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石をしょわずに ――わかい女教師の自殺 (村山 俊太郎)

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昭和二十二年七月二十日の朝、T村小学校のわかい女教師が、通勤の途中にある淵に投身自殺をした。すがすがしい朝を、大きな石を身につけて、すきとおる山谷の淵の底に身を沈めた

――子どもたちのけんかがもとで、有力な父母から、新教育なんていったって、しつけひとつできないじゃないかと言われたのがもとだって。と死の原因についての評判をまとめて語ったあとで、 ――けれど、そのほかに、新しい教育への苦しみと悩みがK子を死なせたのよ。

戸数二百たらずの山村の荒っぽい子どもたちと父兄とは、たとえどんなにすぐれた優等生型の頭脳をもっているK子でも、温良な性格と女学校をでたばかりの若さではつらい生活の相手であっただろう

毎日のように、子どもたちのけんかがある。一時間じっと学習することのできない子ども、間接授業の子どもたちのさわがしさ。学用品のない子ども。平仮名の書けないたくさんの子ども。九九の知らない子どもの多いこと。シラミの多い女児の頭。語ってきかせても、叱ってみても、反応のない野性の子どもたち……。

K子はにっこりしながら、子どもたちと一緒にいることはたのしいこともあるが、辛いことが多い。職員室はたのしくないと語った。そのような子どもたちのしつけの苦しみや、教育のことについての悩みを、先生方に相談したり、学校全体で話しあったり、研究したりすることはないかとたずねると、K子はさびしく学校のなかの先生方の孤立していて協力的でないことなどを語った

――先生、わたし近ごろ力がないことがはっきりしてきたの。何をやるにも基本的な勉強をしていないんだもの。二学期からやらねばならない社会科なども、さっぱりわからないの……。 そんなことを語って、K子は夕方元気をとりもどして、また訪ねてくると言いのこして去ったのだった。

死の直前まで悩みつづけた、荒っぽい野性のまんまの教え子たちには、鉛筆の走り書きで、「よい子になるように……」と遺書をのこし、学校と村人たちに対しては、自分のいたらなさをわびる書をのこして……。子どものけんかをめぐるしつけに苦しみ、無知で封建的な父兄たちに無言の抗議をのこして。

わかい女教師たちは口をそろえてK子の問題は、そっくり自分たちの苦しみであり悩みであると告白した。子どもへの愛情をもちながら、その愛情をしつけのうえでどうもちつづけ、表現していけばいいのか。


民主的な角度から、あたたかくしつけようとすればするほど、荒っぽい子どもの野性との対立がはげしくなってくる悩み。子ども同士のけんかもぬすみも、みな教師の無責任として追及してくる父兄たちの古い観念とのつきあたり。

この地方のわかい女教師たちは、――石をしょわないでがんばりましょう。という合言葉によって、わかいK子の死をムダにしまいとちかっている。





いろいろと考えさせられる本でした。

2004年の本ですが、それからすでに10年ほど経っていますが、親も、教師も、生徒も、みんなあまり変わっていないような気がしてなりません。

ただ、先生同士(先生に関わらず、ですが。)がしっかり助け合える環境を日常からつくっていることが大事なのだなぁと思いました。


遺書の部分はつらいですね。
石を背負いすぎていることに気付ける仲間さえいれば、と思ってしまいます。


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Hiro

Author:Hiro
読んだ本の記録。忘れたくない言葉。

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