スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

如何に読書すべきか (三木 清)

ikanidokusyosubekika.jpg



繰り返して読むということの楽しみは、その本と友達になるということの楽しみである。

緩やかに読むということはその真の意味においては繰り返して読むということである。ぜひ読まねばならぬ本は繰り返して読まなければならぬ。

正しく読むためには緩やかに読まねばならぬ。決して急いではならない。その本から学ぶためにも、その本を批評するためにも、その本を楽しむためにも、緩やかに読むことが大切である

正しく読むということは何よりも自分自身で読むということである。
マルクス・アウレリウスは彼の師について感謝をもって書いている。「ルスティクスは私に、私の読むものを精密に読むこと、皮相な知識で満足しないこと、また軽薄な批判者が云うことに直ちに同意しないことを教えた」。正しく読むことは自分の見識に従って読むことである。 正しく読もうというには先ずその本を自分で所有するようにしなければならぬ。借りた本や図書館の本からひとは何等根本的なものを学ぶことができぬ。高価な大部の全集とか辞典のようなものは図書館によるのほかないにしても、図書館は普通はただ一寸見たいもの、その時の調べ物にだけ必要なもの、多数の専門文献のために利用されるのであって、一般的教養に欠くことのできぬもの、専門書にしても基礎的なものはなるべく自分で所有するようにするが好い。しかしただ手当り次第に本を買うことは避けねばならず、本を買うにも研究が必要であり、自分の個性に基いた選択が必要である。その人の文庫を見れば、その人がどのような人であるかが分る。ただ沢山持っているというだけでは何にもならぬ。


愛読書を有しない人は思想的に信用のおけない人であるとさえ云うことができるであろう。

単に自分に媚びるというのでなくて、自分に役立ち、自分を高めてくれるような本を読むようにしなければならぬ。

読書においてもひとは自主的でなければならず、発見的であることが大切である

一つの国語はその民族の精神の現われであり、その思想の蓄積であるということができる。

原書を読むには語学の力がなければならないが、その語学というものも決して手段に過ぎないようなものではなく、却って語学そのものが一つの重要な教養である。

原典を読むことは読書を単純化するに必要な方法

多数の参考書を読むよりも一冊の原典を繰り返して読むことがそのものを掴むのに結局近道である。

古典を読むことが大切である如く、ひとはまたつねに原典を読むように心掛けねばならぬ。解説書とか参考書とかを読むことも固より必要ではあるが、本質的には原典を中心としてこれに頼らねばならぬ。原典はつねに最も信頼し得る書物である。

時代の感覚に触れるために、また今日の問題が何処にあるかを知るために、ひとは新刊書に接しなければならぬ。新しい感覚をもち新しい問題をもって対するのでなければ古典も生きてこないであろう。

一般に何が善い本かといえば、もちろん古典といわれるような書物である。古典は歴史の試煉を経て生き残ってきたものであり、すでに価値の定まった本である。

もし一度で理解することができなければ、暫らく間をおいて再び読むようにするが好い。努力して読書する習慣を作ることが大切である。尤も、むつかしい本、大きな本がつねに善い本であるという風に誤解してはならぬ。

ともかく善いものにぶっつかってゆくことが肝要

一般的教養は目的のない読書の結果である。けれども当てなしに読んだものが身に附いて真の教養となるというには他方専門的な読書が必要である。

若い時代から手当り次第に読んだものの結果が一般的教養になるという場合が多い。

目的のない読書、いわば読書のための読書というものも大切である。これによってひとは一般的教養に達することができる。

専門家になるために読書の必要のあることは云うまでもないが、ひとは特に一般的教養のために読書しなければならぬ。そして専門家も一般的教養を有することによって自分の専門が学問の全体の世界において、また社会及び人生にとって、如何なる地位を占め、如何なる意義を有するかに就いて正しい認識を得ることができるのである。

読書家とは一般的教養のために読書する人のことである。

読書の必要はただ一冊の本の人間にならないために、云い換えれば、一面的な人間にならないために、存在するのである。


努力する限りひとはあやまつ。

昔から同じ教訓が絶えず繰り返されてきたにも拘らず、人類は絶えず同じ誤謬を繰り返しているのである。例えば、恋愛の危険については古来幾度となく諭されている。けれども青年はつねにかように危険な恋愛に身を委ねることをやめないのであって、そのために身を滅す者も絶えないではないか。あやまちを為すことを恐れている者は何も掴むことができぬ。人生は冒険である。

濫読は明かに多読の一つであり、そして多読は濫読から始まるのが普通である。古来読書の法について書いた人は殆どすべて濫読を戒めている。多くの本を濫りに読むことをしないで、一冊の本を繰り返して読むようにしなければならぬと教えている。それは、疑いもなく真理である。

自分自身の読書法を見出すためには先ず多く読まなければならぬ。

身についていない技術は技術と云うことができぬ。読書にとって習慣が重要であるというのも、読書が技術であることを意味している。

読書は一種の技術である。

毎日、例外なしに、一定の時間に、たとい三十分にしても、読書する習慣を養うことが大切である。かようにして二十年間も継続することができれば、そのうちにひとは立派な学者になっているであろう。読書の習慣は読書のための閑暇を作り出す。読書の時間がないと云う者は読書の習慣を有しないことを示している

読書は他の娯楽のように相手を要しないのである。ひとはひとりで読書の楽しみを味うことができる。いな、東西古今のあらゆるすぐれた人に接することができるというのは読書における大きな悦びでなければならぬ。

読書の習慣を養うには閑暇を見出すことに努めなければならぬ。そして人生において閑暇は見出そうとさえすれば何処にでもあるものだ

読書の習慣も早くから養わねばならぬ。学生の時代に読書の習慣を作らなかった者は恐らく生涯読書の面白さを理解しないで終るであろう。

ひとは、単に義務からのみ、或いは単に興味からのみ、読書し得るものではない、習慣が実に多くのことを為すのである。

先ず大切なことは読書の習慣を作るということである




読書の楽しさと楽しみ方を教えてくれる本。
今までこういう本を読んだことがなかったので、とっても楽しく読めました。

一部「愛読書を有しない人は思想的に信用のおけない人であるとさえ云うことができるであろう。」みたいな勝手な決めつけが、ぼくにはちょっと嫌な感じに聞こえてしまったけど、それでも楽しい本。

この本にもあったとおり、「東西古今のあらゆるすぐれた人に接することができる」というのが、ぼくも思っていた本の楽しさ。実際に著者の方々に会えないとしても、その人の結晶を手元に受けることができる幸せは読書のありがたさですよね。

もっともっといろんな本が読みたくなりました。
スポンサーサイト

Pagination

Utility

Profile

Hiro

Author:Hiro
読んだ本の記録。忘れたくない言葉。

Category

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。