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美しい犬 (林 芙美子)

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ばけつをさげたおかみさんは、「まア、ペットがこんなところにいるよ。」といって泣き出してしまった。おかみさんは、主人の家を忘れないやさしいペットをみて、ほんとに、すまないことをしたと思った。

ペットは泣きたくなるほどさびしかった。

終戰になって、ペットの好きな人がだれもいなくなってしまうと、ペットははじめての冬を、ほんとに哀れなかっこうで暮らさなければならなかった。 疎開の人たちもまだ、あっちこっちの別莊に殘ってはいたけれど、ペットを飼ってくれるような、親切なひとは一人もいなかった。



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朝御飯 (林 芙美子)

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私はこのごろ、朝々レモンを輪切りにして水に浮かして飲んでいるけれど運動不足の躯には大変いいように思う。いまごろだと苺の砂糖煮もパンとつけあわせて美味いし、いんぎんのバタ炒り、熱い粉ふき藷に、金沢のうにをつけて食べるのなど夏の朝々には愉しいものの一つだと思う。

朝たべられる果物は躯に金のような作用をするそうだけれども、

御飯と茶の味でその家の料理のうまいまずいがわかる

朝々のお茶の類は、うんとギンミして、よきものを愉しむ舌を持ちたいものだ。

朝々、バタだけはふんだんに召上れ。皮膚のつやがたいへんよくなります。外国では、バタをつかうこと日本の醤油の如くです。バタをけちけちしてる食卓はあまり好きません。

そのほか私の発明でうまいと思ったものに、パセリの揚げたのをパンに挟むのや、大根の芽立てを摘んだつみな、夏の朝々百姓が売りに来るあれを、青々と茹でピーナツバタに和えてパンに挟む。御実験あれ。なかなかうまいものです。

トマトはビクトリアと云う桃色なのをパンにはさむと美味い。トマトをパンに挟む時は、パンの内側にピーナツバタを塗って召し上れ。美味きこと天上に登る心地。そのほか、つくだ煮の類も、パンのつけ合せになかなかおつなものです。

夏の朝々は、私は色々と風変りな朝食を愉しむ。「飯」を食べる場合は、焚きたての熱いのに、梅干をのせて、冷水をかけて食べるのも好き。春夏秋冬、焚きたてのキリキリ飯はうまいものです。飯は寝てる飯より、立ってる飯、つやのある飯、穴ぼこのある飯はきらい。子供の寝姿のように、ふっくり盛りあがって焚けてる飯を、櫃によそう時は、何とも云えない

徹夜をして頭がモウロウとしている時は、歯を磨いたあと、冷蔵庫から冷したウイスキーを出して、小さいコップに一杯。一日が驚くほど活気を呈して来る。とくに真夏の朝、食事のいけぬ時に妙である

淹れたてのコオフィ一杯で時々朝飯ぬきにする時があるが、たいていは、紅茶にパンに野菜などの方が好き。このごろだったら、胡瓜をふんだんに食べる。胡瓜を薄く刻ざんで、濃い塩水につけて洗っておく。それをバタを塗ったパンに挟んで紅茶を添える。紅茶にはミルクなど入れないで、ウイスキーか葡萄酒を一、二滴まぜる。私にとってこれは無上のブレック・ファストです。






読んでいて、自分がいかに朝食を楽しめていないかに気付かされます。だって、いつも昨夜のご飯の残りか、トーストにシリアルなのです。

著者のように、なんだか心に余裕のある、楽しい朝食を心がけたいと思いつつ、いつものせわしない時間の流れを味わっているわけです。残念無念。

恋愛の微醺 (林 芙美子)

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恋愛は生れながらにして悲劇なのだろう。悲劇でもよいから、せめて浪漫的な恋をとおもうが、すでに、世の中はせち辛くなっていてお互いの経済の事がまず胸に来る。

恋愛を悲劇にしてしまうのは、恋愛に甘くなるからだろう。正直になろうとしたり、その恋愛に純粋になろうとすることは、さしさわりのない人間同士の間のことだ。未婚の男女の恋愛には、既婚者のように徹するような思慮があるだろうか。私は解らなくなってしまう。

ふしだらな事かも知れないけれども、この世にあふれている無数の夫婦者の中に、こんな気持ちのない夫婦者はおそらく一人もありはしないだろう。一人の処女が結婚をして、初めてよその男に恋をするのは、あれはどうした事なのだろうか。見合結婚をして、一人の男の経験が済むと、何か一足とびに違った世界に眼がとどいてゆく。良人の友達の中に、あるかなきかの恋情を寄せてみたりする場合もある。そのあるかなきかの恋情は、ほんの浮気のていどで、家庭を不幸にするものじゃないとおもうがどうでしょうか

交通の整理された恋愛は、悪いことだとはおもわない。

十代の女の恋愛には、飛ぶ雲のような淡さがあり、二十代の女の恋愛には計算がともない、三十代の女には何か惨酷なものがあるような気がする。

恋人に逢った翌る日は、てきめんに生活が豊富になると云うのだ。

懶惰で無気力な恋愛がある。仕事の峠に立った、中年のひとたちの恋愛はおおかたこれだ。

恋愛と云うものは、この空気のなかにどんな波動で飛んでいるのか知らないけれども、男が女がこの波動にぶちあたると、花が肥料を貰ったように生々として来る。幼ない頃の恋愛は、まだ根が小さく青いので、心残りな、食べかけの皿をとってゆかれたような切ない恋愛の記憶を残すものだ。老けた女のひとに出逢うと、娘の頃にせめていまのようなこころがあったらどんなによかったでしょうと云う。だから、心残りのないように。




年代別の恋愛のたとえが面白いし、ウマイです。40代、50代、60代も教えて欲しい。。。

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Hiro

Author:Hiro
読んだ本の記録。忘れたくない言葉。

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