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蜘蛛の糸 (芥川 竜之介)

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自分ばかり地獄からぬけ出そうとする、犍陀多の無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、御釈迦様の御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。

自分一人でさえ断れそうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数の重みに堪える事が出来ましょう

地獄と極楽との間は、何万里となくございます

この糸に縋りついて、どこまでものぼって行けば、きっと地獄からぬけ出せるのに相違ございません。いや、うまく行くと、極楽へはいる事さえも出来ましょう。そうすれば、もう針の山へ追い上げられる事もなくなれば、血の池に沈められる事もある筈はございません。

翡翠のような色をした蓮の葉の上



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遺書 (芥川 竜之介)

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僕等人間は一事件の為に容易に自殺などするものではない。僕は過去の生活の総決算の為に自殺するのである。

四若しこの人生の戦ひに破れし時には汝等の父の如く自殺せよ。但し汝等の父の如く 他に不幸を及ぼすを避けよ。

わが子等に 一人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず。 二従つて汝等の力を恃むことを勿れ。汝等の力を養ふを旨とせよ。

僕は勿論死にたくない。しかし生きてゐるのも苦痛である。







青字のところ、けっこう「わかるわかる。」と言われる方が多いのじゃないでしょうか。
人生の道が茨ばかりであっても、死にたくはない。でも生きたくない。矛盾。
生と死のあいだに挟まれた人間が選ぶのは、生きるか死ぬかどちらなのか。

この作品は自殺を否定しておきながら、こう考えればしてもいいんじゃないかみたいなことが
書いてあるように見受けられ、そこがおもしろかった。


鼻 (芥川 竜之介)

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内供は慌てて鼻へ手をやった。手にさわるものは、昨夜の短い鼻ではない。上唇の上から顋の下まで、五六寸あまりもぶら下っている、昔の長い鼻である。内供は鼻が一夜の中に、また元の通り長くなったのを知った。そうしてそれと同時に、鼻が短くなった時と同じような、はればれした心もちが、どこからともなく帰って来るのを感じた。

しかし、その日はまだ一日、鼻がまた長くなりはしないかと云う不安があった。そこで内供は誦経する時にも、食事をする時にも、暇さえあれば手を出して、そっと鼻の先にさわって見た。

鼻は――あの顋の下まで下っていた鼻は、ほとんど嘘のように萎縮して、今は僅に上唇の上で意気地なく残喘を保っている。所々まだらに赤くなっているのは、恐らく踏まれた時の痕であろう。こうなれば、もう誰も哂うものはないにちがいない。

最後に、内供は、内典外典の中に、自分と同じような鼻のある人物を見出して、せめても幾分の心やりにしようとさえ思った事がある。けれども、目連や、舎利弗の鼻が長かったとは、どの経文にも書いてない。勿論竜樹や馬鳴も、人並の鼻を備えた菩薩である。内供は、震旦の話の序に蜀漢の劉玄徳の耳が長かったと云う事を聞いた時に、それが鼻だったら、どのくらい自分は心細くなくなるだろうと思った。

その法と云うのは、ただ、湯で鼻を茹でて、その鼻を人に踏ませると云う、極めて簡単なものであった。





大きい鼻に大きなコンプレックスを持つ男のお話。
いくら神様に自分を捧げた存在であったともしても、自分の体のコンプレックスに悩んでいる様は
読んでいてお坊さんの印象が良くなる思いだった。普通の人なんだなぁ、と。(もちろんなのだが)

上の青字のところ、人間らしさが滲み出ていて良いなと思いました。
自分に似た人間を探してしまうところ。人間の本能のひとつなのかもしれませんね。


蜜柑 (芥川 竜之介)

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世間は余りに平凡な出来事ばかりで持ち切っていた。

この隧道の中の汽車と、この田舎者の小娘と、そうして又この平凡な記事に埋っている夕刊と、――これが象徴でなくて何であろう。不可解な、下等な、退屈な人生の象徴でなくて何であろう。

煤を溶したようなどす黒い空気

彼等は皆、この曇天に押しすくめられたかと思う程、揃って背が低かった。

するとその瞬間である。窓から半身を乗り出していた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢よく左右に振ったと思うと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まっている蜜柑が凡そ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降って来た。私は思わず息を呑んだ。そうして刹那に一切を了解した。小娘は、恐らくはこれから奉公先へ赴こうとしている小娘は、その懐に蔵していた幾顆の蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切りまで見送りに来た弟たちの労に報いたのである。

私はこの時始めて、云いようのない疲労と倦怠とを、そうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出来たのである。

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人生にいささか飽きている人間に一番効くのは、現実に起こる無垢な暖かさのある出来事なのだなぁと思った。
やっぱり人はどこまでいっても人で、暖かいものに触れると心が本能的に動いてしまうものなのだろう。




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Hiro

Author:Hiro
読んだ本の記録。忘れたくない言葉。

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