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続癩院記録 (北条 民雄)

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酷暑の折や、厳寒の冬には死人が多く、どうかすると相次いで死んだ屍体が、その台の上に三つも四つも積み重なつてゐたりする。

実は彼等はここへ来るまで世の人々の言ふ癩病乞食であつたのである。つまり歩行の自由を奪はれた父親を、車のついた箱に載せ、その力の強い犬に曳かせて、この九つになつたばかりのミス・レバースは物乞ひして歩いたのである。そして彼女の母親もやはり病気で、その頃は既に立つ力もなく、家に寝て彼等の帰りを待つてゐたといふ、文字通りの人情悲劇である。

病気は軽症であるに加へて神経型のため、外面どこといつて病人らしいところがない。

まだ寒い風の吹く三月初めの頃十一二歳の少年が入院した。病気は軽く、眉毛は太く、くりくりとした大きな眼は田舎の児らしく野性的な激しさが輝いてゐた。が、右足を冒されてゐて関節が駄目になつてをり、歩くと足を曳きずつて跛をひいた。この子は叔父に連れられて来たのであるが、別れる時になると医局の柱にしがみついて大声で泣き、その夜も一晩泣き通した。実の父親とは八年前に生別したまま、叔父に育てられて来たのださうである。 ところが、この少年にとつては全然想像することも不可能になつてゐたであらうその父親は、やはりこの病院に入院してをり、病み重つて重病室に呻吟してゐたのである。父親は高度の浸潤にどす黒く脹れ上つて、腎臓病者のやうに全身ぶよぶよになつてをり、あまつさへ喉頭癩にやられた咽喉には穴があき、カニューレでからうじて呼吸をし、声は嗄れて一声出すたびに三四度もその穴で咳する有様である。

一体癩菌が結核その他の慢性病に較べてずつと伝染力が弱いといふことは医学でも言はれてゐることであるし、また患者数の激増等のない点から考へても頷けるが、やはり家族間では長い間の接触や、幼年期の最も伝染し易い時期に於ける病父母との接触等によつて伝染がたやすく可能なのであらう。

と言ふよりも半数以上は親兄弟を持つてをり、これによつても如何に家族間の伝染が激しいかを思はせられる

癩院にはどこの療養所でも親子、或は兄弟が揃つて入院してゐるのが少くない。

だが、驚くべきことは、かういふ姿になりながら彼は実に明るい気持を持つてをり、便所へ行くのも附添さんの世話になるのだからと湯水を飲むのも注意して必要以上に決して飲まないといふその精神である。そして煙草を吸はせてやつたり便をとつてやつたりすると、非常にはつきりした調子で「ありがたうさん。」と一言礼をのべるのである。また彼は俳句などにもかなり明るく、読んで聴かせると、時にはびつくりするくらゐ正しい批評をして見せる。私は彼を見るときつと思ふのであるが、それは堪へ得ぬばかりに苛酷に虐げられ、現実といふものの最悪の場合のみにぶつかつて来た一人の人間が、必死になつていのちを守り続けてゐる姿である。これを貴いと見るも、浅ましいと見るも、それは人々の勝手だ。しかしいのちを守つて戦ひ続ける人間が生きてゐるといふ事実だけは、誰が何と言はうと断じて動かし難いのである。

眼球が脱却して洞穴になつた二つの眼窩、頬が凹んでその上に突起した顴骨、毛の一本も生えてゐない頭と、それに這入つてゐる皸のやうな條、これが氏の首である。ちよつと見ても耳のついてゐるのが不思議と思はれるくらゐである。その上腕は両方とも手首から先は切断されてしまつてをり、しかも肘の関節は全然用をなさず、恰も二本の丸た棒が肩にくつついてぶらぶらしてゐるのと同然である。かてて加へて足は両方共膝小僧までしかない。それから下部は切り飛ばしてしまつてゐるのである。つまり一言にして言へば首と胴体だけしかないのである。こんなになつてまでよく生きてゐられるものだと思ふが、しかし首を縊るにも手足は必要なのであつてみれば、氏にはもう自殺するだけの動作すら不可能、それどころか、背中をごそごそ這ひ廻る蚤に腹が立つてもそれを追払ふことすら困難なのである。

人の年齢といふものは、顔の形や表情や体のそぶりなどによつてだいたい推察されるし、またさうしたヂェスチュアや表情などがあつてこそ年齢といふ言葉もぴつたりと板についた感じで使用出来るのである。ところがさうしたものが一切なくなつてしまつた人間になると、年齢といふことを考へるさへなんとなくちぐはぐなものである。Y氏は今年まだ四十七か八くらゐであるが、しかし氏の姿を見るともう年齢などといふ人間なみの習俗の外に出てしまつてゐるのを感じさせられる。たとへば骸骨を見て、こいつはもう幾つになるかな、などは考古学者ででもない限り誰でも考へないであらうやうに、Y氏を見ても年齢を考へるのは不可能なばかりでなくそんな興味がおこつて来ないのである。氏は文字通り「生ける骸骨」であるからだ。

かなり重症の、勿論結節型で高度の潰瘍に顔面は糜爛し、盲目であつた

ここへ来て一番最初吃驚させられたのは、いのちの初夜といふ小説の中にも書いて置いたが、喉頭癩にやられノドに穴をあけた男を見た時である。が、その次になんとも奇妙な感じがしたのは、眼球はどろどろになり果て、頭髪は抜け落ちた盲目の女が、陥没しかかつた鼻の穴に黒いゴム管を通して呼吸してゐるさまであつた。そしてそのゴム管の端が二本、並んで二分ほども外部へ出てゐるので、余計怪しく見えるのである。

「見るがいい。この病室の状を。―― 一体この中に一人でも息の通つてゐる生きた人間がゐるのだらうか。誰も彼も死んでゐる――凡てが灰色で死の色だ。ここには流動するたくましさも、希望の息吹きの音もない。いやそれどころか、ここには一匹の人間だつてゐないのだ。人間ではない。もつと別のもの、確かに今まで自分の見て来た人間とは異なつたものが断末魔の呻きを発してゐるのだ。自分もその中の一個なのだ。俺は死んだ、死んだ――。」

室内は膿汁に汚れたガーゼと繃帯でいつぱい。悪臭甚し。マスクをかけよと自分に奨めるものあり。マスクなど面倒なり。





こういう世界があることを知らないままで生きたくないものだ、といつも思うのですが、文章より現実はさらに苛酷なのでしょう。実際にもし自分がこの世界に足を踏み入れたとしたら、どうするでしょうか。
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柊の垣のうちから (北条 民雄)

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少くとも社会は忙しい

この「精神のゆるみ」とどんなに戦つたことだらう。しかしどんなに戦つても結局敗北して行くやうに思はれてならぬ。

毎日見る風景は貧弱な雑木林と死にかかつた病人の群である。膿汁を浴びて感覚は鉛のやうに艶を失ひ、やがて精神はたがのゆるんだ桶のやうにしまりを失ふのである。

美しい顔になりたいとは思ひはせぬ。ただ自分らしい表情を、自分以外には誰も持つてゐない私の表情を失ふのが堪らないのだ。

まだまだめでたい軽症者

彼は幼年期から既に病気であつた。そのために肉体的にも精神的にも完全な発育が出来なかつたのである。そして少年期からずつと療養所で育ち、大きくなり、文字通り蝕まれた青春を迎へたのである。

時々、マスクを除つた看護婦たちが嬉々として戯れるさまを、私はじつと見惚れることがある。そこには生き生きとした「人間」の表情があるからだ。若々しい表情があるからだ。 怒ることも笑ふことも出来ない。勿論心中では怒り、或は笑つてゐるのである。しかしその表情は白ばくれてゐるやうに歪んだままよだれを垂らしてゐるのだ。

眼は死んだ魚のそれのやうに白く爛れてしまふ。ごく控へ目に、ちよつと書いてすらこれである。ここにどんな表情が発見出来るだらうか。どんな美しい精神に生きてゐたとて、外面はけものにも劣るのである。況や神経型にやられたならば、口は歪んで、笑ふことも怒ることも、また感動することも出来ないのである。

どす黒く皮膚の色が変色し、また赤黒い斑紋が盛り上つてやがて結節がぶつぶつと生えて、それが崩れ腐り、鼻梁が落ち、その昔美しかつた頭髪はまばらに抜け、

「自分らしい表情やヂェスチュアを毀されて行くのは、ほんとに寂しいね。」

眼は心の窓であるといふが、表情は個性の象徴であらう。どんなまづい面であつても、またどんなに人好きのしない表情を持つてゐても、しかし自分の表情、自己の個性的な表情をもつてゐることはよろこばしいことであり、誇つてよいことであると思ふ。

私は入院するなり直ちに重病室へ入れられた。 私がそこでどんなものを見、どんなことを感じたか、言語に絶してゐてたうてい表現など出来るものではない。日光を見ぬうちは結構と言ふな、といふことがあるが、ここではちやうどその反対のことが言へる。そこは、色彩において全くゼロであり、音響においてはコンマ以下であり、香りにおいては更にその以下であつた。

他人の嫌ふ癩病と、私の癩病とは、なんとなく別のもののやうに思へてならなかつた時だつた

心の中に色々な苦しいことや悩しいことが生じた場合、人は誰でもその苦しみや懊悩を他人に打明け、理解されたいといふ激しい慾望を覚えるのではないだらうか? そして内心の苦しみが激しければ激しいほど、深ければ深いほど、その慾望はひとしほ熾烈なものとなり、時としてはもはや自分の気持は絶対に他人に伝へることは不可能だと思はれ、そのために苛立ち焦燥し、遂には眼に見える樹木や草花やその他一切のものに向つてどなり泣き喚いてみたくすらなるのではあるまいか? 少くとも私の経験ではさうであつた。




軽症者はまだまだめでたい、という言葉が印象に残りました。
実際はそうじゃないんですよね。でも、重症者があまりにも人間から離れていくさまを見ればそうも言いたくなるのだと思いました。


すみれ (北条 民雄)

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誰も見てくれる人がなくても、わたしは一生懸命に、出来る限り美しく咲きたいの。どんな山の中でも、谷間でも、力一パイに咲き続けて、それからわたし枯れたいの。それだけがわたしの生きている務めです。





独語 ――癩文学といふこと―― (北条 民雄)

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癩といふものは、性病とか、胃病とか、睾丸炎とか、まあそんなものと同じやうに、単に一つの病気の種類なのだ。そりや癩はたしかに他の病気と較べれば物凄いところがあるが、しかしそれは比較した上の五十歩と百歩との相違に過ぎない。もし癩者の書いたものが癩文学なら、結核者の書いたものは肺文学、胃病者の書いたものは胃文学といふことになつてしまふではないか。もしさうだとすると、ドストエフスキーはてんかん文学、夏目漱石は胃文学、ストリンドベリーは発狂文学――。やれやれ

横光利一氏は括弧といふものは作家の心理の一番よく出るところだと




今後は文中の括弧の中を注目して読んでみたいと思いました。

癩院記録 (北条 民雄)

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もし誰か、この地上で地獄を見たいと欲する者があるならば、夜の一時か二時頃の重病室を見られるやうすすめる。鬼と生命との格闘に散る火花が視覚をかすめるかも知れない。

怪しく口の曲つたのや、坊主頭や、鼻のない盲

患者達は決して言葉を聴かない。人間のひびきだけを聴く。これは意識的にさうするのではない、虐げられ、辱しめられた過去に於て体得した本能的な嗅覚がさうさせるのだ。

乾性即ち神経癩の患者にはたいてい一つは蹠疵といふのが出来てゐる。主として踵に出来るのであるが、麻痺のため痛みを感じない。それで歩行の不便を感ぜず歩き廻るので何時まで経つても治らないのである。これは一生疵と言はれてゐるほどで、だから繃帯なども毎日毎日幾年も続けて巻いたり解いたりしなければならない。かうして続けてゐるうちには何時しか繃帯を巻くことに趣味を覚えるやうになるのである。

癩患者にも趣味といふものはある。いや、どこよりも癩院は趣味の尊ばれる所かも知れない。一番多くの人がやるのは投書趣味であらう。彼等はこれを「文芸」と称してゐるが、俳句などは文字通り猫も杓子もといふ有様で、不自由舎などでは朝から晩まで、字を一字も知らない盲人が「睡蓮や……睡蓮や……」と考へ込んでゐたりする。

常識的な経験に信を置く結果、意外な失敗をやることがあると共に、また癩者独特の治療法を発見することもある。    その一つに「ぶち抜き」といふのがある。誰がこれを考へ出したのか私は知らない。しかし長い間のうちに何時とはなしに患者間で行はれるやうになつたのだらう。 それは両足に穴をぶち抜くのである。と言ふと誰でも吃驚するに違ひない。そこで説明を要するが、手取り早く言へば両足に一つづつ穴をあけて、そこから全身に溜つてゐる膿汁を排泄しようといふ仕掛なのである。足といつても、勿論どこへでもあけるのではない。やはり決まつた場所がある。長い間の経験で自然とそこに定められるやうになつたのであらう。それは、内踝の上部三寸くらゐのところで、比目魚筋の上に団子くらゐの大きな灸をすゑるのだ。間違つても脛骨の上にすゑてはならないさうである。先日私の友人の一人がそれをやつたから、一見して置くに限ると思つて見に行つたが、何しろ団子ほどもあるもぐさ(決して誇張してゐない)がぶすぶす燃え出すのだから物凄い。
ぶち抜きをやるくらゐの足はかなりひどく病勢の進んだ足で、勿論潰瘍や潰裂はないが(潰瘍や潰裂があればぶち抜く必要がない)完全に麻痺してをり、また汗も膏も出ないで常に鈍重な感じ

かうしてぶち抜くと、出来た疵が治らぬやうに注意すると共に、またこれが動機で内部へ深く腐り込んで行き足を一本切断したりするやうなことがないやうに気をつけながら、一ヶ月から二ヶ月くらゐ新聞紙を毎日取りかへる。この貼紙は新聞紙よりも油紙の方が良く、傘に貼られた紙を破つて来て利用するのが普通であるが、新聞でも悪いといふことはない。勿論消毒は十分に行はれねばならない。そして一ヶ月なり二ヶ月なり経つて、もう十分膿も出たし、足も軽くなつたと思はれると、今度はリバーノオルなり何なりをつけて疵を治してしまへばよい

夏などは発汗がないから焼けた空気が足の中に一ぱいつまつてゐるやうな感じで実際堪へられないのである。夜など床の中に這入ると、足の置場に困り、どこへどう置いてみてもだるく重く、まるで百貫目の石が足の先にぶら下つてゐるやうな感じで、安眠が出来ないのである。だからぶち抜きは、なんと言ふか、通風口のやうなもので、効果は確かにあるさうだ

注射するのはただ永年の惰性であつたり、また全然注射場へ現はれないのもある。だが殆どが、大して効果のないものだといふことを知つてをり、まあやらんよりはましだらう、といふくらゐの気持である。

病院には女が非常に少い。だいたいのところ女は男数の三分の一で、だから癩者の世界では女は王様のやうなものである。

小遣ひは一ヶ月七円と定められてゐるが、それは自宅から送金されたものを使ふ場合であつて、院内で稼いだ金はいくら使つても差支へない。だから働いてゐさへすれば小遣ひに困るといふことはないやうである。また不自由になつて不自由舎の人となり、或は三年五年と重病室で寝て暮したりする場合には、毎月いくばくかの補助金が下がる。

病院とはいふが、ここは殆ど一つの部落で、事務所の人も医者も、また患者達も「我が村」と呼ぶ

ここを第二の故郷とし、死の場所と覚悟

不自由舎へ這入らない程度の病状で、よし外科的病状や神経症状があつても、作業に出たり、女とふざけたり、野球をやつたり出来るうちは、健康者で、健康舎の生活をするのである。

不自由舎と健康舎とに大別され、不自由舎には病勢が進行して盲目になつたり義足になつたり、十本の指が全部無くなつたりすると入れられ、それまでは健康舎で生活する。ここで健康といふ言葉を使ふと、ちよつと奇異に感ぜられるが、しかし院内は癩者ばかりの世界であるから癩そのものは病気のうちに這入らない。

入院すると、子供を除いて他は誰でも一週間乃至二週間ぐらゐを収容病室で暮さなければならない。そこで病歴が調べられたり、余病の有無などを検査されたりした後、初めて普通の病舎に移り住むのであるが、この収容病室の日々が、入院後最も暗鬱な退屈な時であらう


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Hiro

Author:Hiro
読んだ本の記録。忘れたくない言葉。

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