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恋愛の微醺 (林 芙美子)

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恋愛は生れながらにして悲劇なのだろう。悲劇でもよいから、せめて浪漫的な恋をとおもうが、すでに、世の中はせち辛くなっていてお互いの経済の事がまず胸に来る。

恋愛を悲劇にしてしまうのは、恋愛に甘くなるからだろう。正直になろうとしたり、その恋愛に純粋になろうとすることは、さしさわりのない人間同士の間のことだ。未婚の男女の恋愛には、既婚者のように徹するような思慮があるだろうか。私は解らなくなってしまう。

ふしだらな事かも知れないけれども、この世にあふれている無数の夫婦者の中に、こんな気持ちのない夫婦者はおそらく一人もありはしないだろう。一人の処女が結婚をして、初めてよその男に恋をするのは、あれはどうした事なのだろうか。見合結婚をして、一人の男の経験が済むと、何か一足とびに違った世界に眼がとどいてゆく。良人の友達の中に、あるかなきかの恋情を寄せてみたりする場合もある。そのあるかなきかの恋情は、ほんの浮気のていどで、家庭を不幸にするものじゃないとおもうがどうでしょうか

交通の整理された恋愛は、悪いことだとはおもわない。

十代の女の恋愛には、飛ぶ雲のような淡さがあり、二十代の女の恋愛には計算がともない、三十代の女には何か惨酷なものがあるような気がする。

恋人に逢った翌る日は、てきめんに生活が豊富になると云うのだ。

懶惰で無気力な恋愛がある。仕事の峠に立った、中年のひとたちの恋愛はおおかたこれだ。

恋愛と云うものは、この空気のなかにどんな波動で飛んでいるのか知らないけれども、男が女がこの波動にぶちあたると、花が肥料を貰ったように生々として来る。幼ない頃の恋愛は、まだ根が小さく青いので、心残りな、食べかけの皿をとってゆかれたような切ない恋愛の記憶を残すものだ。老けた女のひとに出逢うと、娘の頃にせめていまのようなこころがあったらどんなによかったでしょうと云う。だから、心残りのないように。




年代別の恋愛のたとえが面白いし、ウマイです。40代、50代、60代も教えて欲しい。。。
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柊の垣のうちから (北条 民雄)

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少くとも社会は忙しい

この「精神のゆるみ」とどんなに戦つたことだらう。しかしどんなに戦つても結局敗北して行くやうに思はれてならぬ。

毎日見る風景は貧弱な雑木林と死にかかつた病人の群である。膿汁を浴びて感覚は鉛のやうに艶を失ひ、やがて精神はたがのゆるんだ桶のやうにしまりを失ふのである。

美しい顔になりたいとは思ひはせぬ。ただ自分らしい表情を、自分以外には誰も持つてゐない私の表情を失ふのが堪らないのだ。

まだまだめでたい軽症者

彼は幼年期から既に病気であつた。そのために肉体的にも精神的にも完全な発育が出来なかつたのである。そして少年期からずつと療養所で育ち、大きくなり、文字通り蝕まれた青春を迎へたのである。

時々、マスクを除つた看護婦たちが嬉々として戯れるさまを、私はじつと見惚れることがある。そこには生き生きとした「人間」の表情があるからだ。若々しい表情があるからだ。 怒ることも笑ふことも出来ない。勿論心中では怒り、或は笑つてゐるのである。しかしその表情は白ばくれてゐるやうに歪んだままよだれを垂らしてゐるのだ。

眼は死んだ魚のそれのやうに白く爛れてしまふ。ごく控へ目に、ちよつと書いてすらこれである。ここにどんな表情が発見出来るだらうか。どんな美しい精神に生きてゐたとて、外面はけものにも劣るのである。況や神経型にやられたならば、口は歪んで、笑ふことも怒ることも、また感動することも出来ないのである。

どす黒く皮膚の色が変色し、また赤黒い斑紋が盛り上つてやがて結節がぶつぶつと生えて、それが崩れ腐り、鼻梁が落ち、その昔美しかつた頭髪はまばらに抜け、

「自分らしい表情やヂェスチュアを毀されて行くのは、ほんとに寂しいね。」

眼は心の窓であるといふが、表情は個性の象徴であらう。どんなまづい面であつても、またどんなに人好きのしない表情を持つてゐても、しかし自分の表情、自己の個性的な表情をもつてゐることはよろこばしいことであり、誇つてよいことであると思ふ。

私は入院するなり直ちに重病室へ入れられた。 私がそこでどんなものを見、どんなことを感じたか、言語に絶してゐてたうてい表現など出来るものではない。日光を見ぬうちは結構と言ふな、といふことがあるが、ここではちやうどその反対のことが言へる。そこは、色彩において全くゼロであり、音響においてはコンマ以下であり、香りにおいては更にその以下であつた。

他人の嫌ふ癩病と、私の癩病とは、なんとなく別のもののやうに思へてならなかつた時だつた

心の中に色々な苦しいことや悩しいことが生じた場合、人は誰でもその苦しみや懊悩を他人に打明け、理解されたいといふ激しい慾望を覚えるのではないだらうか? そして内心の苦しみが激しければ激しいほど、深ければ深いほど、その慾望はひとしほ熾烈なものとなり、時としてはもはや自分の気持は絶対に他人に伝へることは不可能だと思はれ、そのために苛立ち焦燥し、遂には眼に見える樹木や草花やその他一切のものに向つてどなり泣き喚いてみたくすらなるのではあるまいか? 少くとも私の経験ではさうであつた。




軽症者はまだまだめでたい、という言葉が印象に残りました。
実際はそうじゃないんですよね。でも、重症者があまりにも人間から離れていくさまを見ればそうも言いたくなるのだと思いました。


最も楽しい事業 (羽仁 もと子)

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赤ん坊はその生存と発達になくてならないものを、熱心に求めることを知っている。それは人類をつくり給いしものが、人類の本能のなかに、忘れずに用意して下さった働きだからである。その心もその身体と同じように丈夫に美しく育ちたいと熱心にのぞむ本能を与えられているのだと私は思っている。

なんという大きな事業であろう。なんという楽しい仕事であろう。

楽しい仕事のなかでも、多くの愛らしい赤ん坊が、よい子供に、よいおとなに育ってゆこうとする仕事を、手伝ってやる仕事ほど、楽しい仕事はないだろう

人の世になによりも楽しいものは仕事である。張り合いのあるものは仕事である。もしも私たちにすることが与えられてなかったら、毎日どんなにつまらないものだろう。





そうズバッと言い切れるのがすばらしいと思いました。
絶対的な誇りがあるのでしょうね。かっこいい。

たましいの教育 (羽仁 もと子)

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私たちは幼児に、時間通りに分量通りに、また乳の必要な時代に乳を、その他の食物の必要になってきた時代に他の食物をあたえる。それはなんのためだろう。時間通り分量通りに乳をやるのは、それでなくてはお腹を悪くするからだと、つい思っているような私たちであるけれど、決して決してそうでないことをはっきり考えていなくてはならない。そうすることは赤ん坊を命ぜられた健康に発達に導くためである

幼児は外形を見、その外形を鵜呑みにするものだから、裏店に育っている子供と、生活様式の十分にととのっている家の子供とは、言葉でも動作でも、その鵜呑みにしているものが雪と墨ほどちがうので、一方はいかにも上等の人らしく、一方は下等に見える。

身体は弱いけれども、精神の強い人はある。しかし霊性の強い人は少ないものである。

それだのにわれわれの実際はどうであろうか。教育のある母親ほど、子供の身体をかばいすぎてその活力を弱め、子供の心をかばいすぎて友だちを制限し、人間の霊性の偉大なものだということを忘れて、子供をただ幸福に導こう導こうとしている。考えてみるとみな信ずべきものを十分に信じないための現われだと思う。いいかえれば、人の親であり、教師であるわれわれの霊性の力が弱くなっているためだと思う。

身体も精神も霊性も活発であるかどうかは、いつでも幼児を見守るものの第一条件として、たえず気がついていなくてはならないことである。やや極端にいえば身体と精神と霊性と、この三つを含む活力を強くしてやりさえすれば、そのほかのことは何もいらないと思ってもよいほどである。

鵜呑みはどこまでも鵜呑みである。どんなによいことを鵜呑みにさせておいても、それが彼の一生を支配してゆく力はない。幼児時代から子供のもっているよい鵜呑みが、年とともにかれらの思いによって理解され、思想にまで信念にまで育ってゆくように助けなくてはならない。

思慮というものの全然芽を出していない幼児には、ただ外形ばかりが強い問題である。 幼児ほど形の上から物を鵜呑みにするものはない。そうしてその鵜呑みにしたことを、よいこととして守ってゆくものはない。 さらに幼児ほど好奇心の強いものはない。十分かれらの好奇心に投じてゆくならば、そのまちがっていることも、必ずなおしてしまうことができる。 それゆえ幼児には、外形をもってまずよいことを鵜呑みにさせることが必要である。


すみれ (北条 民雄)

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誰も見てくれる人がなくても、わたしは一生懸命に、出来る限り美しく咲きたいの。どんな山の中でも、谷間でも、力一パイに咲き続けて、それからわたし枯れたいの。それだけがわたしの生きている務めです。





独語 ――癩文学といふこと―― (北条 民雄)

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癩といふものは、性病とか、胃病とか、睾丸炎とか、まあそんなものと同じやうに、単に一つの病気の種類なのだ。そりや癩はたしかに他の病気と較べれば物凄いところがあるが、しかしそれは比較した上の五十歩と百歩との相違に過ぎない。もし癩者の書いたものが癩文学なら、結核者の書いたものは肺文学、胃病者の書いたものは胃文学といふことになつてしまふではないか。もしさうだとすると、ドストエフスキーはてんかん文学、夏目漱石は胃文学、ストリンドベリーは発狂文学――。やれやれ

横光利一氏は括弧といふものは作家の心理の一番よく出るところだと




今後は文中の括弧の中を注目して読んでみたいと思いました。

灰だらけ姫 またの名 「ガラスの上ぐつ」 (ペロー シャルル)

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けっこうなごちそうが、まもなく出ましたが、若い王子は、サンドリヨンの顔ばかりながめていて、ひとつものどにはとおりませんでした。

もうはち切れそうなうれしさ

かぼちゃを受けとると、妖女は、そのしんをのこらずくり抜いて、皮だけのこしました。それから妖女は、手に持ったつえで、こつ、こつ、こつと、三どたたくと、かぼちゃは、みるみる、金ぬりの、りっぱな馬車にかわりました。 妖女は、それから、台所のねずみおとしをのぞきに行きました。するとそこに、はつかねずみが六ぴき、まだぴんぴん生きていました。 妖女は、サンドリヨンにいいつけて、ねずみおとしの戸をすこしあげさせますと、ねずみたちが、うれしがって、ちょろ、ちょろ、かけ出すところを、つえでさわりますと、ねずみはすぐと、りっぱな馬にかわって、ねずみ色の馬車馬が六とう、そこにできました。

いつも、かまどの前にかがんで、消炭や灰の中にうずくまっていましたから、ままむすめの姉と妹は、からかい半分、サンドリヨン(シンデレラ)というあだ名をつけました。これは灰のかたまりとか、消炭とかいうことで、つまり、それは、「灰だらけ娘」とでもいうことになりましょう。






グリム童話ではお姉さんたちが足の指を切り落としたり、鳩によって失明させられるのだけど、こんな残酷な部分は正直今まで知りませんでした。それもそのはず、シンデレラはシンデレラでもいろいろとバージョンがあるみたいです。


恋によって”のども通らない状態”だったり、”はちきれそうな嬉しさ”だったりの表現がなぜか新鮮に見えました。

癩院記録 (北条 民雄)

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もし誰か、この地上で地獄を見たいと欲する者があるならば、夜の一時か二時頃の重病室を見られるやうすすめる。鬼と生命との格闘に散る火花が視覚をかすめるかも知れない。

怪しく口の曲つたのや、坊主頭や、鼻のない盲

患者達は決して言葉を聴かない。人間のひびきだけを聴く。これは意識的にさうするのではない、虐げられ、辱しめられた過去に於て体得した本能的な嗅覚がさうさせるのだ。

乾性即ち神経癩の患者にはたいてい一つは蹠疵といふのが出来てゐる。主として踵に出来るのであるが、麻痺のため痛みを感じない。それで歩行の不便を感ぜず歩き廻るので何時まで経つても治らないのである。これは一生疵と言はれてゐるほどで、だから繃帯なども毎日毎日幾年も続けて巻いたり解いたりしなければならない。かうして続けてゐるうちには何時しか繃帯を巻くことに趣味を覚えるやうになるのである。

癩患者にも趣味といふものはある。いや、どこよりも癩院は趣味の尊ばれる所かも知れない。一番多くの人がやるのは投書趣味であらう。彼等はこれを「文芸」と称してゐるが、俳句などは文字通り猫も杓子もといふ有様で、不自由舎などでは朝から晩まで、字を一字も知らない盲人が「睡蓮や……睡蓮や……」と考へ込んでゐたりする。

常識的な経験に信を置く結果、意外な失敗をやることがあると共に、また癩者独特の治療法を発見することもある。    その一つに「ぶち抜き」といふのがある。誰がこれを考へ出したのか私は知らない。しかし長い間のうちに何時とはなしに患者間で行はれるやうになつたのだらう。 それは両足に穴をぶち抜くのである。と言ふと誰でも吃驚するに違ひない。そこで説明を要するが、手取り早く言へば両足に一つづつ穴をあけて、そこから全身に溜つてゐる膿汁を排泄しようといふ仕掛なのである。足といつても、勿論どこへでもあけるのではない。やはり決まつた場所がある。長い間の経験で自然とそこに定められるやうになつたのであらう。それは、内踝の上部三寸くらゐのところで、比目魚筋の上に団子くらゐの大きな灸をすゑるのだ。間違つても脛骨の上にすゑてはならないさうである。先日私の友人の一人がそれをやつたから、一見して置くに限ると思つて見に行つたが、何しろ団子ほどもあるもぐさ(決して誇張してゐない)がぶすぶす燃え出すのだから物凄い。
ぶち抜きをやるくらゐの足はかなりひどく病勢の進んだ足で、勿論潰瘍や潰裂はないが(潰瘍や潰裂があればぶち抜く必要がない)完全に麻痺してをり、また汗も膏も出ないで常に鈍重な感じ

かうしてぶち抜くと、出来た疵が治らぬやうに注意すると共に、またこれが動機で内部へ深く腐り込んで行き足を一本切断したりするやうなことがないやうに気をつけながら、一ヶ月から二ヶ月くらゐ新聞紙を毎日取りかへる。この貼紙は新聞紙よりも油紙の方が良く、傘に貼られた紙を破つて来て利用するのが普通であるが、新聞でも悪いといふことはない。勿論消毒は十分に行はれねばならない。そして一ヶ月なり二ヶ月なり経つて、もう十分膿も出たし、足も軽くなつたと思はれると、今度はリバーノオルなり何なりをつけて疵を治してしまへばよい

夏などは発汗がないから焼けた空気が足の中に一ぱいつまつてゐるやうな感じで実際堪へられないのである。夜など床の中に這入ると、足の置場に困り、どこへどう置いてみてもだるく重く、まるで百貫目の石が足の先にぶら下つてゐるやうな感じで、安眠が出来ないのである。だからぶち抜きは、なんと言ふか、通風口のやうなもので、効果は確かにあるさうだ

注射するのはただ永年の惰性であつたり、また全然注射場へ現はれないのもある。だが殆どが、大して効果のないものだといふことを知つてをり、まあやらんよりはましだらう、といふくらゐの気持である。

病院には女が非常に少い。だいたいのところ女は男数の三分の一で、だから癩者の世界では女は王様のやうなものである。

小遣ひは一ヶ月七円と定められてゐるが、それは自宅から送金されたものを使ふ場合であつて、院内で稼いだ金はいくら使つても差支へない。だから働いてゐさへすれば小遣ひに困るといふことはないやうである。また不自由になつて不自由舎の人となり、或は三年五年と重病室で寝て暮したりする場合には、毎月いくばくかの補助金が下がる。

病院とはいふが、ここは殆ど一つの部落で、事務所の人も医者も、また患者達も「我が村」と呼ぶ

ここを第二の故郷とし、死の場所と覚悟

不自由舎へ這入らない程度の病状で、よし外科的病状や神経症状があつても、作業に出たり、女とふざけたり、野球をやつたり出来るうちは、健康者で、健康舎の生活をするのである。

不自由舎と健康舎とに大別され、不自由舎には病勢が進行して盲目になつたり義足になつたり、十本の指が全部無くなつたりすると入れられ、それまでは健康舎で生活する。ここで健康といふ言葉を使ふと、ちよつと奇異に感ぜられるが、しかし院内は癩者ばかりの世界であるから癩そのものは病気のうちに這入らない。

入院すると、子供を除いて他は誰でも一週間乃至二週間ぐらゐを収容病室で暮さなければならない。そこで病歴が調べられたり、余病の有無などを検査されたりした後、初めて普通の病舎に移り住むのであるが、この収容病室の日々が、入院後最も暗鬱な退屈な時であらう


烙印をおされて (北条 民雄)

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かうした小さな世界に隔離されたまま生涯を埋めて行く

気温の高低に非常に敏感で、そのため夜になつてあたりの温度が下つて来ると激しい痛みが襲つて来るのである。丁度筋肉と骨の間に、煮滾つた熱湯を流し込まれるやうな感じで、ひどい時には痛む腕を根本から断り除つてしまつたらどんなによからうと思ふ






生涯を埋める、という言葉がすごく印象的でした。
埋める、っていう表現がすごくネガティブで鈍く響きました。

眼帯記 (北条 民雄)

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もう暗くなりかかった眼を、もう一度あの明るい光の中に開きたい、もう一度あの光を見たい、彼女らは、全身をもってそう叫んでいるようであった

癩になって、こうした病院へはいり、この若さのままいっさいを、投げ捨てて生きて行かねばならない

憎み切りたい

二人とも、もうほとんど失明していた。 私は暗たんたるものを覚えながらも、ちょっとした充血くらいでこんなに不安を覚えている自分が羞ずかしく思われた。みんな明日にも判らぬ盲目を前にして黙々と生きているじゃないか、死ねなかったから生きているだけじゃないかと軽蔑するのは易い、しかし生きているというこの事実は絶対のものでありそれ自身貴いのだ、

こうした充血が確実に病気の進行を意味しており、一度充血した眼は、もう絶対に恢復することがないからである。もちろん充血はすぐ除れるが、しかし一度充血するとそれだけ視力が衰えているのである。そして、こういうことが重なり重なって、一段一段と悪くなり、やがて神経痛が始まったり、眼の前に払っても払っても除れない黒いぶつぶつが飛び始める。塵埃のようなそのぶつぶつは次第に数を増し、大きくなり、細胞が成長するように密著し合ってついに盲目が来るのである。これは結節癩患者が、最も順調に病勢の進行した場合であるが、その他にも強烈な神経痛で一夜のうちに見えなくなったり、見えなくなってはまた見え、また見えなくなっては見えしているうちについに失明してしまったり、それは色々の場合がある。とにかく充血は盲目に至る最初の段階

右眼は兎のようになっていた

病気が出てから三年くらいたつと、誰でもかなり視力は弱るし、それに無理に眼を使うと悪い結果はてきめんに表われるのである。癩者が何か書いたり、本を読んだりするのは、それだけでもかなりもう無理なことであるのに、私は昨夜はローソクの火で読んだりしたのである。

ある朝、眼をさましてみると、何が重たいものが眼玉の上に載せられているような感じがして、球を左右に動かせると、瞼の中でひどい鈍痛がする。私は思いあたることがあったので、はっとして眼を開いてみたが、ものの十秒と開いていることができなかった

私は不安がいっぱい拡がって来るので起きる気がしなかったのである





ハンセン病の目への症状にフォーカスした本でした。
いずれは失明する、と理解していながら生きている気持ちというのは、ぼくが思う以上に耐え難いのでしょうね。
そして避けることができない絶望感。勝つことができない病魔に闘い続けていた患者の方々には頭が下がります。

断想 (北条 民雄)

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無精に人間が恋しくなる

絶望に陥ち込むことが出来たらなあ、その時こそ、俺は自殺が出来るのだ。

人間は生きてゐる限りこの希望といふ生物を背負ふべき宿命をもつてゐるのだ。

自殺を覚悟するとみな一種の狂人か、放心状態に陥る。これが僕には不快なんだ。ただただ不快なんだ。さういふ状態になつて自殺するのは決して自殺とは言へないんだ。それは殺されたのだ。病気に、運命に






療養所に行くと、いわゆる普通と呼ばれる人たちに会うことがとても限られてくるからこその

「無精に人間が恋しくなる」

に心を打たれたのでありました。


なんで人間ってイヤなことは忘れようとしてしまうんでしょうね。
忘れなければ生きていけないからなんでしょうか。

外に出た友 (北条 民雄)

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片目になると太陽の光りまでも半分になつて、昼間でも夕暮の中を歩いてゐるやうな感じ

三日たつてYからの手紙が着いた。――牢獄を背負つて歩いてゐるやうなものです。かつて親しかつた人も、病院にゐた頃に同情を示してくれた人もみな敵です。敵は自分の体内にゐるといつた兄のお言葉も正しいが、しかしまた体外にもゐるのです。内も外も、みな敵ばかりです。癩者はボロ靴のやうに療養所といふごみ箱に捨てるのが人類の正しい発展となるのでせう。自分がボロ靴であることを意識しました――

水面に落ちた油のやうに、癩を有つた彼は人間社会から遊離させられるであらう。 果してさうであつた。

闇が私の肉体を食ふ音

私は部屋を出ると、花園の中などを歩いてみたが、空虚だつた。花は少しも美しくなかつた。

飯を食へば机の前に坐り、書けなくとも昼まではじつとしてゐ、昼食後ちよつと散歩をしてまた机の前に坐つて夜まで過す、これが私の毎日の生活の全部だつた

盲目の世界がどつと眼の前に現はれて来たやうに思つた。








ハンセン病が当時いかに残酷なものだったかが読んでいて悔しくなるほどでした。
「牢獄を背負って歩く」という例えが衝撃的でした。

そして片目の視力を失いつつある筆者の「花は少しも美しくなかった。」はつらい。
人の心を癒してくれる存在である花でさえ、もはや無駄なものに見えてしまうほどの絶望感なのですね。

自力更生より自然力更生へ (三沢 勝衛)

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「自分の辞書には不能という言葉はない」とまで言っておったと言い伝えられているそのナポレオンが、「あらゆる病気というものはわれわれ人間が素直に自然に順わなかった結果で、したがって一度病気にかかったならば、素直に自然に順っているに限る」といった意味のことを言い残しているということを聞きましたが、さすがのナポレオンも大自然には従順であったのか、もちろんそうあるべき、またなくてはならないわけであります。

「溺れた水は、また一面浮ばせる水でもあった」筈でございます。

雨も、雪も、風も、寒さも、さては、山も河も、なにも自然という自然に悪いものは一つもない筈であります。善悪はただ人間界だけの問題であります。


秋風の吹くようにならなければ、よい質の大根はできないといわれているその大根に対し、わがこの信州の持つ早冬的気候が手伝っているのでありまして、まことに信州のもつその風土性を織込んだ産業として美しい一つ

風土だけはまったく輸送不可能

昨今、著しく一般の注意をひくようになって参っておりますかの果物の方面にしましても、りんごや梨の栽培も決して悪いとは申しませんが、私は「くるみ」とか「くり」とかないしは「さねかずら」「しらくちづる」「またたび」等のいわゆる「山果」とも申すものの栽培に御注意を願ったらと考えているのでございます。

自然物はいかにも純であり正であります。神の姿そのままなのであります。軽視どころの話ではないと存じます。昨今御承知のように、いろいろの問題になっている産業組合の如きも、その純正なものを需要し供給するという点にその第一の本旨をおくべきものだ、と私は考えておりますが如何なものでございましょうか。

山は山として、すなわち「山地は山地として、そこには絶対的の価値を持っている」ということを私どもは忘れてはならないと存じます。とかく都市のものは人工物が多く、それに対して田舎のものには自然物が多い。したがって、都市のものには残念ながら紛れ物がよくある。


なるほど、いかに「たらの木の芽」だからといっても、一芽十銭も十五銭もしてはやや高過ぎると思いますが、しかし、とかく山の人たちは、今まで山を軽視しており過ぎた、山を馬鹿にしており過ぎた、「山へ行けばいくらでもあるんですから」とか、「たかが山のものですから」とか言って、いかにも山のものを粗末に考えており過ぎたではないでしょうか。

たまたまその料理の中へ、例のたらの芽が出た。わずかに二芽ばかりずつ、いかにも珍品らしくそれぞれ小皿に入れて配られた。なるほどおいしい。一同も非常に喜ばれたので、お代りを要求した。すると今度は少し大きな丼へ二〇芽ほど入れて持って来た。ところが会計の時に調べて見ると、その丼一つが参円についている。

氾濫の恩恵を受けているのは、ひとりエジプトのナイル河の流域だけだと思っておっては、はなはだ認識不足と申さなくてはならないのでございます。

また、かの善光寺地震の際の大崩落地として有名な、同じく更級郡更府村の湧池という部落でありますが、今もなおその地盤が安定しないので困っております。しかし、不思議にもこの地帯一帯は大豆の生育が素晴らしく良く、普通他所では二粒宛播いておりますあの大豆を、ここでは一粒ずつで、しかも見事に大きくもなり結実もよいのであります。どちらかといえば、大豆も湿性の作物でありますが、ここの土壌の深いということに恵まれており、しかもそれが、ここの崩壊地であるということに原因していることを想い合せますと、世の中には、ぜんぜん無駄なもの、無用なものというものはない、「つまらぬと言うは小さき知恵袋」という名句や、「無用とは利用せざることなり」と言われている警句が、よく胸に落ちるような気がいたすのでございます。

更級郡大岡村の下大岡という部落でありますが、ここは犀川の谷底近くにできているわずかに十数戸の部落でありながら、年々十車以上もの生柿を生産するという、素晴らしい柿栽培部落であります。しかも、よくある、かの隔年結果というようなことがここの部落のものにはほとんどないのであります。しからばその栽培方法はというと、別にこれというほどのこともなく、ただ年々その秋、柿の成熟期に、その枝の折れるのを防ぐために、弱い枝に支柱を立ててやるくらいが関の山だとのことでございます。よく調べて見ますと、この部落の中でもとくにその柿の成績のよい場所は、河畔の、時に氾濫時には水を被り、新しい土砂を次第に堆積されるような所と、それにいま一ヶ所、この部落の上方、そこの山腹に当る旧山崩れ跡が、そこの押出した土壌が深く、したがって柿の木の根張りも深く、それがとかく耐乾性の弱い例の柿のためには好都合で、年々豊作地となっているということが判ったのでございます。

これはきわめて各所で見ることでありますが、下伊那郡の南部地方や佐久・諏訪等では、そこの山麓にあたって切取って作られてある道路や畑地において、その春、霜溶けの際、その切取面の小さな崩壊を利用して、「うど」の軟化栽培をやっている処、またつい数日前、長野市外の善光寺温泉に参りましたところ、あそこの裏山の崖の下のその崩壊の砂の中にしかも自然にできるのだといって、あざみの軟化したのを料理して出して貰いました。

河の氾濫が堤防さえ高くすればそれで防ぎ得るとお考えになっておられる方、よしやそんなお方はございますまいが、万が一にもあるとすればよほどそのお方は頭の単純なお方と申さなければなりません。すなわち堤防を高くすれば河床が高くなり、河床が高くなれば、河水は必ずしもその堤防を乗越えては氾濫しないまでも、今度はその堤防の下を潜って両側の低地へ滲み出して、そこの地下水面を高め、やはりいわゆる氾濫同様の結果を招来いたします。


そうしてもし、こういった地形の処へ道路をあけるとしましたならば、それぞれその地形の幼・壮・老によって、そのあける場所がほぼ定まっているのであります。それは、幼年期の地形の場所では、道路はそこの尾根部に開かれるのが普通であります。もっとも尾根部といっても、幼年期の地形では谷はごく狭く、そこの谷底はほとんど全部河床となっており、両岸もまた絶壁に近いような急斜面であるのに、かえって尾根部には広い平坦面さえ持っているからであります。ところがそれが、壮年期の処ではその道路が谷底部に下り、老年期の処では中腹部に移るといったようになっております。それで、新道等を開鑿するような場合に、万一この条件に外れたような地点にその道路が設けられますと、開鑿後毎年のように修繕を要しまして、工費を喰って、非常な難儀をしなければならないことになるのであります。


私どもはその地形の発達程度によりまして、それを幼年期、壮年期、老年期の三つに分けております。

この「川に訊いて見てやる」という、その思想がまことに大切なのでございます。 ある山の麓に道路を作ろうとする場合、その道路の両側の勾配をどの程度にまで急にしてよいかは、その付近の地形を調べ、その地形のもつ勾配に順って、ならって、すなわち「聞いて」決めるべきであるということは、すでによく言われていることであります。

いやしくも川の工事をしようとするものは、まずそれをそこの川に訊き、山の工事をしようとするためにはそこの山に訊いて、その言葉に従ってするということが、いわゆる成功の捷径でありましょう。

それを、ちょっとアメリカかヨーロッパへ行って来るにさえ、三ヶ所も四ヶ所もで送別会を開いて貰わないことには容易に出発できないほどのわれわれ人間に比べては、まったく問題にならない。して見ますと、自然はまことに明らかな超人間的存在であります。

その直径が、わがこの地球の一〇九倍もあるあの太陽、またその太陽の直径の二〇〇倍、時には五〇〇倍もの直径を持っているものさえあると言われている天界の星辰、しかも、そういったわが太陽級の天体が、九〇の右へ零を二〇も付けた数、位があまり大き過ぎて、ちょっと位の名前さえ思い出せないほどの多数のものが、それがまた今度は九の右脇へ零を一〇もつけた光年半径、すなわち光の速さで通っても九〇〇億年もかかるほどの広い半径の中に散在してできているのがこの大宇宙でございます。

世間で「自然を征服した」といっているその事実をよくよく吟味して見ますなら、いずれも実はその自然の持っている「大法則にしたがっている」のであります。

私どもは、仮の宿とは承知しながらも、時にはその調べた「事実」に対しまして、「説明」を試みることがよくあります。しかし、事実と説明とを混合してはならないと存じます。説明はどこまでも、それは仮の宿りであります。即ち仮説であります。時に科学者の中には、その不安に耐え切れず、ついに、宗教へ転向とまではならなくとも、深い関心をお持ちになるようになられたお方も決して珍しくはありません。

実はまだまだ科学万能どころの話ではございません。きわめて初歩の時代であると考えるのが妥当とさえ考えたいのでございます。

御承知のように、まだアメーバ一匹人工では作られてはおりません。それどころか、その生命の本質究明をその使命とすべき生物科学者が、中には「生命は永遠の謎である」などといって、手を触れそうにもしない学者さえございます。

「努力に努力を重ねて行ったならば、やがては、その真相の把握もできるであろうと信じて、毎日研究を続けているのである」といっておられる科学者もございます。しかしそれは「信じて」の上のこと

かの科学に従事されている学者の方々が、しかも権威ある方々が、いや権威ある方々ほど、「調べれば調べるほどわからなくなる」といっておられます。





宇宙、って、どれくらい広いかといわれたら、両手を広げるぐらい、と言ってしまいますが、
実際に数字で表されるとすごくインパクトがありました。自分のちっぽけさ、というものがなんだかすんなり受け入れられたのでありました。

自然とうまく共存するべきが人間であったはずなのに、いつの間にか自然を壊すようになった人間はいつになったら自然に恩返しができるのでしょうね。そして、どうやって恩返しができるのでしょうか。考えさせられました。

ゲテ魚好き (火野 葦平)

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しかし、ドンコ釣りを躊躇させる一時期がある。ドンコほど夫婦愛が深く、また、父性愛の強いものはない。産卵期になるといつもアベックだが、卵を産んでしまうと、雌はどこかへ行ってしまう。あとを守るのは雄だ。卵のところを離れず、いつもヒレを動かしながら、水をきれいに交流させる。外敵が来ると、これとたたかう。試みに、私は指を水中の卵のところへさし入れてみた。すると、父親ドンコが頭を指にぶっつけて来て押しのけようとする。それでも、なお指を近づけようとしたら、パクリとかみつかれた。こういうけなげな姿を見ては、釣る気にならない。

ドンコは甘露煮のように煮つめる場合が多い。そこで、釣ったドンコたちを生きたまま鍋に入れる。醤油をかける。すこし砂糖をまぜる。ガスにかける。火をつける。ドンコたちはここまでされても落ちつきはらっている。まだなんとかなると思っているのである。しかし、火がついて、下からそろそろ熱くなって来ると、ようやく、これは一大事というように騒ぎはじめるのである。しかし、もう追っつかない。そういうところが、どうも自分に似たところがあるので、私はドンコが好きで、棲家をも「鈍魚庵」とした次第である。

河豚も醜魚だが、ドンコもあんまり恰好がよいとはいえない。しかし、味はなかなかよくサシミにしても食える。

鯉はマナイタの上にのせられると動かなくなるといわれているが、それは覚悟を定めての上で、ドンコのようにどうされるのか知らないのとは、精神に雲泥の差がある。

ドンコはいくら下手でも、女子供でも、年よりでも釣れる。それはいくら釣りそこなっても、とにかく釣りあげられるまではエサに食いつくからだ。

ドンコ釣りなどは、ゲテ魚好きの私たち以外にはやらないかも知れない。第一、ドンコは南方の魚で、日本では大体、琵琶湖から西方のみに棲息している。ダボハゼに似ているので、関東方面でもドンコを見たという人があるけれども、学問的にもいないことが証明されている。

エモノのタコを東京に持って帰り、友人の宇野逸夫に話したところ、彼は自分の故郷では、イイダコは赤い色のついたもので釣るという。宇野は隠岐の島出身、つまり日本海である。すると、太平洋のタコは白好きで、日本海のタコは赤好きなのか。きっと、ソ連側だからだろう、などと笑いあったが、魚にそれぞれ好みの色のあるのは疑えない。ボラなども、赤いものなら、風船でも、布でも、なんでもよい。これもエサはいらず、赤に寄って来たところを引っかけてあげるのである。

細い板の上にそれらのどれかをくくりつけ、先の方に三本ほど、内側にまくれたカギバリをとりつける。そして、オモリをつけて沈めておくと、タコはその白いものに向かって近づいて来る。食べに来るわけではなく、どういう考えか知らないが、白いものの上に坐るのである。腰かけるのかも知れない。

イイダコはあまり深くない砂地のところにいるが、エサはなにもいらない。なんでもかまわないから、白色のものさえあればよい。ネギの白味、豚の白味、茶碗の欠片、白墨など。

河豚は生きているのを料理するよりも、死んで一日か二日経ってからの方がおいしい。
河豚釣りに行っても、普通の魚のように、釣りあげてすぐ、船の上でサシミにしたり、焼いたり煮たりなどしては食べないのである。食べる人もあるが、それは食通とはいえない

釣りあげられた河豚は腹を立てて、まん丸く、フットボールのようにふくらんだ。これを船底にたたきつけると、パチンと腹の皮が破裂する

河豚のおいしいのは十二月から一月までである。十月ごろから食べはじめ、三月のいわゆる菜種河豚でおしまいにするが、なんといっても正月前後がシュンだ。

河豚は一枚歯で、すごく力が強く貝殻でも食い割ってしまう。したがって、海底での貝の身をエサにしている河豚の味がよくなるわけだが、この河豚を釣るのはそう簡単ではない。ソコブクの一コン釣りといって、名人芸の一つにされている。私もしばしば試みたけれども、十数回のうちで、たった一度しか成功しなかった。

河豚は水面と海底との中間を泳いでいるし、食い意地が張っているので、エサをつけた糸をたらすとすぐに食いつく。しかし、ほんとうにおいしい河豚は、海底深くいる底河豚だ。

河豚が魚の王で、下関がその産地であることは有名だが、別に下関付近でとれるためではない。下関が集散地になっているだけで、河豚は瀬戸内海はもちろん、玄海灘でも、どこの海でもとれる。東京近海にもたくさんいる。ただ、周防灘の姫島付近の河豚が一等味がよく、いわゆる下関河豚の本場となっている。(因に、九州では、河豚をフグと濁らず、フクと澄んで呼ぶ)

どんな下手が釣っても、すぐにかかる魚は河豚とドンコである。





ドンコのお父さんのお話を見た瞬間、キュンとしてしまいました。
そして、魚にも守るべきものがあるんだなぁ、人間と変わらないんだなぁ、と思いました。
そんなことをちゃんと知っておいて、これから大事に食べていきたいものですね。

このたび大阪 (古川 緑波)

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トロリと舌をまどわすポタージュに、カフスレバアの煮込みの味、昼間から美味に酔う。

大阪での僕のたのしみの一つは、おどり(生海老)を食うことである。酔後、冷たいすしの舌ざわりは、何とも言えない、殊に、おどりは、快適で、明朝の快便をさえ思わせるものがある。





舌をまどわす、っていい表現。

清涼飲料 (古川 緑波)

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タバコなんて、そんなものである。

あの煙草が好き、こっちの方がいい、という人々は、各々の好きな、デザインの、好きな色の箱を選んでいる場合が多い。例えば、キャメルが好き、ラッキイ・ストライクでなくっちゃいけないっていうような、タバコ好きでも、まっ暗なところで、一本吸わして、それが何という煙草か、ハッキリ判ることは、めったにないものである。

春山行夫氏が東京新聞に書かれた「コカコーラの不思議」の中に、 ……コカコーラは消防自動車のような赤いポスターや看板を出すので、美術の国イタリアは、その点を嫌がっている。…… とある。 全く、コカコラの赤は、あくどい。 コカコラばっかりじゃあない。アメリカは赤が一番嫌いな筈だのに、宣伝や装飾には、ドキツイ赤を平気で使う。赤や黄色、青の原色そのままが多い。

味には、ひどく癖があって、一寸こう膠みたいなにおいがする―兎に角、薬臭いんだ。だから、いまのコーラとは、殆んど別な飲みものだと言っていい。コカコラの中に、コカインが入っていたってのは、その頃の奴じゃないだろうか。

いまのコカコラとコカコラが違った。 第一、名前も、コカコーラと、引っぱらずに、コカコラと縮めて発音していた(日本ではの話ですよ)。そして、名前ばっかりじゃないんだ、味も、色も、確かに違っていた。 色は、いまのコーラが、濃いチョコレート色(?)みたいなのに引きかえて、アムバーの、薄色で、殆んど透明だったようだ。

ラムネを、ポンと抜く、シューッと泡が出る。ガラスの玉を、カラカラと音をさせながら転ばして飲むラムネの味。

金線サイダーも、リボンシトロンも、子供の頃からよく飲んだ。が、やっぱり一番勢力のあったのは、三ツ矢サイダーだろう。 矢が三つ、ぶっ違いになっている画のマークは、それに似たニセものが、多く出来たほどだった。 その頃、洋食屋でも、料理屋でも、酒の飲めない者には必ず「サイダーを」と言って、ポンと抜かれたものである。

清涼飲料という名前は、うまいなあ。如何にも、サイダーが沸騰して、コップの外へ、ポンポンと小さな泡を飛ばす有様が浮んで来るようだ。








清涼飲料っていう言葉を「うまい」なんて思ったことがなかったので、新鮮な本でした。
ラムネの表現が好き。どうしてラムネって、子どもの頃を思い出すんでしょうね。そしてどうして大人になった今、ラムネを飲まなくなったのだろう。

駄パンその他 (古川 緑波)

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文藝春秋九月号に、ジョージ・ルイカー氏の「日本料理は女房の味」が、ある。この中では、 ……所謂料亭と名のつく様な場所では、高級料亭である程、それに正比例して、中身は益々少く、容器は増々大きくなる様である。…… という観察を、面白いと思った。

近ごろ――と言って、これは一体、何時ごろから売っていたものなのだろう――カレーパンだの、コロッケパンというものがある。少くとも、これは僕らの若き日には、見たことがない。見た目からして、駄パンである。(駄菓子の駄の字なり)

トーストに味噌汁ってのは、合わないようでいて、まことに、よく合う。それも、豚肉や牛肉を入れたりして、味噌のポタージュと言ったものにしないで、純日本式の、いつものがいい。身は、豆腐、大根、葱、里いも――何でもいい。 あんまり同好の士は、ないようであるが、一度試みていただきたい。 トーストのバターの味と、味噌の味が混り合って、何とも言えなく清々しい、日本の朝の感じを出して呉れるから。

戦前の、富士屋ホテルは、パンの種類が揃っていて、ボーイの運ぶ銀盆を眺めて、「さて、どのパンにしようか」と迷う時の幸福を忘れない。

ボーイが、持って来る銀盆に、五六種のパンが載っているのを見るとウワーと声を出したくなるほど嬉しい

レストオランで、パンのうまいのは、割に少い。

そういう受け入れ態勢を、自分で用意することは、料理人に対する礼であろう。料理人も亦、芸術家なのだから、芸術家に対するエチケットを心得るべきである。

「腹の減った時に不味いものはない」とは永遠の真理である。 Hunger is the best Sauce.

偏食はよくないと思うが、食慾が起らないものを無理に食べさす必要はないのではないかと思っている。食物を外にすてる方が不経済か、胃腑の中にすてる方が不経済か、僕にはわからない。…… と言って居られるのは、大変面白い言い方だと思った。全く、嫌いな物を食べることは、胃腑の中へ捨てるようなものだろう。






「料理人も亦、芸術家」という言葉がすごく印象的でした。
だから、お店で運ばれてきた料理は絵画を見るのと同じように、目で見て心で感じて、そして舌で味わうことをしなければいけないんだな、と。単純にバクバク食べてきた自分を大反省なのでした。

蕎麦の味と食い方問題 (村井 政善)

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蕎麦は栄養価値中、重要の地位を占むるところの蛋白質に関して穀類中まことに優良なるものを含有しています。

眼を開けば到る所師あり

場末の恐ろしく汚い飲食屋

大根は皮つきのまま、必ず尻っぽの方からおろすとよいのです。これを逆に頭の方からおろすと、ぐっと辛味がなくなってしまう、不思議なことです。

大根をおろす時は「頭をぶんなぐれ」という諺がある位で、腹を立てて、うんうんいっておろす位の硬いものがいいのです。軟らかいものは甘くて蕎麦の味とぴったりとこないのです。この大根、この葱で拵えた汁の辛いというものは眼の玉がとび出るほど

それへ入れる刻み葱もまた肥料の充分に利いた畑でできて、白根が一尺もあるような、俗にいう根深は風味がないのです。大根同様、痩土に成長して五寸位のもので、信州でも若槻のが一番よろしいのであります。

大根は、練馬あたりで出るような軟派のものではいけません。あんなに白くぶくぶくに太ったのは、水ばかりで駄目であります。アルプス山麓あるいは姨捨山などの痩土に、困苦艱難して成長したものであって、せいぜい五寸、鼠位の太さになっているものに限ります。

信州蕎麦。あれには昔から食い方があります。大根をおろした絞り汁に味噌で味をつけ、葱の刻みを薬味とし、それへ蕎麦をちょっぴりとつけて食うのであります。

著者自身のことでありますが、子供の時に食べたものとまた青年時代に食べたものと五十余歳になった今日とは、全く食物の味、否嗜好が変わって来るようです。これは著者のみでなく一般の人々もそうであろう

栄養々々といっていては栄養となるべきものも結果、不栄養となることも多くなりはせぬかとも存じます。一例を申しますと、最も栄養価のあるものでもその人の嗜好に合わぬものはしたがって旨い感じをいたしませんから、まずいまずいと思って食べたものは、さのみ栄養にもならぬものと存じます。

昔の人は風味をいいましたが、今の人は栄養を主とします。

蕎麦が段々売れなくなったということは、近頃の若い人達は風味ということなどはあまり考えないようであります。

この節は「花巻」を食う客も少ないが、十人に八人までは薬味をくれというので、私の家でも最初は頑張って薬味はつけて出さなかったのですが、つけなければきっと「くれ」といわれるので面倒臭いから今ではつけて出していますが、時にはこの薬味をぽっちりとも使わずに帰る客があります。こんな客を見ると「まだ東京にも粋な人がいるなァ」となつかしく思うことがあります、と話していました。

ある蕎麦屋の主人の話でありますが、汁物では「天ぷら蕎麦」は大衆向きのものですが、あまりいいものではありません。どっちかといえば素人だましの代物で、通人は「花巻」を好みます。それは、良い蕎麦で良い汁で、それに良い海苔をばらっとかけるから香気も良いし味も良いのです

第一椅子に腰をかけて靴のままで蕎麦を味わうというのですから、旨かろう筈はない。また端で食べている人々を見ても如何にスピード時代とはいいながら、「かけ」を食べているのか「もり」を食べているのか分らないようで、「もり」を食べるに、汁の中へ薬味をうんなり入れ込み、その汁へ蕎麦を浸け込んで食べている人が多い。丁度「かけ」の冷ましたものを食べているようであります。これは蕎麦の味などの知ることがない、ただ醤油の辛味と薬味の味を減ずることと、多く食べて満腹するに過ぎないのである。本当の蕎麦を味わうには、やはり畳の上で静かに座して食べる方が真の味があります。

著者は、時々宅に取り寄せて食べることもありますが、これは第一まずい。蕎麦屋に行って食べるような味はしない


蕎麦の食い方は、箸ではさんで尻の方を一寸三分ばかり汁へつけて、箸の方から口へ入れ、一度汁のつかないままで、口でしめしてから本当の蕎麦の味と香気を味わいて後、静かに汁のついている方を吸い込んで煮出汁の味が分るもの

その昔、武士と通人は「もり」、町人は「かけ」を好み、百姓は「饂飩」と定まっていたという話があります。 蕎麦の味は「もり」にあり、種物食うべからずという位のものとされているなどと通人はいっています。この「もり」の水が切れるか切れないかというちょっとした間は、蕎麦の一番旨いものとされているのであります。水気が多く残っていてもいけないし、またもそもそにのびてしまってはなおさらいけないもので、旨いという時は水気を切ったその時であります。





予想外におもしろかったのでありました。
食べ物ひとつひとつにもきちんと歴史や食べる礼儀があるのだなぁ、と思いました。
それでも椅子に座って食べるのは邪道なんて書かれていると、なんだか申し訳ないです。畳がない家だってたくさんあるので。味は一緒だけど、やっぱり古風な雰囲気がそばには似合うということでしょうか。

交友録より (室生 犀星)

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言葉が豊富で複雑で才分はわかわかしい、随筆は天下一品。

喜んでくれすぎるので行きにくい。

会ひにゆくと喜んでくれる。





なんでか母の親、つまりぼくの祖父母を思い出しました。
だって、会いにいくだけで喜んでくれるんだもの。
そんな暖かい人に、ぼくはいつかなれるんでしょうか。正直分からないのです。


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Hiro

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