一言にして言へば首と胴体だけしかないのである。こんなになつてまでよく生きてゐられるものだと思ふが、しかし首を縊るにも手足は必要なのであつてみれば、氏にはもう自殺するだけの動作すら不可能、それどころか、背中をごそごそ這ひ廻る蚤に腹が立つてもそれを追払ふことすら困難なのである。

人の年齢といふものは、顔の形や表情や体のそぶりなどによつてだいたい推察されるし、またさうしたヂェスチュアや表情などがあつてこそ年齢といふ言葉もぴつたりと板についた感じで使用出来るのである。ところがさうしたものが一切なくなつてしまつた人間になると、年齢といふことを考へるさへなんとなくちぐはぐなものである。Y氏は今年まだ四十七か八くらゐであるが、しかし氏の姿を見るともう年齢などといふ人間なみの習俗の外に出てしまつてゐるのを感じさせられる。たとへば骸骨を見て、こいつはもう幾つになるかな、などは考古学者ででもない限り誰でも考へないであらうやうに、Y氏を見ても年齢を考へるのは不可能なばかりでなくそんな興味がおこつて来ないのである。氏は文字通り「生ける骸骨」であるからだ。

かなり重症の、勿論結節型で高度の潰瘍に顔面は糜爛し、盲目であつた

ここへ来て一番最初吃驚させられたのは、いのちの初夜といふ小説の中にも書いて置いたが、喉頭癩にやられノドに穴をあけた男を見た時である。が、その次になんとも奇妙な感じがしたのは、眼球はどろどろになり果て、頭髪は抜け落ちた盲目の女が、陥没しかかつた鼻の穴に黒いゴム管を通して呼吸してゐるさまであつた。そしてそのゴム管の端が二本、並んで二分ほども外部へ出てゐるので、余計怪しく見えるのである。

「見るがいい。この病室の状を。―― 一体この中に一人でも息の通つてゐる生きた人間がゐるのだらうか。誰も彼も死んでゐる――凡てが灰色で死の色だ。ここには流動するたくましさも、希望の息吹きの音もない。いやそれどころか、ここには一匹の人間だつてゐないのだ。人間ではない。もつと別のもの、確かに今まで自分の見て来た人間とは異なつたものが断末魔の呻きを発してゐるのだ。自分もその中の一個なのだ。俺は死んだ、死んだ――。」

室内は膿汁に汚れたガーゼと繃帯でいつぱい。悪臭甚し。マスクをかけよと自分に奨めるものあり。マスクなど面倒なり。





こういう世界があることを知らないままで生きたくないものだ、といつも思うのですが、文章より現実はさらに苛酷なのでしょう。実際にもし自分がこの世界に足を踏み入れたとしたら、どうするでしょうか。

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Hiro

Author:Hiro
読んだ本の記録。忘れたくない言葉。

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