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ある自殺者の手記 (モーパッサン ギ・ド)

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世間の人は大きな苦悶や悲歎を探し出そうとして、自殺者の生涯をいたずらに穿鑿する。だが、多くの人が自殺をするのは、以上の手記にあるようなことに因るのであろう。

記憶は既に生存していないものに生命をあたえる

食ったものが好く消化れれば物がたくさん食えもする(何と云ってもこれが人間最大の幸福なのだ。)病弱な胃の腑は人間を駆って懐疑思想に導く。無信仰に誘う。人間の心のなかに暗い思想や死を念う気持を胚胎させるものだ。私はそうした事実をこれまでに幾度となく認めて来た。今夜食べたものが好く消化していたら、私もおそらく自殺なんかしないで済んだろう。

家へ帰って来て錠前の穴に鍵をさし込む時のそのさし込みかた、自分がいつも燐寸を探す場所、燐寸の燐がもえる瞬間にちらッと部屋のなかに放たれる最初の一瞥、――そうしたことが、窓から一と思いに飛び降りて、自分には脱れることの出来ない単調なこれらの出来事と手を切ってしまいたいと私に思わせた。

三十年このかた同じ場所に置いてある家具のいつ見ても変らぬ恰好、新らしかった頃から知っている肱掛椅子の擦り切れたあと、自分の部屋の匂い(家というものには必ずその家独特の匂いがあるものだ)そうしたことが、毎晩、習慣というものに対して嘔吐を催させると同時に、こうして生きてゆくことに対して劇しい憂欝を感じさせたのである。 何もかもが、なんの変哲もなく、ただ悲しく繰返されるだけだった。

私はこれで元は快活な人間だったのである! 何を見ても嬉しかった。途ゆく女の姿、街の眺め、自分の棲んでいる場所、――何からなにまで私には嬉しくて堪らなかった。私はまた自分の身につける洋服のかたちにさえ興味をもっていた。だが、年がら年じゅう同じものを繰返し繰返し見ていることが、ちょうど毎晩同じ劇場へはいって芝居を観る者に起きるように、私の心をとうとう倦怠と嫌悪の巣にしてしまった。

私にはこの数年来一つの現象が起きているのだ。かつて私の目には曙のひかりのように明るい輝きを放っていた人生の出来事が、昨今の私にはすべて色褪せたものに見えるのである。物ごとの意味が私には酷薄な現象のままのすがたで現れだした。愛の何たるかを知ったことが、私をして、詩のような愛情をさえ厭うようにしてしまった。

。だが、私はこの幾行かの手記を読む人々のために書いているのではない、ともすれば弱くなりがちな自分の勇気をかき立て、今となっては、遅かれ早かれ決行しなければならないこの行為が避け得べくもないことを、我とわが心にとくと云って聞かせるために綴るのだ。

夜も更けた、もう真夜中である。私はこの手記を書いてしまうと自殺をするのだ。なぜだ? 私はその理由を書いてみようと思う

この手記は鋭い神経をもつ人や感じやすい者のみに解るような悲惨な最後の理由を述べ尽しているのである。






個人的にも自殺者の理由を詮索するのは、身近な人だけで良いと思っています。
テレビは自殺者が望むのであればその模様を公開すればいいけど、基本的に勝手に詮索しないでしないと思います。


この手記の主は平凡に殺されたのですね。



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Hiro

Author:Hiro
読んだ本の記録。忘れたくない言葉。

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