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「別居」について (伊藤 野枝)

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そういう安易な日が続くことは自分にも慣れてきて、たいていはその平和に油断をしていました

出来るだけ完全な自分の道を歩こう

そうして、その情実を無理に退けて進むには、私はあまりに多くの未練と愛着を過去の生活に持ち過ぎました。

自分自身について深く考えたときに、私のその不幸が決して本当の不幸でなく、そしてまた苦しんだことが無駄でないということ、そういう境遇によって、いくらか自分の歩く道にも相違が出来たこと、その他いろいろな事を考えて、かえってその方が私には幸福だったと思うことは出来ますが、そして子供の上にも同じ考えは持ちたいと思いますが、しかし母親としての本能的な愛の前には、その理屈は決して無条件では通りませんでした。私は子供のために、すべてを忍ぼうとしました。

私の心はすべての事に向っておちつきを失い、かき乱された生活をどう整えるかという事に当惑しきっていました。そうしてそういう状態が長く続きました。それがとうとう惰性を持つようになりました。

最初に、二人の感情が不意にぶっつかったときには、私は、非常に自分の態度に不快を感じました。そうして、私はそれを冗談として取り消してしまおうと思いました。けれども、私は現在の自分を振り返って見ましたとき、それを単純に取り消してしまうつもりになってすましてはいられませんでした。辻に対する私の持っているというその愛にその時始めて疑いを持ちました。

それまでのいろいろな事に対する苦悶が多かっただけ、私は家を出たその日からすべての事に何の未練も残さずにすみました。永い間私を苦しめた功利的な醜い心遣いもなくなりました。私は今、何の後悔も持たないでいられることを非常に心持よく思います。

吸収するだけのものを吸収し、与えるものを与えて、それでお互いの生活を豊富にすることが、すべてだと思いましたときに、私は始めて私達の関係がはっきりしました。 たとえ大杉さんに幾人の愛人が同時にあろうとも、私は私だけの物を与えて、ほしいものだけのものをとり得て、それで自分の生活が拡がってゆければ、私には満足して自分の行くべき道にいそしんでいられるのだと思います。






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ハワイの食用蛙 (北大路 魯山人)

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食用ガエルの脚をオリーブ油でフライにしたのを出されたが、これはなかなか美味でした。

ハワイは、意外に食べ物のうまいところで、アロハ飛行場で出されたアイスクリーム、コーヒーの素晴らしかったこと。コクがあって、ネバリが強くって、あんなにうまいアイスクリームはついぞ口にしたことがありません。

ハワイのコーヒー、これも素晴らしくいい。風土のせい、気候のせい、コーヒーそのものがすこぶる上等なのでしょう。その上、ミルクの味のいいこと。まさに近来の掘り出し物です。

しかし、外国はどこの国の料理でも、食器と盛り付けの点で落第です。どんな一流の店でも、実につまらぬ食器を使って、盛り付けになんの注意も払っていません。鍋やフライパンから無造作に皿へザーッとあけて平気でいます。目に訴える美感について鈍感なのに驚くほかありません。この点、盛り付けを含めて日本料理の高さというものは、世界無比だと思います。

食べ物は単に舌だけで味わうものではなく、全感覚を喜ばせるものでありたいとする日本人の美食学は、実に世界の最高を行くものだと思います。いうまでもなく、店構えも立派、すべてが清潔ということも第一条件でありますが、それだけで終わっているアメリカ料理の奥行きの浅さを僕は感ぜずにはいられませんでした。





著者の本を読むと、食器をきちんとこだわりたいといつも感じさせられるのでした。
いい食器ありきの、いい料理なのですね。

筍の美味さは第一席 (北大路 魯山人)

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筍も産地による持ち味の等差というものの甚だしいのに驚く

京阪は本場である。関東のそれは場違いとしたい。目黒の筍など名ばかりで、なんの旨味もない。京都では、洛西の樫原が古来第一となっている。その付近に今ひとつ、向日町という上産地がある。洛東の南、伏見稲荷の孟宗藪も近来とみに上物ができて、樫原に劣らぬと自慢している。 しかし、私の経験ではなんと言っても樫原の優良種がよい。噛みしめて著しい甘味があり、香気がすこぶる高い。繊維がなくて口の中で溶けてしまう。

ゆがいた筍を永く水に浸しておくのは、味を知らない人のすること、掘って間のない本場ものなら、京都人は、ゆでないでそのまま直ぐに煮て、少しも逃げない味を賞味している。煮冷えすると白い粉が吹いているが、平気で美味さをよろこぶ風がある。

新しい筍を煮るのに、醤油、砂糖でできた汁を筍の肉深く滲み込ませるのは考えものである。日の経った筍や缶詰ものならばそれもよいが、掘りたてのものであってみれば、煮汁を滲みこませないよう中身は白く煮上げるのが秘訣である。 こうしてこそ筍のもつ本来の甘味と香気が生き生きと動いて、春の美菜のよろこびがあると言うもの。しかし、関東ものは本場並みにはいきかねる点もあるから、そこは筍次第で、人おのおのの工夫を要するものとしたい

孟宗の終るころ、はちく・やだけ・まだけが出て、孟宗の大味にひきかえ、乙な小味を楽しませてくれる。





やはり土地によってたけのこの味が違うのですね。
ぼくの生まれ故郷である岡山では真備のたけのこが一番有名なのですが、京都のたけのこ、ぜひ食べてみたいですね。

椎茸の話 (北大路 魯山人)

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大分県あたりで採れる椎茸は実に見事で、日本一と叫んでもいいだろう。大分の椎茸は本当の椎の木にできた椎茸なので、かさが黒くなめらかで、香りや味がすばらしい。関東で賞味している椎茸は、実は椎の木にできたものではなく、櫟の木にできたものだから本当にうまいとはいえない。

椎茸のかさは、そのできる木の皮に似る性質があるので、櫟の木にできた椎茸のかさは櫟の皮と同じようになっており、椎の木にできた椎茸は椎の皮に似ている。

さて、櫟椎茸だが、これは噛みごたえがあるという特徴はあるけれども、椎の木にできた椎茸のように香りがない。所詮、椎の木にできた椎茸にまさるものなしといえよう


胡瓜 (北大路 魯山人)

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今日では温室栽培の向上によって、くだもの、野菜など季節がなくなってしまった。

しかし、促成野菜を味なきもののようにいうのは、促成野菜の価値を認識しない批評であって、促成野菜は、いわゆる旬のものにない味わいを持っている。従って、軽々に取り扱うのは考えものである。

昔は旬のきゅうりという一つのものであったが、今日では促成野菜というものができて、きゅうりもなすも二種類になっているわけである。従って促成と季節と楽しみは二つにふえているわけである。

大きくなっても種がないうちはうまいが、種ができるように成長してしまっては落第である。







促成栽培のものでも旬のきゅうりとはまた違う味わいがあるようで。
そう考えて食べたことがなかったので、面白いですね。


百万人のそして唯一人の文学 (青野 季吉)

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作者のため、作者ひとりのためにあることは、いかなる意味でも読者を無視するものでなく、却つて形のない百万人のための文学であり、その百万人に形を与へる文学であることは、さきに述べた。「ツアラトゥストラ」の詩人は、「万人のための、そして何人のためでもない」書と云つた。
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文学はいかなる意味でも、読者のためにだけあるものでなく、何よりもまづ作者のためにあるもの

しかし当時の新聞と現代の新聞との相違は、マニュファクチュアーと大企業工場との相違より大きい。戦後となると、その相違はいつそう大きくなつた。昔の新聞には、まだどこかに個人が生きてゐた。主筆とか編輯長とかの趣味見識が息づいてゐた。漱石は池辺三山の知遇に感じたのだ。ところが現代の新聞では、こと新聞小説にかんする限り、もはや主筆も編輯長も存在しない。

「百万人の文学」にとつて、さらに重要なのは、先にもちよつと云つたやうに、即刻即座の反響である。これがなければ、どんな通俗小説も市場価値においては、紙屑同然である。現に、今日楽しんで読まれさへすれば、明日は屑籠に投込まれても本望だと揚言して憚らない作家がある。いい覚悟だといふほかはない。この覚悟に徹底するのでなければ、通俗小説に安住自足することはできない。

通俗小説とは、さうした常規があり、その常規をうまく使つて造られる文学である。

「百万人の文学」と云はれる。通俗小説の目ざすものは、まさにそれである。そのためには、世の常識道徳に叛逆してはならず、それから一歩すすんだものでなければならないとか、イデオロギー的の片よりがあつてはならず、つねに中間的、中庸的でなければならないとか、大衆の実生活から孤立せず、つねにそれと共に生きなければならないとか、ヒューマニティと愛を基調にしたものでなければならないとか、現代の流行通俗作家によつて、いろいろ定義や規準が示されてゐる。おそらくそれに間ちがひあるまい

純小説とは、さういふ自分とさういふ形なき読者とのインチメートな対話として以外には考へられない。

読者のために描かないといふことは、読者を無視してゐることでは絶対にない。自分の内部にある、自分と分ちがたい読者のためにかき、それ以外の読者のためにはかかないといふことに他ならない。

(純小説から通俗小説への)転身後のそんな空虚な自己に堪へられない作家は、たいてい沈黙してしまつたが、中には、自殺によつてその苦を脱れたものもある。芥川龍之介がその一人だ。――さういふ潔癖家には、通俗小説に転身して成功する才能がなかつたのも原因してゐると云はれる。

作家たちの仕事振りをみても、先づ純小説をかいて、文壇に認められることに努め、それがどうにか達せられると、予定の計画のやうな早さで、通俗小説へ転身する。さういふ打算的な作家が多くなつた

わたくしは唖然とした。 純小説は、文学青年の手習ひみたいなもので、通俗小説に到達する段階にすぎないと、この人達は合点してゐるらしい。








昔の新聞には、まだどこかに個人が生きてゐた。

という一文がすごく心に残った。
別に今の新聞が死んだものとは思わないけど、確かに人間、編集長やライターたちの意思みたいなものは
希薄なのかもしれないなぁ、なんて。

新聞を読む目が少し変わりそうです。







醜い家鴨の子 (アンデルセン ハンス・クリスチャン)

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見っともないという理由で馬鹿にされた彼、それが今はどの鳥よりも美しいと云われているのではありませんか。

その白鳥は、今となってみると、今まで悲しみや苦しみにさんざん出遭った事が喜ばしい事だったという気持にもなるのでした。そのためにかえって今自分とり囲んでいる幸福を人一倍楽しむ事が出来るからです。


子家鴨は急に水面に飛び下り、美しい白鳥の方に、泳いで行きました。すると、向うでは、この新しくやって来た者をちらっと見ると、すぐ翼を拡げて急いで近づいて来ました。「さあ殺してくれ。」と、可哀そうな鳥は言って頭を水の上に垂れ、じっと殺されるのを待ち構えました。 が、その時、鳥が自分のすぐ下に澄んでいる水の中に見つけたものは何でしたろう。それこそ自分の姿ではありませんか。けれどもそれがどうでしょう、もう決して今はあのくすぶった灰色の、見るのも厭になる様な前の姿ではないのです。いかにも上品で美しい白鳥なのです。百姓家の裏庭で、家鴨の巣の中に生れようとも、それが白鳥の卵から孵る以上、鳥の生れつきには何のかかわりもないのでした。

自分もあんなに可愛らしかったらなあとは、しきりに考えました。

いや、僕はもうどうしてもまた外の世界に出なくちゃいられない。

「僕は見っともなくて全く有難い事だった。犬さえ噛みつかないんだからねえ。」

母親さえ、しまいには、ああこんな子なら生れない方がよっぽど幸だったと思う様になりました。仲間の家鴨からは突かれ、鶏っ子からは羽でぶたれ、裏庭の鳥達に食物を持って来る娘からは足で蹴られるのです。

そこでみんなはくつろいで、気の向いた様にふるまいました。けれども、あの一番おしまいに殻から出た、そしてぶきりょうな顔付きの子家鴨は、他の家鴨やら、その他そこに飼われている鳥達みんなからまで、噛みつかれたり、突きのめされたり、いろいろからかわれたのでした。そしてこんな有様はそれから毎日続いたばかりでなく、日に増しそれがひどくなるのでした。兄弟までこの哀れな子家鴨に無慈悲に辛く当って、「ほんとに見っともない奴、猫にでもとっ捕った方がいいや。」






有名なお話ですが今回読んで感じたのは、

「人も動物も自分と違うものを差別しがちであること」
「劣等感が人生に良い影響を及ぼすことも多いこと」
「自分と違うものに憧れても生まれたときから自分は自分でしかないこと」
「傷みを知るだけ弱く、それ以上に強くなれること」

でしょうか。


そう思うと、なんと見事なストーリーかと思いました。
子どもたちがどこまでこの物語を深く受け入れるのかは分からないのですが、
むしろ大人に読んで、考えて欲しい内容だと思いました。(上から目線ですいません)

桜桃 (太宰 治)

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ヤケ酒というのは、自分の思っていることを主張できない、もどっかしさ、いまいましさで飲む酒の事である。
いつでも、自分の思っていることをハッキリ主張できるひとは、ヤケ酒なんか飲まない。(女に酒飲みの少いのは、この理由からである)

妻のほうはとにかく、夫のほうは、たたけばたたくほど、いくらでもホコリの出そうな男なのである。

母も、いったい、無口なほうである。しかし、言うことに、いつも、つめたい自信を持っていた。(この母に限らず、どこの女も、たいていそんなものであるが)

子供より親が大事、と思いたい。子供よりも、その親のほうが弱いのだ。 桜桃が出た。 私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかもしれない。食べさせたら、よろこぶだろう。
父が持って帰ったら、よろこぶだろう。蔓を糸でつないで、首にかけると、桜桃は、珊瑚の首飾りのように見えるだろう。 しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。


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とてもおもしろかったのは、父の心の葛藤とでもいおうか、父として、親としての子への感情を垣間見れたこと。
子どもを一番に考えようとするも、自分をたびたび甘やかして肯定してしまうお父さんって多いのではないだろうか。
上の赤字で太字のラストの一文が、すごく心に引っかかったのでありました。

蜜柑 (芥川 竜之介)

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世間は余りに平凡な出来事ばかりで持ち切っていた。

この隧道の中の汽車と、この田舎者の小娘と、そうして又この平凡な記事に埋っている夕刊と、――これが象徴でなくて何であろう。不可解な、下等な、退屈な人生の象徴でなくて何であろう。

煤を溶したようなどす黒い空気

彼等は皆、この曇天に押しすくめられたかと思う程、揃って背が低かった。

するとその瞬間である。窓から半身を乗り出していた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢よく左右に振ったと思うと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まっている蜜柑が凡そ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降って来た。私は思わず息を呑んだ。そうして刹那に一切を了解した。小娘は、恐らくはこれから奉公先へ赴こうとしている小娘は、その懐に蔵していた幾顆の蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切りまで見送りに来た弟たちの労に報いたのである。

私はこの時始めて、云いようのない疲労と倦怠とを、そうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出来たのである。

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人生にいささか飽きている人間に一番効くのは、現実に起こる無垢な暖かさのある出来事なのだなぁと思った。
やっぱり人はどこまでいっても人で、暖かいものに触れると心が本能的に動いてしまうものなのだろう。




琵琶湖 (横光 利一)

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私にもこの湖は見る度に、沼のやうにだんだん生色を無くしていくのを感じる。

琵琶湖の色は年々歳々死んで行くやうに見えるが、あれはたしかに死につつあるに相違ない、

奥の院の夏の土の色の美しさと静けさは、あまり人々の知らないことだと思ふ。あそこの土の色の美しさには、むかしの都の色が残つてゐる。すべて一度前に、極度に繁栄した土地には、どことなく人の足で踏み馴らされた脂肪のやうな、なごやかな色が漂つてゐるものだが、私の見た土では、神奈川の金沢とか、鎌倉とかには、衰へ切つてしまつてゐるとはいへ、幕府のあつた殷盛な表情が、石垣や樹の切株や、道路の平担な自然さに今も明瞭に現はれてゐる。

坂本で感心をするなら大津の疏水から三井寺へ行くべきであると私は云つたのだが、

一夏を都会で過ごすと、その一年を物足らなく誰も思ふらしいが、私はさうではない。夏の美しさや楽しさは、昼よりも夜であるから、田舎にゐては、夜が来ると早くから寝なければならぬので、夏の過ぎることばかりが待ち遠しい。

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新しいモノの見方。
土の美しさ、って今まで気にしたことなかったからとてもおもしろかったし、
夏の楽しさは夜だと断定しているのも、おもしろいと思った。たしかにそうかも。


これからは出合う土もちゃんと見てみよう。


デンマークのビール (北大路 魯山人)

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この程度のものなら、なにもわざわざビールのためにドイツへ行くまでもないと目下、思案最中です。

フランスのビールはとりわけまずい。これはフランスに良水がないせいでしょう。チェコスロバキアのビールは、ちょいと中将湯のようなにおいと味とを持っています

ビールは大壜より小壜の方がうまい」と始終いっていましたが、こちらに来て、いよいよ僕のこの考え方が正しいことを確認しました。日本を一歩踏み出すと、どこの国でも全部小壜ばかりです。日本も一日も早く小壜主義にならなければ嘘だと思います。

アメリカに来ている日本のビールは、かん詰のアメリカビール程度にまずい。ここにおいて、ビールもまた新鮮を尊ぶことを知りました。

ビール好きの僕、相変わらず毎日ビールを飲んでいますが、日本を離れていちばんうまかったのは、ニューヨークのロシア料理店で出された「チュボルク」というデンマークのビールでした。

今までイギリスは食べ物のまずい国とされていましたが、聞くと見るとでは大違い。さすが古い国柄だけあって、アメリカなどとは比較にならないくらい格式があり、なにかにつけて行き届いていて、味も優れています。

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ぼくはビールを飲まないので、なんともいえないのですが、
食の匠の著者がフランスのビールがまずいなんていうと、絶対に口にしたくないなぁと思ってしまうのでした。
恐ろしき影響力。なんだかフランスのビールに申し訳ない気さえしてしまいますが、、。


ビールも新鮮を尊ぶ、という言葉が印象に残りました。

ジャズ狂時代 (小野 佐世男)

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「ポッポちゃん、おじさんもついでに、よいレッスンをしたよ、ジャズ熱におかされないように、お家に帰ったら熱さましを飲もう……」

日本中の生きものが猫に至るまで、ジャズに浮されているように思われますよ、自動車まで唯今はジャズの調子で、家なんかに飛び込んだりしますし、ジャズ・シンガーやバンドマンの連中はサイン攻めで街も歩けませんよ、

アア世はまるで熱病か台風のように、日本全土は猛烈な勢いでジャズ熱に浮かされているのである。救われざるジャズの群の一人ポッポちゃんも、ここに早や百度程度の高熱患者である。

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短いストーリーではあるのだけど、
日本人の国民性、というか人間性(?)がしっかりと描かれている。
それは、流行に染まりやすいこと。

何かが流行れば、それを追いかけたくなるのが人間の性。
そして飽きがいずれ来る。

そんなことを繰り返して人生は進んでいくのだけど、
なぜ人間は流行りにすぐに流されてしまうのだろうかと考えてしまった。
自分をしっかり持っていないから?
周りの人間と話を合わせたいから?


流行を追うのも一長一短だな、と思った。
まさに台風。まさに熱病。

サンタクロースはいるんだ (ニューヨーク・サン誌)

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これはいいはなし。



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サンタクロースはいない? いいや、ずっと、いつまでもいる。ヴァージニア、何千年、いやあと十万年たっても、サンタクロースはずっと、子どもたちの心を、わくわくさせてくれると思うよ。

ふしぎな世界には、どんな強い人でも、どんな強い人がたばになってかかっても、こじあけることのできないカーテンみたいなものがあるんだ。

サンタクロースが来なかったとしても、なんにもかわらない。だってサンタクロースは見た人なんていないし、サンタクロースがいないっていうしょうこもないんだから。だいじなことは、だれも見た人がいないってこと。

じつはね、ヴァージニア、サンタクロースはいるんだ。愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんとあるように、サンタクロースもちゃんといるし、愛もサンタクロースも、ぼくらにかがやきをあたえてくれる。

でもね、ヴァージニア、大人でも子どもでも、ぜんぶがわかるわけじゃない。この広いうちゅうでは、にんげんって小さな小さなものなんだ。ぼくたちには、この世界のほんの少しのことしかわからないし、ほんとのことをぜんぶわかろうとするには、まだまだなんだ。
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「サンタクロースは本当にいるの?」という子どもに向けたこの回答は見事すぎる。
なんて暖かい心のこもった、そして夢のある回答でしょうか。

こんな言葉をとっさに出せる人は問答無用で尊敬してしまいますし、
ぼくも聞かれる機会があったら、こうやって答えてみたいものです。




白雪姫 (グリム ヤーコプ・ルートヴィッヒ・カール)

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家来のひとりが、一本の木につまずきました。で、棺がゆれたひょうしに、白雪姫がかみ切った毒のリンゴの一きれが、のどからとびだしたものです。すると、まもなく、お姫さまは目をパッチリ見ひらいて、棺のふたをもちあげて、起きあがってきました。

もう人々がまえから石炭の火の上に、鉄でつくったうわぐつをのせておきましたのが、まっ赤にやけてきましたので、それを火ばしでへやの中に持ってきて、わるい女王さまの前におきました。そして、むりやり女王さまに、そのまっ赤にやけたくつをはかせて、たおれて死ぬまでおどらせました。

「女王さま、ここでは、あなたがいちばんうつくしい。 けれども、わかい女王さまは、千ばいもうつくしい。」

「おやまあ、わたしは、どこにいるんでしょう。」といいました。それをきいた王子のよろこびはたとえようもありませんでした。「わたしのそばにいるんですよ。」といって、いままであったことをお話しになって、そのあとから、「わたしは、あなたが世界じゅうのなにものよりもかわいいのです。さあ、わたしのおとうさんのお城へいっしょにいきましょう。そしてあなたは、わたしのお嫁さんになってください。」といわれました。 そこで、白雪姫もしょうちして、王子といっしょにお城にいきました。

雪のように白く、血のように赤く、こくたんのように黒いやつ、こんどこそは、小人たちだって、助けることはできまい。」


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童話を読んでいると毎度思うのだけど、出会いから結婚までが急すぎて違和感。
そこが童話の良さといえば良さなのかもしれないけど。

白雪姫さん、目を覚まして王子から結婚しようといわれ、即OK!ということで。
その決断力、なかなかでございました。チャンスを逃さないというか。見習いたいものです。


それにしても、女王様の殺し方がえげつなくて怖かったです。
なかなか衝撃的なのでありました。
嫉妬が心を蝕んだ結果なのですね。
嫉妬をしてもろくなことが起こらないんだよ、とこの物語が教えてくれているような気がしました。



不思議の国のアリス ミュージカル版 (ルイス・キャロル)

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アリス そうじゃなくて、「おつうじょうび」のプレゼントって何?
ハンプティ 誕生日でないただの日にもらうプレゼントに決まってるだろ。

白のクイーン それが後ろ向きに生きた結果というものざます! いつだってまずもって目が回る。
アリス 後ろ向きに生きる――そんなの聞いたこともなくてよ!
白のクイーン でも実にお得ざあます。後のことも先のことも思い出せるざます。

走るのも いいもんだろ?

おまえ、こりゃほおひげの毛先も凍る思いじゃわい!

わたし算にひっきり算、ばけ算にわらい算。

時間どのを無駄死にさせて以後、頼み事を聞いてくれんようになった。今もずっと六時のままだ。

アリス まあね。でも忙しいときには時間を割いたりするわ。
帽子屋 おお! だからか。時間どのは割かれるのを嫌がる。仲良くなりさえすれば、時計のことはほぼ思い通りにしてくれる。

おかしな時計だこと! 時を告げずに日を告げるなんて。

帽子屋 二日くるっておる。(弥生ウサギに)おいウサギ、時計にバターは合わんと言ったろ!
弥生ウサギ 最高級のバターだぜ。帽子屋 ああ、だがパンくずが混入したに違いない。

みなが自分のやることに気を遣おうものなら、世界はいつもよりずいぶん早く回ろうぞ。
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時間の擬人(?)化がおもしろいです。
時間と仲良しになるのが、限られた人生を楽しむ上で一番良いですよね。
無駄死にさせたくないものだと思いました。(今まで無駄死にさせている気がしなくもないのですが)

でも、人間(自分だけかも)、怠惰な生き物なので、時間殿を殺してしまうことも度々ですよね。
今後、時間を人間だと考えてみたら、今までよりちょっと効率的に生きられるかも、と思いました。

雪女 (小泉 八雲)

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気があれば眼も口ほどにものを云い

彼女の声は歌う鳥の声のように、彼の耳に愉快であった

彼女の息はあかるい白い煙のようであった
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あくまでぼくの解釈なのですが、このストーリーが教えてくれることは、
約束を破ることのリスク、大切なものを簡単に失えてしまうことなのではないかと思いました。

幸せな生活をいとも簡単に壊してしまえるのは、交わした誓い。
現実世界でも、好きな人とつくった約束によって守られるものもあり、自分の行動次第では失ってしまうものがあって。

約束は、諸刃の剣にも似たものなのではないかと思いました。
しっかり守りたいものですが、それでも人間。愚かなもので、破ってしまうこともしばしばなのですね。
気をつけたいものです。




吾輩は猫である (夏目 漱石)

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さすがの名作。

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人間というものは時間を潰すために強いて口を運動させて、おかしくもない事を笑ったり、面白くもない事を嬉しがったりするほかに能もない者だと思った。

近頃は外出する勇気もない。何だか世間が慵うく感ぜらるる。主人に劣らぬほどの無性猫となった。主人が書斎にのみ閉じ籠っているのを人が失恋だ失恋だと評するのも無理はないと思うようになった。

だんだん人間から同情を寄せらるるに従って、己が猫である事はようやく忘却してくる。猫よりはいつの間にか人間の方へ接近して来たような心持になって、

不用意の際に人の懐中を抜くのがスリで、不用意の際に人の胸中を釣るのが探偵だ。

どうせ死ぬなら、どうして死んだらよかろう。

人間はただ眼前の習慣に迷わされて、根本の原理を忘れるものだから気をつけないと駄目

今の人の考ではいっしょにいるから夫婦だと思ってる。それが大きな了見違いさ。

また夫の思い通りになるような妻なら妻じゃない人形だからね。

呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。

死ぬのが万物の定業で、生きていてもあんまり役に立たないなら、早く死ぬだけが賢こいかも知れない。諸先生の説に従えば人間の運命は自殺に帰するそうだ。油断をすると猫もそんな窮屈な世に生れなくてはならなくなる。

猫だって飲めば陽気にならん事もあるまい。どうせいつ死ぬか知れぬ命だ。何でも命のあるうちにしておく事だ。

思い切って飲んで見ろと、勢よく舌を入れてぴちゃぴちゃやって見ると驚いた。何だか舌の先を針でさされたようにぴりりとした。人間は何の酔興でこんな腐ったものを飲むのかわからないが、猫にはとても飲み切れない。どうしても猫とビールは性が合わない。

人間は口癖のように良薬口に苦しと言って風邪などをひくと、顔をしかめて変なものを飲む。飲むから癒るのか、癒るのに飲むのか、今まで疑問であったがちょうどいい幸だ。この問題をビールで解決してやろう。

次第にからだが暖かになる。眼のふちがぽうっとする。耳がほてる。歌がうたいたくなる。猫じゃ猫じゃが踊りたくなる。主人も迷亭も独仙も糞を食えと云う気になる。金田のじいさんを引掻いてやりたくなる。妻君の鼻を食い欠きたくなる。いろいろになる。最後にふらふらと立ちたくなる。起ったらよたよたあるきたくなる。こいつは面白いとそとへ出たくなる。出ると御月様今晩はと挨拶したくなる。どうも愉快だ。

ただ楽である。否楽そのものすらも感じ得ない。日月を切り落し、天地を粉韲して不可思議の太平に入る。吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。

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なんといっても猫側から見る人間の描写がとってもとってもおもしろかったです。
猫ってこんな風に人間を見てるんだなぁなんてちゃんと思えちゃうから、やっぱり著者は天才的なのです。
そして「吾輩」の愛嬌さったらありませんでした。なんてキュート。

途中途中で人間に関する(そして猫にも通じる)真理を述べるこの「吾輩」はやはり只者ではないのではなんて
思いますが、ラストの展開は驚いてしまいました。なんだか悔しい!


なにはともあれ、すごく良い本でした。
さすがの名作なのでありました。



走れメロス (太宰 治)

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なんだかんだで名作。すごいストーリーだなぁと思った。


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ただ、私に情をかけたいつもりなら、処刑までに三日間の日限を与えて下さい。たった一人の妹に、亭主を持たせてやりたいのです。三日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ帰って来ます。

「市に用事を残して来た。またすぐ市に行かなければならぬ。あす、おまえの結婚式を挙げる。早いほうがよかろう。」 妹は頬をあからめた。「うれしいか。綺麗な衣裳も買って来た。さあ、これから行って、村の人たちに知らせて来い。結婚式は、あすだと。」

メロスは起きてすぐ、花婿の家を訪れた。そうして、少し事情があるから、結婚式を明日にしてくれ、と頼んだ。婿の牧人は驚き、それはいけない、こちらには未だ何の仕度も出来ていない、葡萄の季節まで待ってくれ、と答えた。メロスは、待つことは出来ぬ、どうか明日にしてくれ給え、と更に押してたのんだ。婿の牧人も頑強であった。なかなか承諾してくれない。夜明けまで議論をつづけて、やっと、どうにか婿をなだめ、すかして、説き伏せた。

おまえの兄の、一ばんきらいなものは、人を疑う事と、それから、嘘をつく事だ。おまえも、それは、知っているね。亭主との間に、どんな秘密でも作ってはならぬ。おまえに言いたいのは、それだけだ。

私は、今宵、殺される。殺される為に走るのだ

身代りの友を救う為に走るのだ。

よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。立ち上る事が出来ぬのだ。天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。ああ、あ、濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も撃ち倒し韋駄天、ここまで突破して来たメロスよ。真の勇者、メロスよ。今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情無い。愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて殺されなければならぬ。おまえは、稀代の不信の人間、まさしく王の思う壺だぞ、と自分を叱ってみる

中途で倒れるのは、はじめから何もしないのと同じ事だ。

走れ! メロス。

急げ、メロス。おくれてはならぬ。愛と誠の力を、いまこそ知らせてやるがよい。風態なんかは、どうでもいい。メロスは、いまは、ほとんど全裸体であった。

メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」 勇者は、ひどく赤面した。

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小学校の教科書で読んで以来のあくまでぼくの意見なのですが、「メロスってこんなに自分勝手な人だったっけ?」と
感じてしまいました。

勝手に友達身代わりにするし、勝手に娘を結婚させようとするし、花婿が結婚をすぐにするのは反対なのに、
説き伏せるし。「おいおい大丈夫かこの世界・・・」なんて読みながら思っていたのですが。

死が迫っているからこその強引なまでの行動力といえば聞こえがいいのですが、
その自己中さがあまり好きになれなかったのでした。


でも、この本で言いたかったことは、上の赤字と青字の部分に尽きるのではないかなぁと勝手に思いました。
どんな障害があっても、諦めないこと。人を助けること。
そういった部分は素敵だなぁと思いました。


唇のねじれた男 (アーサー・コナン・ドイル)

kutibirunezire.jpg






・「確かに、歩く際、足を引きずらねばならぬ。だがそれ以外は、力も強く、健康な男だと言えよう。君も医者の経験からわかるだろう、ワトソン、どこか一箇所が悪くても、たいてい他のところが発達して、それを補うものだ。」






普段ミステリーはあまり読まないのだけど、たまには楽しいものですね。
痛快な内容でありました。

あまり印象に残る文は見られなかったのですが、上記の赤字の部分がめちゃくちゃ心に残りました。
「真理!」と思って。体についてもいえますが、性格とかなんに関してもそうですよね。
誰だって欠点があって、それを補うように良い部分があって。そんなアンバランスさが人間の魅力でもありますが。
なんだか励まされるような一文でもあったのでありました。



ではまた。

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Hiro

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読んだ本の記録。忘れたくない言葉。

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