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性に眼覚める頃 (室生 犀星)

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「僕が君に力をかしてやるからね。二人分やってくれ。」「僕は一生懸命にやるよ。君の分もね。十年はやり通しに勉強する。」 私はつい昂奮して叫んだ。 二人は日暮れまでこんな話をしていた。間もなく私はこの友に暇を告げてそとへ出た。そとへ出て私は胸が迫って涙を感じた。秋も半ばすぎにこの友は死んだ。


かれは白いような、淋しい微笑を浮べた。それが自分の病気を嘲っているようにも、また私が彼の病気にかかわっていないことを冷笑しているようにも受けとれるのであった。深刻な、いやな微笑であった。

父の立てた茶は温和にしっとりした味いと湯加減の適度とをもって、いつも美しい緑のかぐわしさを湛えていた。それは父の優しい性格がそのまま味い沁みて匂うているようなものであった。


私はいつもあの「おくじ」一本によって人間の運命が決定される馬鹿馬鹿しさ

しずかな家の内部はいかにも彼女の温かい呼吸や、血色のよい桜色した皮膚に彩色せられたように、

彼女のこころよい皮膚の桜色した色合いがしっとりと今心にそそぎ込まれたような満足を感じた

なぜああいう美しい顔をして、ああいう汚いことをしなければならないか


寺へ来る人人は、よく父の道楽が、御燈明を上げることだなどと言っていた。それほど父は高価な菜種油を惜まなかった。父自身も、「お燈明は仏の御馳走だ。」と言っていた。


私は自分の室へかえると、自分の詩が自分の尊敬する雑誌に載ったという事実を今ははっきりと意識することができた。そして、あの雑誌を読む人人はみな私のものに注意しているに違いないと思った。

私は、雑誌をうけとると、すぐ胸がどきどきしだした。本屋から旅館の角をまがって、裏町へ出ると、私はいきなり目次をひろげて見た。いろいろな有名な詩人小説家の名前が一度にあたまへひびいてきて、たださえ慌てている私であるのに、殆んど没書という運命を予期していた私の詩が、それらの有名な詩人連に挟まれて、規律正しい真面目な四角な活字が、しっかりと自分の名前を刷り込んであるのを見たとき、私はかっとなった。血がみな頭へ上ったように、耳がやたらに熱くなるのであった。






「お燈明は仏の御馳走だ。」という言葉がとても新鮮だった。そう考えたことがなかったから。
人間ってさまざまなもの、お金だったり食べ物だったりを仏様にお供えするわけですが、燈明もその一部なのですね。
新しいモノの見方なのでした。

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石をしょわずに ――わかい女教師の自殺 (村山 俊太郎)

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昭和二十二年七月二十日の朝、T村小学校のわかい女教師が、通勤の途中にある淵に投身自殺をした。すがすがしい朝を、大きな石を身につけて、すきとおる山谷の淵の底に身を沈めた

――子どもたちのけんかがもとで、有力な父母から、新教育なんていったって、しつけひとつできないじゃないかと言われたのがもとだって。と死の原因についての評判をまとめて語ったあとで、 ――けれど、そのほかに、新しい教育への苦しみと悩みがK子を死なせたのよ。

戸数二百たらずの山村の荒っぽい子どもたちと父兄とは、たとえどんなにすぐれた優等生型の頭脳をもっているK子でも、温良な性格と女学校をでたばかりの若さではつらい生活の相手であっただろう

毎日のように、子どもたちのけんかがある。一時間じっと学習することのできない子ども、間接授業の子どもたちのさわがしさ。学用品のない子ども。平仮名の書けないたくさんの子ども。九九の知らない子どもの多いこと。シラミの多い女児の頭。語ってきかせても、叱ってみても、反応のない野性の子どもたち……。

K子はにっこりしながら、子どもたちと一緒にいることはたのしいこともあるが、辛いことが多い。職員室はたのしくないと語った。そのような子どもたちのしつけの苦しみや、教育のことについての悩みを、先生方に相談したり、学校全体で話しあったり、研究したりすることはないかとたずねると、K子はさびしく学校のなかの先生方の孤立していて協力的でないことなどを語った

――先生、わたし近ごろ力がないことがはっきりしてきたの。何をやるにも基本的な勉強をしていないんだもの。二学期からやらねばならない社会科なども、さっぱりわからないの……。 そんなことを語って、K子は夕方元気をとりもどして、また訪ねてくると言いのこして去ったのだった。

死の直前まで悩みつづけた、荒っぽい野性のまんまの教え子たちには、鉛筆の走り書きで、「よい子になるように……」と遺書をのこし、学校と村人たちに対しては、自分のいたらなさをわびる書をのこして……。子どものけんかをめぐるしつけに苦しみ、無知で封建的な父兄たちに無言の抗議をのこして。

わかい女教師たちは口をそろえてK子の問題は、そっくり自分たちの苦しみであり悩みであると告白した。子どもへの愛情をもちながら、その愛情をしつけのうえでどうもちつづけ、表現していけばいいのか。


民主的な角度から、あたたかくしつけようとすればするほど、荒っぽい子どもの野性との対立がはげしくなってくる悩み。子ども同士のけんかもぬすみも、みな教師の無責任として追及してくる父兄たちの古い観念とのつきあたり。

この地方のわかい女教師たちは、――石をしょわないでがんばりましょう。という合言葉によって、わかいK子の死をムダにしまいとちかっている。





いろいろと考えさせられる本でした。

2004年の本ですが、それからすでに10年ほど経っていますが、親も、教師も、生徒も、みんなあまり変わっていないような気がしてなりません。

ただ、先生同士(先生に関わらず、ですが。)がしっかり助け合える環境を日常からつくっていることが大事なのだなぁと思いました。


遺書の部分はつらいですね。
石を背負いすぎていることに気付ける仲間さえいれば、と思ってしまいます。


絵画について (三好 十郎)

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私が自分の勤労によって働き出した金がある。その金で一枚の絵を買うために展覧会または画商の所へ行ったとする。そこにはたくさんの美しい作品がある。さてしかし自分にとって大切な金を出してどの一枚を買おうかと思って眺めると、美しいものとそうでないものの差がハッキリしてくる。そして最後にこれだと決めて買う気になった作品が良い作品だった。実際において買わなくても、そういう角度から絵を見ると絵の良し悪しが非常にハッキリすることが多い。

だがもともと美術作品の観賞や批評は非常に強く生理的な適・不適や好悪にかかっているものであるからこれをいくら理論的にこまかく広く展開しても結局はまた生理的なものへ舞いもどってくるものだ。







レオナール・フジタさんの展覧会に一度行ったとき、レプリカではあるだけど大好きな「乳白色の裸婦」の絵がありまして、
それがとてもほしかったのだけど、10万ほどしたので結局購入しなかった思い出が蘇りました。

買わなかったことを後悔していないとは言えないのだけど、そんな絵を飾れるような住まいをつくってから買おうと思ったのでありました。早くそんな日が来ればいいな。


嫉妬する夫の手記 (二葉亭 四迷)

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私の留守中妻は一層Oと親しくなつた。……それが私をいやな気持にさせた。

三日、私は終日涙を流してゐた。 四日、妻との夫婦としての交渉を絶つことを妻に申し渡した。 五日、妻は半ば告白した。






男って得たいものは得るけど、それをきちんと継続するのが苦手なのだと思いました。
そして失ってから気付き、嫉妬して、おろおろし始める。

本当に大切だと思うものは、本当に好きな人は、本当に大切にしないといけないんだなぁなんて思いました。
当たり前のことがすごく難しいのですよね。

精神のへど ――手帳より―― (北条 民雄)

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「詭弁は哀しきオナニーである。」 と言つて詭弁を吐いた佐藤並太郎氏の皮肉に歪んだ顔のあはれさを見るがいい。

足場を失ふことが懐疑の始まり

兄弟諸君よ、君は君の足下に底知れぬ深淵が口を開いて待つてゐるのに気づいたことがあるか。そして諸君を救ふものが(おお決して青空にありはしないのだ)、その深淵に飛び込む以外にないとまだ悟らぬのか!

汝を軽蔑する者に対しても公正であれといふ、公正さの苦悩







東西ほくろ考 (堀口 九万一)

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此の如く心の動きを表情を美の一大資格としてある西洋に於て、黒子が美となるのは自然の勢である。何故かといへば、黒子は表情を助けて是を強調せしむるに大いに役立つからである。

ポンパドール夫人が美人中の美人である所以は、何よりもその表情の早き動きであると断定し、そしてその表情の変化と同時に、その顔面の賑やかさは、実に言語に絶する程で、約言すれば彼女の霊魂の絶え間なき動きを、その艶麗と嬌媚との間に自然に現はすのであるから、男の心を動かし、唆り、挑発し、是を魅惑するにはこれ以上力の強いものはないといつてゐるのである。

だから嬌艶も、婀娜も、又は内部の熱情も、心の内に静かに籠めてゐて、是を外部に現はさない所謂喜怒哀楽を色に現はさないのである。随つて自から表情のない顔面なのである。まんざらないでは無いにしても、どうも表情が薄いのである。 然るに西洋では、是に反して、表情を主とし、表情が欠けてゐては美人でないとしてあるのである。だから西洋の美人の形容詞には、東西共通の、沈魚落雁、閉月羞花とか、花顔柳腰明眸皓歯とかといふ美人に共通の資格の外に、「動」といふものが美人の美人たる資格の内に含まれてゐるのである。此処が大いに東洋とは異なる点である。



東洋と西洋とでは、美人に関する見方の違ふことも、亦この問題に大なる関係があるやうに思はれる。東洋の美人に関する形容詞を見るに、端正、静粛、挙止幽間などと、専ら「静淑」を婦人の一美徳とし、同時に婦人美の一つの資格としてある。随つてその外部に現はれる形としては、よく前後左右の釣り合、即ちシンメトリーが取れて正整して居らねばならぬのである。

加之、東洋人は髪の毛も、目の色も共に黒いのであるから、黒子は邪魔にこそなれ、決して美を増すものとはならない。 然るに白晢人種の西洋人にあつては、その蒼白いやうな顔面に一点黒色の「ムーシユ」は、白と黒とのくつきりした反対色の作用で白色は益〻白く光彩を放ち、美は益〻美しく見えるのである。是に加ふるに、西洋人の目の色の薄青く、その髪の色のシアーテン(焦げ茶色)、ブロンド(茶褐色)又は金髪、甚しきに至つては白色かと怪しまれる程の淡黄色なのさへもあるので、一点黒色の「ムーシユ」の為めに、顔全体に活気を生ずる効果を齎らすからである。

東洋人の黄色い顔面に於ける「ほくろ」は、黄色と黒色との色調がそぐはぬので「ほくろ」があれば顔が却つて醜く見えるのである。

東洋では「ほくろ」を贅物として邪魔物扱ひにし顰蹙してゐるのに反して、西洋では厄介視せず、否寧ろ是を艶美を増すところの「美の豆粒」として尊重し、人工的にさへ是を模倣するに至つた原因は何であるかを尋ねてみるに、臆説ではあるが、それは東洋人と西洋人との皮膚顔面の色や、毛髪や、眼の色を異にしてゐるのが、その第一の原因ではなからうかと思はれる。

だから西洋では日本のやうにそれを抜き取るどころではなく、否却て是を大切にするのである。

「ほくろ」黒子、黶子(愚管抄には「ははくろ」とあり、「ははくそ」の転。その再転化なり。)古くは「ハハクソ」今又「ホクソ」人の皮膚に生じて小さく黒く点を為せるもの」としてある。そのやうに「ははくそ」「ホクソ」であつて、つまり「くそ」なのである。 処がほくろは西洋では「くそ」どころではない。大切なものである。その名からして艶麗である。西洋では「ほくろ」のことをグレン・ド・ボーテ(〔grain de beaute'〕)と云ふ。翻訳すれば、「美の豆粒」と云ふのである。

西洋では、黒子を美貌の道具立ての一つに数へて尊重してゐるのである。

東洋と西洋とは、その風俗習慣に就て、いろいろ異つた点が多い中で、特に黒子に関する観方ほど異つてゐるものはなからうと思はれる。





なかなかおもしろかったです。こんなに黒子のことを考えたことがなかったので。
それにしても東洋では黒子は「クソ」で、西洋では「美の豆粒」の違いには大笑いしました。

ぼくも自分の顔には黒子はいらないなぁ、と考えているタイプなのですが、確かに西洋の人の顔に黒子があったら、
なんだかかっこよく、色っぽく見えたりするなぁなんて感心しました。


発病 (北条 民雄)

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苦しくともよい、兎に角最後まで卑怯なまねをしたくないのである。苦痛に正面からぶつかつて自分の道を発見したいのである。

かうして私の癩生活は始まつたのだつた。私は十日に一度づつその病院へ通つた。勿論祖父母にも別居してゐる父にも病名を明して、半年ばかり通ひ続けた。しかし何の効果もないことは勿論である。そして凡ての癩者がするやうに、売薬を服用し薬湯を試みてみたが、やはり何の効目もなかつた。そして今ゐる病院へ這入るまでの一ヶ年に幾度死の決意をしたか知れなかつた。しかし結局死は自分には与へられてゐなかつたのである。死を考へれば考へるほど判つてくるものは生ばかりであつたのだ。

貧弱なカフエ

胸がどきりとして、急いで鏡を出して眺めて見た時には、既に幾分薄くなつてゐるのだつた。私は鏡を投げすて、五六分の間といふもの体をこはばらしたままじつと立竦んでゐた。LEPRA! といふ文字がさつと頭にひらめいた。殆ど決定的な感じがこもつてゐた。私はけもののやうに鏡を拾ひ上げると、しかし眺める気力もなく畳に叩きつけたのであつた。

人は誰でも、自分は特別の位置にあると思ひ込んでゐるし、またさう思つてゐればこそ生きられるのであるが、私もやはりさうであつたのだ。

癩もやはりさうで、この頃になるとそれまで抜けなかつた頭髪が急に抜け始めたり、視力が弱つて眼がだんだんかすんだり充血したりする。

いつたいに慢性病はどの病気でも春先から梅雨期へかけて最も悪化する傾向がある。結核などはその著しい例





以前読んだ「いのちの初夜」が衝撃的ですごく印象に残っている著者。

今回印象に残ったのは、「人は誰でも、自分は特別の位置にあると思ひ込んでゐるし、またさう思つてゐればこそ生きられる」という言葉。真理ですよね。

ぼくも普通を装いながら心のどこかで自分は特別な存在なんだと思っている節があったりします。
恥ずかしいですけどね。
でも、自分が特別な存在なんだって思ったら、もっといろいろなことをやってやろう!みたいにポジティブになれるのも事実なんじゃないかと思います。

お菜のない弁当 (本庄 陸男)

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「何あに、塩をぶっかけて味をつけてありますよ。十時間ぶっ通しの一日八十銭じゃあ、嬶も子供も碌に飯はねえ……」

憲兵は怒鳴りつける号令声で「一列になれッ」とわめき、忽ち職工達を列べてしまった。 身体検査がはじまった。帽子の裏をひっぺがしたりした揚句、とうとう弁当箱の蓋を取れ――と来た。お菜の何にもはいっていない弁当がいくつもあった。

工場裏の芝生では、安賃銀の臨時傭達が男女と混み合って粗末な弁当を開いていた。何時かは常傭工になれるだろうと、もう長い間戦争準備の陸軍食料工場でこき使われていた。









最近読んだ「蟹工船」もそうだし、ちょうど昨日テレビでやっていたものが記憶に蘇りました。
炭鉱で働く夫が事故で亡くなり、すずめの涙ほどの給料のために、毎日長時間働いている女性のドキュメンタリー。
生きている時間をほぼすべて仕事に捧げ、それでも満足いくお金を得られず、家族を支えるためにすべてを我慢して仕事をするしかない状況の彼女を見ると、とても辛いものがあるのですが、
そんな状況下で生きている人がもっともっとこの世にはたくさんいるということを思い知らされたわけなのでありました。


この本もそんな男たちを描いていたのですが、
お弁当の中におかずがまったくない中でも家族のためにひたむきに働く姿は、かっこいいなぁと思いました。
ぼくももし家族というものができるのであれば、家族のためにそこまでして働くことができるのかなぁ、と考えたりしました。


自分でたくさんお金を稼いで、たくさんの人が救えたらいいなぁと思います。

画室の言葉 (藤島 武二)

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美術は永久に遺るものによって世の中を浄化するのである

結局最後まで遺るものは、作者の精神が強く輝いている作品である。何程表面が美しくても、エスプリのない作品は決して後世に遺ることができない。仮りに当時にあってそのエスプリが理解されなくとも、いつかは必ずそれが認められて後世に遺ってゆくのである。私は近頃この「永久に遺る」ということをしみじみ恐ろしいことだと考えている。

批評が生きた批評となるためには、借り物の知識を振り廻すだけでは駄目である。


自分の周囲の暗雲を払って、本当の自分を発見するということは、仏教などでもそれを最も大切なことに見ている。

懐疑と低徊からは何ものをも生み出し得ない。問題は虚心に純真に、物を正視することに尽きる。私は今の若い作家に、切にこのことを言って置きたいのである。

油絵の本質は、どこまでもどこまでも突っ込んで行くところにある。体力のすべてを動員し、研究のすべてを尽し、修正に修正を重ねて完璧なものにするのが油絵である。そしてそれがためには断じて中途で挫折することのない熱烈な意欲が必要なのである。

日本画の伝統について見れば、もちろん古人には幾多の優れた人がいるが、現代日本美術の水準は、日本画、洋画押しなべて世界第一流のものとは直ちに断定し得ないのである。いくら自分で世界一の美術だと称しても、押しの一手だけでは世界を承服せしむることはできない。皇軍の定評は、そこに儼たる実力が伴っているからであって、日本の美術が世界一になるためにはやはりそれだけの実力を持たなければならぬ。われわれはその押しを利かせるだけの実力を、すべからくわれわれ自身の手で把握しなければならないのである。

東洋画には東洋画の伝統があるように、油絵にはまた油絵の伝統的精神が厳存する。イタリアに始まりフランスが継承したラテン精神がそれである。油絵を描くにはやはりその伝統を見ることが大切である。日本精神だけでいくら油絵を描こうとしても、それは無理である。

画題の意を掬み、作者の気持と自分の気持を一つにして、始めて正しい読画ができるのである。

柿の実が成るまでにはいろいろと苦心を経ている、一見弱々しそうな枝であるが、苦労を経た枝であるから目白もよくそれを知っていて、自分の身を深く託し得られるのだ、という


私は絵を見る場合、常にこの気持をもってすることを忘れないようにしている。単に技巧の巧拙を見るばかりでなく、その絵を描いている人の態度とか、その絵のできる動機を見なければならぬと考えている。この点が何よりも大切なことであろうと信じているのである。

絵を見る場合、画面には先ず色彩があり、構図があり、線描があって、それが眼に入るのは当然であるが、それ以上に未だ奥があることを知っておかなければならぬ。テクニックの重要なことはもちろんであるが、これは狭い範囲の専門家がいうべきことであって、一般の人は必ずしもテクニックについて理解が深い必要はない。もちろんそれもあるに越したことはないが、その重要さを比較すれば、読画の精神は遥かにそれ以上である。

支那では昔から「読画」ということがいわれているが、これは非常にいい言葉だと思う。つまり絵は見るものであると同時に、その意味を読むものであるということである。即ち、絵のエスプリを理解して初めて正しい鑑賞がなり立つことをいっているのである。

絵画のエスプリというのは、即ち画面の裏にかくされている作者の気持を言うのである。作品には必ず作者のエスプリが現われておらねばならぬし、同時に見る人も作品を通じて作者のエスプリのない作品、エスプリを見得ない鑑賞は、共に皮相的なるものであるに過ぎない。 これはたとえていえば、人間の場合でも同じことである。いかに恰幅がよく容貌が魁偉であっても、その人にエスプリがなければ、真に威風堂々とは見られないであろうし、如何に器量がよくてもエスプリのない女は美人とは言い得ないわけである。姿態や顔貌は、絵でいえば画面の表面のことで、それを生かすものは結局人間のエスプリであるに外ならない。

したがって絵を見る場合、単に画面の表面だけを見るに止まっては、それは正しい鑑賞とは言い得ないと思う。






読画、という言葉が一番印象に残りました。たしかに、すごくいい言葉。
画の表面だけを見るのではなくて、画の中身を読み取ること。
人間の表面だけを見て判断するのではなくて、人間の中身まで外見から読み取ること。

大切にしたい言葉だと思いました。


浅草を食べる (古川 緑波)

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話は飛んで、戦後の浅草。ところが、僕、これは、あんまり詳しくない。それに、
浅草自体が、独得の色を失って、銀座とも新宿ともつかない、いわば、ネオンまばゆく、蛍光灯の明るい街になってしまったので、浅草らしい食いものというのが、なくなってしまった、ということもある。

浅草独得(ではないが、そんな気がする)の牛めし、またの名をカメチャブという。屋台でも売っていたが、泉屋のが一番高級で、うまかった。高級といっても、普通が五銭、大丼が十銭、牛のモツを、やたらに、からく煮込んだのを、かけた丼で、熱いのを、フウフウいいながら、かきこむ時は、小さい天国だった。

来々軒は、日本館の前あたりにあって、きたない店だったが、このうまかったこと、安かったことは、わが生涯の感激の一つだった。少年時代の幼稚な味覚のせいだったかも知れないが、いや、今食っても、うまいに違いない、という気もする。





小さい天国っていう表現がすごく気に入りました。
天国に大きいも小さいもないと思っていたので。

人生の中で、「あのお店で食べたあれがめちゃくちゃうまかったんだよなぁ。」なんてぼくにはあんまり記憶がなくて。
なんだか損しているのかなぁなんて思えもしました。ちょっと悔しいですよね、そんな美味しくて記憶に残るお店に出合えてないなんて。
そう考えると、これからどんどんいろんなお店を回ってみたいなぁなんて思いました。

色町洋食 (古川 緑波)

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ところが、僕は、色町洋食なんて、うまい言葉は使ったことがないんだ。僕の所謂日本的洋食を、大久保さんが、うまいこと言い変えて下さったもの。然し、色町洋食とは、又何と、感じの出る言葉だろう。
もっとも、これは関西でないと通じない
、東京では、色町とは言わないから。



うどんのお化け (古川 緑波)

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戦時、代用食として、焼うどんなどというものを、食わされた。然し、焼うどんてものを、僕が、生れて初めて食ったのは、関西で、それは戦争はるか以前のことだった。うどんと言っても、たしかヒモカワだった。挽肉を掛けて、炒麺のように、軽く炒めたものである。

うどんと言えば、関西の鍋やきうどんを思い出す。薄く切った牛肉が入っているのが、馬鹿に嬉しい。東京の鍋やきとは、全く趣きを異にしている。

「何んなんだい?」「ええ、ネタを全部ブチ込んじゃうんです。おかめも、きつねも、たぬきも――」「ハハア、それが、お化けか」 何と、お化けとは! 然し僕は、可笑しくなっちまった。うどん食いにも、通はあるもんだな、と。 で、そのお化けを、次の日早速試みたが、こいつは、正に、お化けで、味もヘンテコなものであった。

更に、驚いたのは、出前持ち氏の次の言葉である。「随分いろんなこと註文する方がありましてねえ。ええ、お化けっての知ってますか?」 僕は、たちまち面白くなっちまって、「お化け? へーエ、うどんに、そんなのがあるのかい?」「あるんです」

さて、うどんの話であるが、撮影所の近くにある、そば屋へ、毎日註文するとなると、さて、何うどんにしようかと、迷う。おかめ、卵とじ、鴨南蛮、鍋焼――と、昔風なのからカレーうどん、きつねうどん(油揚げの入った奴。無論関西から来たもの)或いは、又、たぬきというのもある。これは、何かと思ったら(昔は、あんかけを、たぬきに称していたようだが)揚げカスを、載っけた奴であった。それなら、つい先頃まで、ハイカラうどんと称していた筈である。


想い出 (古川 緑波)

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フランス語と来ては、まるで分らない。それが食い気のために一心不乱、何とかして通じさせようと思って、覚えた。 氷は、グラスっていうんだっけ。 ええと、それから、パンは何だっけな? 英語では、ブレッドだが、フランス語では? と、あわてたが、何のことフランス語でも、パンは、パンだった。

本場のフランス料理ってものを、M・M汽船の食堂で覚えたことは、或いは僕にとって、生涯の不幸だったかも知れない。 だって、フェリックス・ルセルをはじめとして、それから僕が、神戸へ行く度に通った船は、クイン・ドウメル、アラミス等々と数多いが、皆それは、戦争のはじまり頃のことなのだ。 やがて、フランスの船へ食べに行くことなど、まかり成らない御時世にもなったし第一もう、M・Mの船なんか、日本へ来なくなってしまったのだもの。 そして、わが国の食糧事情という奴が、もうセッパ詰って来て、洋食の如きも、殆んど姿を消すに至ったのだもの。 うまい御馳走を、ちょいと味わわせて貰った、その後が、めちゃくちゃな食いものの時代になったのだから、たまらない。






著者は戦争前の時期にフランス料理を食べたいがために必死にフランス語を覚えたみたいで、
本当に何か自分のやりたいことを見つけたら本当に一心不乱に取り組めるものなのだろうなぁと思いました。
「一心不乱」っていう熟語が印象に残りました。

植物一日一題 (牧野 富太郎)

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シソもエゴマも元来は同種異品のものであるが、その用途は違っている。すなわち紫蘇は西洋ではその葉の紫色を愛でて観葉植物となっているが、日本ではよい香のあるその葉がアオジソとともに香味料食品となっている。エゴマ(荏)はそのタネから搾った油を荏の油と称し、合羽、傘などに使用し、また食料とする

すなわち薩州藩主の島津吉貴(浄園公)が琉球からその苗竹を薩州鹿児島に致さしめたによるのだが、それは元文元年(1736)であった。それからこのモウソウチクで薩摩を起点として漸次に我国各地に拡まって、やがて竹類中の宗となった。

モウソウチクは元来中国の原産であるが、それが昔同国から琉球へ渡り、琉球からさらに日本の薩摩に伝わった、

中国の桜桃はその花は大して観るには足りないが、しかしその実が赤く熟して食用になる。ゆえに『本草綱目』などではそれを果部へ入れてある。日本ではこれを支那実ザクラと呼んでいる。

桜桃は中国の特産で日本にはない(栽植品は別として)一つの果樹であって花木ではない。

ナシ、リンゴなどの食う部分は、つまるところこの茎である

ナシ、リンゴ、キュウリ、スイカなどはみな植物学上でいう下位子房(Inferior ovary)を持っていて、その子房が成熟して果実となっている。ゆえにその果実はウメ、モモ、カキ、ミカン、ブドウ、ナスビなどのように純粋な果皮を持った果実とは違って、その子房は他の助けを借りてそれと仲よく合体したものである。つまり瘤付きである。ゆえにその果実の内部の中央の方は本当の子房からなっているが、外側の方はその付属物である。そしてその食える部分はすなわちこの付属物であって、中央の子房はキュウリ、スイカなどは軟くて全部一緒に食えるが、ナシ、リンゴなどは食うにしてもそれが食えないのである。

オランダイチゴの食う部分は花托だから、じつをいえば変形せる茎を食っているのである。その粒のような本当の果実は犠牲となりお供して一緒に口へはいるのである。果実の食う部分を注意して見るとなかなか興味がある。

植物学的にいえばバナナは下位子房からなっているから、その食う部分は茎からなっている花托であるといえる。ゆえにバナナはつまるところ茎を食っているとの結論に達する訳だ。

バナナ(すなわち Banana これは西インド語の Bonana から出ている)の食う部分はその皮であって、すなわちその中果皮と内果皮とを食っているのである。外果皮は繊維質になっているのでこれを剥げばその内部の細胞質の中果皮と内果皮とから離れる。ゆえに俗にこれはバナナの皮だといっている。この中果皮と内果皮とは互いに一つに融合しておってこの部が食用となるのである。そしてバナナは変形してたとえ種子の痕跡はあっても種子が出来ないから食うには都合がよい。

室の外側の壁面から単細胞の毛が多数に生えて出て来、子房の増大とともにこの毛もともに生長して間もなく室内を填充しかつその大きさをも加える。この果実が熟する頃にはそのミカンの嚢一杯になっている毛の中に含まれた細胞液が酸化し甘くなり、そこで食われ得るミカンとなるのである。つまり毛の中の細胞液を吾らは賞味しているのである。 ミカンの皮は外果皮、中果皮、内果皮の三層からなっているが、その外果皮には多数の油点がある。

ヒマワリの実、すなわち痩果は一花頭に無数あって羅列し、かつ形が太いからその中の種子を食用にするに都合がよい。また油も搾られる。鍋に油を布いてこの痩果を炒り、その表面へ薄塩汁を引いて食すれば簡単に美味に食べられる。

ヒマワリすなわち日回の名も向日葵の名も、こんな意味で名づけられたものである。が、しかしこの花はこの文にあるように日に向かって回ることはけっしてなく、東に向かって咲いている花はいつまでも東に向っており、西に向かって咲いている花はいつまでも西向きになっていて、敢て動くことがない。

ナガイモもまたツクネイモ(ナガイモの一品)もけっしてジネンジョウ(ヤマノイモ)から出たもんではなく、この両品は全然別種に属するものである。

ジネンジョウはやはり「野に置け」の類でその天然自然のものが味が優れているので、これを圃につくってその味を落とすようなオセッカイをする間抜け者は世間にないようだ。やはり山野を捜し回ってジネンジョウ掘りをすることが利口なようである。


この贋のインゲンマメ(Phaseolus vulgaris L.)は上に書いた隠元禅師将来の本当のインゲンマメ(Dolichos Lablab L.)よりはずっと後に日本へ渡来したものである。そしてその初渡来はおよそ三三五年前で、右の本当のインゲンマメの渡来より後れたことおよそ五十年ほどである。ゆえに隠元禅師が日本に来たときには、まだその贋のインゲンマメは我国に来ていなかったから、この豆はなんら隠元禅師とは関係はない。 今日一般に誰も彼もいっているインゲンマメ(贋の)は海外から初め江戸へ先ずはいって来たものらしい。多分外船がもたらしたものであろう。そしてそれが江戸を中心として漸次に関西ならびにその他の諸地方へ拡まっていったもののように想われる。そして江戸をはじめその後諸方でいろいろの方言が生まれたものであって、次のような多くの称えがある。すなわちそれは江戸ササゲ、トウササゲ、五月ササゲ、三度ササゲ、仙台ササゲ、朝鮮ササゲ、ナタササゲ、カマササゲ、カジワラササゲ、銀ササゲ、銀フロウ、銀ブロウ、フロウ(同名あり、不老の意)、二度フロウ、甲州フロウ、江戸フロウ、二度ナリ、信濃マメ、マゴマメ、八升マメであるが、江戸ではまたこれをインゲンマメと呼んでいた。飯沼慾斎の『草木図説』では五月ササゲを正名として用い、トウササゲを副名としている。私の『牧野日本植物図鑑』にもゴガツササゲの名を採択して用いてある。


今日世間でいっているインゲンマメには二通りの品種があって、一つは前に日本に渡ったインゲンマメ、一つはそれより後に渡ったインゲンマメである。元来インゲンマメは昔山城宇治の黄檗山万福寺の開祖隠元禅師が、明の時代に日本へ帰化するため、中国から来た時もって来たといわれているインゲンマメが正真正銘のインゲンマメであり、それから後に日本へはいって来たのが贋のインゲンマメである。すなわち前入りのものが本当のインゲンマメで、後と入りのものが贋物のインゲンマメだ。そしてこの後と入りのものはじつは隠元禅師とはなんの関係もなく、つまりこのインゲンマメのインゲンは隠元の名を冐したものにすぎない。地下で禅師はきっと、オレの名をオレとは無関係の今のインゲンマメに濫用して、わしを無実の罪に落とすとは怪しからんと、衣の袖をひんまくり数珠を打ち振り木魚を叩いて怒っているであろう。 隠元禅師がもって来たと称する本当のインゲンマメは Dolichos Lablab L. という学名、Hyacinth Bean または Bonavist または Lablab という俗名のもので、これに白花品と紫花品とがあって共にインゲンマメと総称している。

Yam という字がある。ロブスチード氏の『英華字典』には大薯と訳してあるが、これは薯と訳すれば宜しく大の字はいらない。このヤムは Dioscorea(薯蕷ノ属)属中の数種の薯を指した名である。Chinese Yam はナガイモの名であるから、ヤマノイモは Japanese Yam といっても不可ではなかろう。そうするとツクネイモも Tsukune Yam でよいだろう。

ヤマノイモもナガイモも共に蔓上葉腋にいわゆるムカゴ一名ヌカゴすなわち零余子ができる。今これを採り集めて植えると幾らでも新仔苗がはえて繁殖する。またムカゴは無論食用にもなる。

クログワイ、オオクログワイは生でも食えるけれど、これはじつは塊茎で真の根ではない。サツマイモは真の根だけれど、それは子供等がいたずらにかじっているくらいで、一般には誰も生ま薯を賞味することはない。

トロロにするにはヤマノイモ(一名ジネンジョウ)の方がまさっている。ナガイモの方には粘力が比較的少なくて劣っている。そしてこのように生のまま食う根は他にはない。

フキはキク科に属していて Petasites japonicus Miq. なる学名を有し、我が日本の特産で中国にはないから、したがって中国の名はない。

フキは僧昌住の『新撰字鏡』にはヤマフヽキとあり、深江輔仁の『本草和名』にはヤマフヽキ一名オホバとあり、また源順の『倭名類聚鈔』にはヤマフヽキ、ヤマブキとある。これでみればフキは最初はヤマフヽキといっていたことが分る。すなわちこのヤマフヽキが後にヤマブキとなり、ついに単にフキというようになり今日に及んでいる。そしてフキとはどういう意味なのか分らないようだ。

スイカ、マクワウリは子房からの中身を食し、ボウブラ、カボチャ、シロウリ、ツケウリは主に花托からなった部分を食し、キュウリは通常その両部分を食している

マクワウリの漢名は甜瓜である。すなわちこれはその味が特に他の瓜より甘いからである。甜は甘いことである。

マクワウリは真桑瓜と書く。この真桑瓜は美濃本巣郡真桑村の名産で、昔からその名が高く、それでこの瓜をマクワウリと呼ぶようになって今日に及んでいる。

日本のクリはその学名は Castanea crenata Sieb. et Zucc. で、西洋での俗名は Japanese Chestnut である。そしてクリの語原は黒い意味でその実の色から来たもんだ。これは日本の特産で中国にはない。

支那栗すなわちアマグリは実の渋皮がむけやすく味が甘いのが特徴である。

元来栗というのは中国産のもので、今それを学名でいえば Castanea mollissima Blume であり、西洋での俗名は Chinese Chestnut であって、あの町で売っているいわゆる甘栗がすなわちそれである。この栗は少しは今日本に植えられているようだが、しかしまだ日本でなった実が市場に出ることはなく、そして出るほど多量な実は今日日本では稔らない。それは畢竟その樹を大量に植えないからである。しかしこの栗は通常日本ではなかなかに実の着きが悪いといわれる。

しかしこの時分でも西瓜の変わり品が幾種かあって、円いのも長いのもまた皮に斑のあるものもあった。そしてその名もいろいろで、例えば白スイカ、木津スイカ、赤ホリ(伊勢赤堀村の産)、長スイカ、ナシキンなどである。また当時皮と瓤とが黄色でアカボウと呼ぶものもあった。また皮は緑色で中身の瓤が黄色の黄スイカもあった。また袖フリという極く小さい西瓜もあった。 中国人は常に種子を食する習慣がある。すなわち歯でその皮を割りその中身の胚を味わうのである。食べ慣れないとなかなか手際よくゆかない。それにはその種子が大きくないと叶わんので、中国では特に種子食用の西瓜がつくられていると聞いたことがあった。

深緑色球形のスイカは徳川時代から明治時代へかけての普通品

貝原益軒の『大和本草』によれば、スイカは寛永年中に初めて異国から来たとある。

ところで世界の多くの学者でも、また日本の学者でも、いつも誤っている事実は、この閉頭果すなわちイチジクの実の外壁の部、すなわち中部の花もしくは果実を包んでいる内嚢壁の部を、花托(receptacle)もしくは総花托(common receptacle)だとしていることである。これはじつに思わざるのはなはだしきもので、この部は花托でも何んでもなく、これはそれを正直にいえば単に変形せる花軸である。その花托は内部の小花にこそあれ(上に書いたように)他の場所にある理屈がない。小花にも花托があり、さらにその小梗下の肉壁にも花托があるということになると、畢竟二重に花托が存在している結論となる。そうでないのか、考えてみればすぐ判ることだ。



イチジクの別名として九州地方にはトウガキ(唐柿)の方言がある。これはその形が円くて味が甘いからそう呼んだものだ。その果の内部に小花が填充しているのである。

古人がこれを無花果と名づけたのは、その果はあるが外観いっこうに花らしいものが見えぬので、それで実際に花のないものだと思って無花果と書いたので、この無花果の字面は明の汪頴の『食物本草』に初めて出ている。そしてこの果はじつは擬果すなわち偽果であって、本当の果実でない事実は素人には分るまいが学者にはよく分っている。

日本にはアケビが二つある。植物界では一つをアケビ、一つをミツバアケビといって分けてあるが、アケビはじつのところこの両方の総名である。 かのアケビのバスケットはミツバアケビの株元から延び出て地面へ這った長い蔓を採ってつくられる。普通のアケビにはこの蔓が出ない。 ミツバアケビの実の皮は鮮紫色ですこぶる美しいが、普通のアケビの実の皮はそれほど美しくはない。熟したアケビの実の皮は厚ぼったいものである。中の肉身を採った残りの皮を油でイタメ味を付けて食用にすることがあるが、なかなか風雅なものである。




ちょうど職場でお昼休憩のときに読んでいたのですが、”スイカの種を食べる”というところを見て、
いい機会だから職場の中国人のおばちゃんに聞いてみたところ、「食べる食べる!」という返答をいただきました。

でもスイカをパクパク食べてその種を使うのではなくて、種だけ売っているものを買って、それを調理して食べるのだそうです。(洗ったり、乾かしたりがめんどうだそう)
その方は砂糖やバターと一緒に炒ってデザート感覚で食べるそうで、おもしろいなぁと思いました。


植物知識 (牧野 富太郎)

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花は、率直にいえば生殖器である。

すなわち花は誠に美麗で、且つ趣味に富んだ生殖器であって、動物の醜い生殖器とは雲泥の差があり、とても比べものにはならない。

花は、種子を生ずるために存在している器官である。もし種子を生ずる必要がなかったならば、花はまったく無用の長物で、植物の上には現れなかったであろう。
ゆえに植物には花のないものはなく、もしも花がなければ、花に代わるべき器官があって生殖を司っている。(ただし最も下等なバクテリアのようなものは、体が分裂して繁殖する。)

種子を保護しているものが、果実

動物が子孫を継ぐべき子供のために、その全生涯を捧げていることは蝉の例でもよくわかる。暑い夏に鳴きつづけている蝉は雄蝉であって、一生懸命に雌蝉を呼んでいるのである。うまくランデブーすれば、雄蝉は莞爾として死出の旅路へと急ぎ、憐れにも木から落ちて死骸を地に曝し、蟻の餌となる。 しかし雌蝉は卵を生むまでは生き残るが、卵を生むが最後、雄蝉の後を追って死んでゆく。いわゆる蝉と生まれて地上に出でては、まったく生殖のために全力を打ち込んだわけだ。

われらが花を見るのは、植物学者以外は、この花の真目的を嘆美するのではなくて、多くは、ただその表面に現れている美を賞観して楽しんでいるにすぎない。花に言わすれば、誠に迷惑至極と歎つであろう。花のために、一掬の涙があってもよいではないか。

日本に作っている芍薬は、中国から伝わったものであろう。今は広く国内に培養せられ、その花が美麗だから衆人に愛せられる。中国では人に別れる時、この花を贈る習慣がある。つまり離別を惜しむ記念にするのであろう。

来、水仙は昔中国から日本へ渡ったものだが、しかし水仙の本国はけっして中国ではなく、大昔遠く南欧の地中海地方の原産地からついに中国に来り、そして中国から日本へ来たものだ。中国ではこの草が海辺を好んでよく育つというので、それで水仙と名づけたのである。仙は仙人の仙で、この草を俗を脱している仙人に擬えたものでもあろうか。

水仙には絶えて実を結ばないこと、かのヒガンバナ、あるいはシャガと同様である。けれども球根で繁殖するから、実を結んでくれなくっても、いっこうになんらの不自由はない。そうしてみると、水仙の花はむだに咲いているから、もったいないことである。ちょうど、子を生まない女の人と同じだ。

Iris は虹の意で、それは属中多くの花が美麗ないろいろの色に咲くから、これを虹にたとえたものだ。

昔は紫の色はみな紫根で染めた。これがすなわち、いわゆる紫根染めである。今はアニリン染料に圧倒せられて、紫根染めを見ることはきわめてまれとなっている。私は先年、秋田県の花輪町の染め物屋に頼んで、絹地にこの紫根染めをしてもらったが、なかなかゆかしい地色

日本にはスミレの品種が実に百種ほど(変種を入れるとこれ以上)もあって、これがみなスミレ属 Viola に属する。これによってこれを観れば、日本は実にスミレ品種では世界の一等国といってよい。

今日ではたいていのスミレ類は果実が稔らない。そして花の済んだ後に、微小なる閉鎖花がしきりに生じて自家受精をなし、能く果実ができる特性がある。

パンジーはスミレ属の一種で、三色スミレと呼ばれる。すなわち、一花に三つの色があるというのである。

いったい日本人は花の香いに冷淡で、あまり興味を惹かないようだが、西洋人と中国人とはこれに反して非常に花香を尊重する。かの素馨〔ジャスミン〕などは大いに中国人に好かれる花の一つで、市場で売っており、薔薇の玫瑰(日本の学者はハマナシ、すなわち誤っていうハマナスを玫瑰としていれど、それはむろん誤りである)も同国人に貴ばれ、その花に佳香があるので茶に入れられる。ゆえに Tea rose の名がある。

ヒマワリは一名ヒグルマ、一名ニチリンソウ、一名ヒュウガアオイと呼ばれ、アメリカ合衆国の原産であるが、はやくに広く世界に広まり、諸国で栽培せられている。そしてわが邦へはけだし、昔中国からそれを伝えたものであろう

世人は一般に、ヒマワリの花が日に向こうて回るということを信じているが、それはまったく誤りであった。

ヒマワリの姉妹品にキクイモがあって同属に列する。その学名を Helianthus tuberosus L.(この種名は塊茎を有する意)と称し、俗に Girasole または Jerusalem artichoke と呼び、やはりアメリカ合衆国ならびにカナダがその原産地である。地中にジャガイモ(馬鈴薯というは大間違い)のような塊茎が生じて食用になるのだが、それにまったく澱粉はなく、ただイヌリン(ゴボウと同様)があるのみである。味は淡白であって美味くないから、だれも食料として歓迎しない。しかれども方法をもってすれば、砂糖が製せられるから捨てたものではない。

ユリの諸種はみな宿根草である。地下に鱗茎(俗にいう球根)があって、これが生命の源となっている。すなわち茎葉は枯れても、この部はいつまでも生きていて死なない。 鱗茎は白色、あるいは黄色の鱗片が相重なって成っているが、この鱗片は実は葉の変形したものである。そして地中で養分を貯えている役目をしているから、それで多肉となり、多量の澱粉を含んでいる御蔵をなしているが、それを人が食用とするのである。
鱗片が相擁して塊り、球をなしているその球の下に叢生して鬚状をなしているものが、ユリの本当の根である。

たくさんあるユリの種類の中で、最もふつうで人に知られているものが、オニユリである。これは中国にも産し、巻丹の名がある。それは花蓋片が反巻し、且つ丹いからである。このオニユリの球根、すなわち鱗茎は白色で食用になるのであるが、少しく苦味がある。
ヤマユリの球根は、食用として上乗なものである。ゆえに古より、料理ユリの名がある。このヤマユリは日本の特産で、中国にはないから、したがって中国名はない。

テッポウユリは沖繩方面の原産で、筒の形をした純白の花が横向きに咲き、香気が高い。このユリを筑前〔福岡県北東部〕では、タカサゴと呼ぶことが書物に出ている。そしてこのテッポウユリは、輸出ユリとして著名なもので、その球根が大量に外国に出て行く。

スカシユリは、ふつうに栽培して花を咲かせていて、その花色には赤、黄、樺〔赤みを帯びた黄色〕などがある。花は上向きに咲き、花蓋片のもとの方がたがいに透いているので、スカシユリの名がある。

輸出ユリとしては日本が第一で、年々たくさんな球根が海外へ出ていた
その輸出ユリの第一はヤマユリ、次がテッポウユリ、次がカノコユリという順序だろう。

ハナショウブは世界の Iris 属中の王様で、これがわが邦の特産植物ときているから、大いに鼻を高くしてよい。

このドクダミははなはだ抜き去り難く、したがって根絶せしめることはなかなか容易でなく、抜いても抜いても後から生え出るのである。

花の中の子房が花後に成熟して実になったものは、果実そのものの本体で、すなわち正果実である。 ウメ、モモ、ケシ、ダイコン、エンドウ、ソラマメ、トウモロコシ、イネ、ムギ、ソバ、クリ、クヌギ、ならびにチャの実などがそれである。
また、果実には他の器官が子房と合体し、共同で一の果実をなしているものもある。すなわちリンゴ、ナシ、キュウリ、カボチャ、メロンなどがそれである。 また、他の器官が主部となって果実をなしているものもあって、そんな場合は、これを擬果とも偽果とも称える。すなわちオランダイチゴ、ヘビイチゴ、イチジク、ノイバラの実などがそれである。

果実の食用となる部分は、果実の種類によってかならずしも一様ではない。モモ、アンズなどは植物学上でいうところの中果皮の部を食用とし、リンゴ、ナシなどは実を合成せる花托部を食しており、ミカンは果内の毛を食し、バナナは果皮を食し、イチジクは変形せる花軸部を食用に供している。

リンゴの果実は、これを縦に割ったり横に切ったりして見れば、よくその内部の様子がわかるから、そうして検して見るがよい。 その中央部に五室に分かれた部分があって、その各室内には二個ずつの褐色な種子が並んでいる。そしてその外側に区切りがあって、それが見られる。すなわちこの区切りを界としてその内部が真の果実であって、この果実部はあえてだれも食わなく捨てるところである。そしてこの区切りと最外の外皮のところまでの間が人の食する部分であるが、この部分は実は本当の果実(中心部をなせる)へ癒合した付属物で、これは杯状をなした花托(すなわち花の梗の頂部)であって、それが厚い肉部となっているのである。

これで見ると、このリンゴの実は本当の果実は食われなく、そしてただそのつきものの変形せる花托、すなわち花梗の末端を食っている

元来リンゴは林檎(和リンゴ)の音であるから本当のリンゴをいう場合は何もいうことはないが、今日のように西洋リンゴ(トウリンゴ)を単にリンゴと呼ぶのは、実は当を得たものではないことを知っていなければならない。

ミカンは、その毛の中の汁を味わっている、と聞かされるとみな驚いてしまうだろうが、実際はそうであるからおもしろい。もし万一ミカンの実の中に毛が生えなかったならば、ミカンは食えぬ果実としてだれもそれを一顧もしなかったであろうが、幸いにも果中に毛が生えたばっかりに、ここに上等果実として食用果実界に君臨しているのである。
いずれも甘汁もしくは酸汁を含んでいる毛がその食用源をなしているのである。

ミカン類の果実を剥いて見ると、表面の皮がまず容易にとれる。その中には俗にいうミカンの嚢が輪列していて、これを離せば個々に分かれる。そしてその嚢の中に汁を含んだ膨大せる毛と種子とがあって、その毛はその嚢の外方の壁面から生じており、その種子は内方の底から生じている。

果実としてのバナナは元来そのいずれの部分を食しているかというと、実はその果実の皮を食しているので、これはけっして嘘の皮ではなく本当の皮である。もしもバナナにこの多肉質をなした皮がなかったならば、バナナは果実としてなんの役にも立たないものである。

バナナを食うときはだれでもまずその外皮を剥ぎ取り、その内部の肉、それはクリーム色をした香いのよい肉、を食する。そしてこの皮と肉とは、これは共にバナナの皮であるが、皮のように剥げる皮は実はその外果皮で、これは繊維質であるから、それが細胞質の肉部すなわち中果皮内果皮から容易に剥ぎ取れるわけだ。この繊維質部は食用にならぬが、食用になるのはその次にある細胞質の部のみで、これが前記のとおり中果皮と内果皮とである。

元来このバナナが正しい形状を保っていたなら、こんな食える肉はできずに繊維質の硬い果皮のみと種子とが発達するわけだけれど、それがおそろしく変形して厚い多肉部が生じ種子はまったく不熟に帰して、ただ果実の中央に軟らかい黒ずんだ痕跡を存しているのみですんでいる。すなわちこれは果実の常態ではなくまったく一の変態で、つまり一の不具である。すなわちこれが不具であってくれたばっかりに、吾人はこの珍果を口にする幸運に遭っているのである。要するに、われらはバナナの中果皮、内果皮なる皮を食って喜んでいるわけだ。

中国名の芭蕉は一に甘蕉ともいい、実はバナナ、すなわちその果実の味の甘いバナナ類を総称した名である。ゆえにバナナを芭蕉といい、甘蕉といってもよいわけだ。

オランダイチゴは今日市場では、単にイチゴと呼んで通じている

このオランダイチゴ、すなわちストローベリの実の食うところは、その花托が放大して赤色を呈し味が甘く、香いがあって軟らかい肉質をなしている部分である。人々はその花托すなわち茎の頂部、換言すればその茎を食しているのであって、本当の果実を食っているのではない(いっしょに口には入って行けども)。

されば本当の果実とはどこをいっているかというと、それはその放大せる花托面に散布して付着している細小な粒状そのもの(図の右の方に描いてあるもの)である。 ゆえにオランダイチゴは食用部と果実とはまったく別で、ただその果実は花托面に載っているにすぎない。

ヘビイチゴの実には甘味がないからだれも食わない。いやな名がついていれど、もとよりなんら毒はない。ヘビイチゴとは野原で蛇の食う苺の意だ。


植物に取り囲まれているわれらは、このうえもない幸福である。こんな罪のない、且つ美点に満ちた植物は、他の何物にも比することのできない天然の賜である。実にこれは人生の至宝であると言っても、けっして溢言ではないのであろう。

植物の研究が進むと、ために人間社会を幸福に導き人生を厚くする。植物を資源とする工業の勃興は国の富を殖やし、したがって国民の生活を裕かにする。ゆえに国民が植物に関心を持つと持たぬとによって、国の貧富、したがって人間の貧富が分かれるわけだ。貧すれば、その間に罪悪が生じて世が乱れるが、富めば、余裕を生じて人間同士の礼節も敦くなり、風俗も良くなり、国民の幸福を招致することになる。想えば植物の徳大なるかなであると言うべきである。

人間は生きている間が花

また私は世人が植物に趣味を持てば次の三徳があることを主張する。すなわち、第一に、人間の本性が良くなる。野に山にわれらの周囲に咲き誇る草花を見れば、何人もあの優しい自然の美に打たれて、和やかな心にならぬものはあるまい。氷が春風に融けるごとくに、怒りもさっそくに解けるであろう。またあわせて心が詩的にもなり美的にもなる。 第二に、健康になる。植物に趣味を持って山野に草や木をさがし求むれば、自然に戸外の運動が足るようになる。あわせて日光浴ができ、紫外線に触れ、したがって知らず識らずの間に健康が増進せられる。 第三に、人生に寂寞を感じない。もしも世界中の人間がわれに背くとも、あえて悲観するには及ばぬ。わが周囲にある草木は永遠の恋人としてわれに優しく笑みかけるのであろう。 惟うに、私はようこそ生まれつき植物に愛を持って来たものだと、またと得がたいその幸福を天に感謝している次第である。







人間は生きている間が花、という言葉がとても印象に残りました。
生まれる前はつぼみで、死んだら枯れる。たしかにそうなのかもしれないのですが、
死んでからも花であれるのであれば、花でありたいなぁ、なんて贅沢なことを思いました。
でもそう在れれば嬉しいです。

花は生殖器だなんて考えたことがなかったので、今後ちょっと花を見る目が変わりそうです。

ババールとサンタのおじさん (ブリュノフ ジャン・ド)

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個人的にこの絵が大好き。





クリスマスイヴの よるに すっげえ やさしい おじさん、 それも もじゃもじゃ しろひげで あかいふくに とんがりぼうしの やつが、 そらを とんでくるらしいぜ。

ああ ゆうびんやさんが いつも どれだけ さがしても サンタさんからの へんじは きていません。 あるひ ババールが そんな こどもたちに きづきまして。

にんげんの こどもと おなじように、 ぞうの くににも いらして、 うちの こどもたちにも おもちゃを くばってほしいのだと。

クリスマスイヴの よるは もう いそがしすぎて くたくたで、 どうしても ぞうの くにには いけないのだと。 さらに ことばを つづけまして。「せかいの こどもたちに おもちゃを くばる。 その いつもの しごとでさえも きょねんは いっぱいいっぱいでな。

そらも とべるように なる まほうの ふくに、 いつでも おもちゃ いっぱいの かご。

クリスマスイヴの よる、 ババールは サンタさんに いわれたとおりに します。 ふくと ひげを みにつけると、 たちまち からだが かるくなって、 とべるように なったのが わかります。

そうして クリスマスの あさ。 どのおうちでも めを さました こぞうは みんな おおよろこびで! おしろでも おきさきの セレストが それぞれの おへやを ちらっと のぞくと、 ポムは くつしたを さかさに、 フロールは おにんぎょうを あやし、 アレクサンドルは ベッドで とびはねながら おおごえ。「とっても すてきな クリスマス! クリスマスぅ!」






ぞうの国の王様がサンタさんに自分の国にもプレゼントを届けにきて欲しいと直談判するために、
サンタさんを探すお話。

絵がとってもとってもかわいいのですが、
この絵本を読んでサンタさんをちゃんと労わらないといけないのだなぁと思いました。
世界中一人飛び回ってプレゼントを届けるわけですから、そりゃあもうめちゃくちゃ重労働!
今までプレゼントをもらう側だったので全然気に留めていなかったのですが、大きな喜びの後ろには厳しい仕事をこなす人がいることを忘れてはならないなぁ、なんて思いました。


素敵なお話。

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