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食べたり君よ (古川 緑波)

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「何が食いたい?」

そして、――思い出す、それは暑い日だった。――本みやけへ着くと、すぐ風呂へ入り、みんな裸になって――岡田嘉子を除く――ヘット焼の鍋を囲んだ。 赤葡萄酒を抜いて、血のしたたるような肉を食い、葡萄酒を飲んだ。 その時である。 牛肉には赤葡萄酒。 ということを、僕が覚えたのは。

「僕あ、ああいう美味いものを毎日食いたいと思って、努力を続け、漸く、それ位のことが出来るような身分になりました。ところが、何うでしょう先生、食うものが世の中から消えてしまいました」 と言ったら、先生は、ワハハハハと、まるで息が切れそうに、何時迄も笑って居られた。

正直のところ、僕は、ああいう美味いものを毎日、思うさま食えるような身分になりたい。それには、何うしても千円の月収が無ければ駄目だぞ、よし! と発憤したものである。

そして、デザートに出た、ババロアの味、ソーダ水の薄味のレモンのシロップ。

ライスカレーも、ペロペロッと――





ババロア、ソーダ水、レモンのシロップ、これらの言葉に昭和の良き時代の響きを感じるのは何でなんでしょうね。
ぼくだけでしょうか?


「貧乏人でも、高級レストランに行って一度食べておくと、その後そのレストランに通えるぐらい出世する。」みたいなことを、遠藤周作先生もおっしゃっていました。やっぱり食べ物によって「もっとお金を稼いでやろう!」的な感じで奮起される部分って人間は大きいと、ぼくも思うのです。

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このたび大阪 (古川 緑波)

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トロリと舌をまどわすポタージュに、カフスレバアの煮込みの味、昼間から美味に酔う。

大阪での僕のたのしみの一つは、おどり(生海老)を食うことである。酔後、冷たいすしの舌ざわりは、何とも言えない、殊に、おどりは、快適で、明朝の快便をさえ思わせるものがある。





舌をまどわす、っていい表現。

清涼飲料 (古川 緑波)

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タバコなんて、そんなものである。

あの煙草が好き、こっちの方がいい、という人々は、各々の好きな、デザインの、好きな色の箱を選んでいる場合が多い。例えば、キャメルが好き、ラッキイ・ストライクでなくっちゃいけないっていうような、タバコ好きでも、まっ暗なところで、一本吸わして、それが何という煙草か、ハッキリ判ることは、めったにないものである。

春山行夫氏が東京新聞に書かれた「コカコーラの不思議」の中に、 ……コカコーラは消防自動車のような赤いポスターや看板を出すので、美術の国イタリアは、その点を嫌がっている。…… とある。 全く、コカコラの赤は、あくどい。 コカコラばっかりじゃあない。アメリカは赤が一番嫌いな筈だのに、宣伝や装飾には、ドキツイ赤を平気で使う。赤や黄色、青の原色そのままが多い。

味には、ひどく癖があって、一寸こう膠みたいなにおいがする―兎に角、薬臭いんだ。だから、いまのコーラとは、殆んど別な飲みものだと言っていい。コカコラの中に、コカインが入っていたってのは、その頃の奴じゃないだろうか。

いまのコカコラとコカコラが違った。 第一、名前も、コカコーラと、引っぱらずに、コカコラと縮めて発音していた(日本ではの話ですよ)。そして、名前ばっかりじゃないんだ、味も、色も、確かに違っていた。 色は、いまのコーラが、濃いチョコレート色(?)みたいなのに引きかえて、アムバーの、薄色で、殆んど透明だったようだ。

ラムネを、ポンと抜く、シューッと泡が出る。ガラスの玉を、カラカラと音をさせながら転ばして飲むラムネの味。

金線サイダーも、リボンシトロンも、子供の頃からよく飲んだ。が、やっぱり一番勢力のあったのは、三ツ矢サイダーだろう。 矢が三つ、ぶっ違いになっている画のマークは、それに似たニセものが、多く出来たほどだった。 その頃、洋食屋でも、料理屋でも、酒の飲めない者には必ず「サイダーを」と言って、ポンと抜かれたものである。

清涼飲料という名前は、うまいなあ。如何にも、サイダーが沸騰して、コップの外へ、ポンポンと小さな泡を飛ばす有様が浮んで来るようだ。








清涼飲料っていう言葉を「うまい」なんて思ったことがなかったので、新鮮な本でした。
ラムネの表現が好き。どうしてラムネって、子どもの頃を思い出すんでしょうね。そしてどうして大人になった今、ラムネを飲まなくなったのだろう。

駄パンその他 (古川 緑波)

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文藝春秋九月号に、ジョージ・ルイカー氏の「日本料理は女房の味」が、ある。この中では、 ……所謂料亭と名のつく様な場所では、高級料亭である程、それに正比例して、中身は益々少く、容器は増々大きくなる様である。…… という観察を、面白いと思った。

近ごろ――と言って、これは一体、何時ごろから売っていたものなのだろう――カレーパンだの、コロッケパンというものがある。少くとも、これは僕らの若き日には、見たことがない。見た目からして、駄パンである。(駄菓子の駄の字なり)

トーストに味噌汁ってのは、合わないようでいて、まことに、よく合う。それも、豚肉や牛肉を入れたりして、味噌のポタージュと言ったものにしないで、純日本式の、いつものがいい。身は、豆腐、大根、葱、里いも――何でもいい。 あんまり同好の士は、ないようであるが、一度試みていただきたい。 トーストのバターの味と、味噌の味が混り合って、何とも言えなく清々しい、日本の朝の感じを出して呉れるから。

戦前の、富士屋ホテルは、パンの種類が揃っていて、ボーイの運ぶ銀盆を眺めて、「さて、どのパンにしようか」と迷う時の幸福を忘れない。

ボーイが、持って来る銀盆に、五六種のパンが載っているのを見るとウワーと声を出したくなるほど嬉しい

レストオランで、パンのうまいのは、割に少い。

そういう受け入れ態勢を、自分で用意することは、料理人に対する礼であろう。料理人も亦、芸術家なのだから、芸術家に対するエチケットを心得るべきである。

「腹の減った時に不味いものはない」とは永遠の真理である。 Hunger is the best Sauce.

偏食はよくないと思うが、食慾が起らないものを無理に食べさす必要はないのではないかと思っている。食物を外にすてる方が不経済か、胃腑の中にすてる方が不経済か、僕にはわからない。…… と言って居られるのは、大変面白い言い方だと思った。全く、嫌いな物を食べることは、胃腑の中へ捨てるようなものだろう。






「料理人も亦、芸術家」という言葉がすごく印象的でした。
だから、お店で運ばれてきた料理は絵画を見るのと同じように、目で見て心で感じて、そして舌で味わうことをしなければいけないんだな、と。単純にバクバク食べてきた自分を大反省なのでした。

浅草を食べる (古川 緑波)

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話は飛んで、戦後の浅草。ところが、僕、これは、あんまり詳しくない。それに、
浅草自体が、独得の色を失って、銀座とも新宿ともつかない、いわば、ネオンまばゆく、蛍光灯の明るい街になってしまったので、浅草らしい食いものというのが、なくなってしまった、ということもある。

浅草独得(ではないが、そんな気がする)の牛めし、またの名をカメチャブという。屋台でも売っていたが、泉屋のが一番高級で、うまかった。高級といっても、普通が五銭、大丼が十銭、牛のモツを、やたらに、からく煮込んだのを、かけた丼で、熱いのを、フウフウいいながら、かきこむ時は、小さい天国だった。

来々軒は、日本館の前あたりにあって、きたない店だったが、このうまかったこと、安かったことは、わが生涯の感激の一つだった。少年時代の幼稚な味覚のせいだったかも知れないが、いや、今食っても、うまいに違いない、という気もする。





小さい天国っていう表現がすごく気に入りました。
天国に大きいも小さいもないと思っていたので。

人生の中で、「あのお店で食べたあれがめちゃくちゃうまかったんだよなぁ。」なんてぼくにはあんまり記憶がなくて。
なんだか損しているのかなぁなんて思えもしました。ちょっと悔しいですよね、そんな美味しくて記憶に残るお店に出合えてないなんて。
そう考えると、これからどんどんいろんなお店を回ってみたいなぁなんて思いました。

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Hiro

Author:Hiro
読んだ本の記録。忘れたくない言葉。

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